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クオンハビビノモノクオンハビビノモノクオンハ」

「おいクオン、これどうやって元に戻すんだ」

「狙撃手殿の目の前で思い切り手を叩けば解けますよ」

「おし」


 パァン!!!!


「おあああウソップ~~~!!クオン大変だウソップが!!白目剥いて倒れた!!!」

「おやおやまぁまぁあっはっはっはっは」

「笑い事じゃねぇよ!!?」





† ユバ 2 †





 クオンに言われた通り目の前で思い切り手を叩いた勢いと風圧に押されてひっくり返ったウソップは、それから間もなく目を覚ました。そのときにはチョッパーもクオンの腕から降りてじりじりと身を焼く暑さに辟易としながらもしっかりと自分の足で歩き、木の枝を杖代わりに進むウソップの隣に並ぶ。
 嫉妬心をほどよく発散できたビビは素知らぬ顔で前方に位置取り、その背中を見ながらクオンは最後尾をゾロと並んで歩く。暑さにアーアー言って唸りながら進むルフィとそれに嫌そうな顔をするナミのやり取りを眺めていれば、ふいに隣から声がかけられた。


「お前、それ被ってて暑くねぇのか」

「うん?」


 気遣いというよりは疑問の色が濃いゾロの問いを受けて振り返り、目の位置に描かれた黒い点越しに目が合う。合った気がしながら、上部には三角形が2つ、頬部分には左右対称に3本の線が、そして黒い2つの目とωな口元だけを描いた猫を模した被り物を小さく上下させたクオンは愛嬌があるようで少々間の抜けた被り物の下で笑みを刷く。


「フードを被っていますし、被り物も熱がこもらないように調整していますので大丈夫ですよ。むしろ、熱気は多少防げますし、砂が顔にかからない分快適さすらありますね」

「便利なもんだな」

「ええ。顔を隠し続けるためにできるだけ不便な要素は取り除きたかったようで」


 言って、口が滑ったなと思いはしたが、まあいいかと思い直した。絶対に隠しておかなければならない秘密というわけでもない。
 だがそれにしても、最近どうにもこの男と話していると口がゆるくなる気がする。別段困るわけでも不愉快になるわけでもないから構わないが。好き好んでひとの話を吹聴するような男でもないですし、と前を向くゾロの横顔を眺める。
 サンジがゾロを精々が盗賊だぞと評したように、照りつける太陽光に眩しげに目を細める男はどう見ても堅気ではない。だが鋭い眼光さえ気にしなければ精悍に整った顔立ちであることにはすぐに気づく。これが存外やわらかな笑みを浮かべることもあれば酒が入ると上機嫌にほころんだりすることをクオンはもう知っている。不敵な笑みを浮かべ、時に苛立ちに顔を歪めて目を三角に吊り上げ、真剣に鍛錬に取り組み、静謐さをまとって己自身と向かい合うこともある。海賊狩り、東の魔獣、などと異名を持つ男は意外と感情も表情も多彩なのだと、今更のように気づいた。それを目にすることを許されているという事実にも。


「……なんだ」


 さすがに見すぎたか、胡乱げに目だけでこちらを見るゾロにクオンはその顔を覗き込むようにして首を傾けた。今の今まで気にしたことがなかったが、頭から被った布に覆われたゾロの頭部は意外と小さい。というか、思ったほど大きくない。そういえばこの間自分のものと触れ合わせた額も広いとは思わなかった。刀を握れば沸き立つ気迫をまといその身が大きいように錯覚するが、実はそうでもないのだ。


「おい、言いたいことがあるなら言え」

「いえ、別に特段言いたいことはありませんが」


 黙って見てくるだけで何も言わないクオンに痺れを切らし、眉間にしわを寄せて目だけでなく顔ごとこちらを向いたゾロにそう返したクオンは、今は布に隠された若草色が見えないことがもったいないなと思った。耳も布に覆われているため、左耳で揺れる三連ピアスも視界には入らない。今までずっと視線を向ければ見えていたものが見えないというのは、何だか物足りないような心地になる。


「自分が好ましく思うものには、つい見入ってしまうものでしょう?」


 うーん、成程姫様が私を見るときこんな気持ちなのか…と少しだけビビの心情を理解したような気がしてしみじみと内心呟くクオンは、いつだったか本人を前にさらりと言ったようにゾロの見目を気に入っていた。当然それに顔は含まれ、見ていて飽きることはない。
 以前ゾロ本人から「よく見とけ」と言われた事実もあるのだから言葉通り見ていても許されるだろう。そういう意味ではないことは既に分かっているが、訂正されるまでは気づかないふりである。ゾロもさらりと吐いたクオンの言葉に深いため息ひとつで返す言葉をなくして好きにさせるのだから遠慮なく乗っかることにする。


「スペアの被り物、お貸ししましょうか?」

「いらねぇ」


 即座に返ってきた言葉に小さくこぼれた笑み混じりの吐息が被り物の中にとける。反対方向に顔を逸らすわけでもなく真っ直ぐに前を向くゾロの横顔を見ていたクオンは、ふいに前方で含みすぎだおれにもよこせお前はさっき飲んだだろと何やら騒ぐルフィ達に気を取られて顔を前に戻した。
 この暑い中、ルフィとサンジとウソップがやんややんやと砂埃を上げながらもみくちゃにケンカしている。ケンカしないで!!余計体力を使っちゃうでしょう!?とビビの一喝が飛んだ。
 何事かと目を瞬かせ、おそらくルフィが水を多量に口に含んで怒られたのが発端となってのケンカだろうと察し、まだ水に余裕はあるのでそうカッカせずともと苦笑する。まさかこれから荷物をすべて盗賊などに奪われることもあるまいしとルフィをはじめとした戦闘に秀でた面々を一瞥したクオンは、スッと音もなく立ったフラグの存在に気づくことはなかった。










 弁当を食べたがるルフィに次の岩場を見つけたら休憩と宥めたビビに従い、ユバへの道なき道をひたすらに歩きながら岩場を目指す一行だったが、誰が言い出したか、ジャンケンで負けた者が全員の荷物を持つということになり、女性であるビビとナミは除外、クオンの針のお陰で耐えてはいるが暑さに弱っている医者のチョッパーとハリネズミのハリーも除外し、残るルフィ、ゾロ、サンジ、ウソップ、クオンの5人で勝負をし─── 結果、負けたのはルフィだった。

 仲間全員の荷物となると相当な量と重さになる。ウソップが器用に荷物を載せる用の簡素な荷台を作ったが、この砂漠では負荷も相当だろう。
 最後尾にいたクオンとゾロよりも少し後方でよろよろと荷物を引きずり歩くルフィをちらちらと振り返っていたクオンは、さすがに見かねて手伝った方がいいかとルフィの方へ足を進ませようとした瞬間にゾロに首根っこを掴まれ「甘やかすな」と止められること数回。船長であるはずのルフィを気にせずさくさく進む仲間の中で唯一手伝ってくれそうな気配を敏感に察知して「クオン~~~」と情けない声で呼ぶルフィに「てめぇも甘えんな!」とゾロの叱責が飛んだ。

 誰のためにもならないと分かっているから止められれば素直に前を歩いて口を噤み、それでも心配そうにルフィを振り返るクオンはいつルフィの懇願に折れるかも分からない。ゾロは所在なさげに揺れるクオンの腕を掴んでルフィへの助力を阻んだ。
 急に腕を掴まれたクオンが被り物の下で目をしばたたかせる。ルフィを気にして遅れる足がゾロに腕を引っ張られるまま進み、歩調を同じくして隣に立つ男を見上げた。


「剣士殿?」

「何度も止めるのが面倒だ。てめぇがルフィに手を貸さねぇと約束できるんなら離してやる」

「ん~~~……」


 僅かに傾けた被り物越しに低くくぐもった、抑揚の削がれた声を唸るようにこぼしてクオンはちらりとルフィを肩越しに振り返る。ぐらぐらと自身が揺れている自覚はあるので約束はできず、かといって嘘でも頷けない。その煮え切れない態度のクオンに正直か、と呟いたゾロが呆れたようにため息をついた。
 不意を突いてルフィに駆け寄らないようにか、腕を掴むゾロの手に僅かに力が入る。痛みを感じるほどでもない加減具合に、振り払うのは簡単だがそれはダメだろうとクオンは己を戒める。武骨な手は砂漠の熱にあてられて熱く、ジャケット越しに伝わる固い手の平の感触に剣士の手だなと既に知っていることをふいに思った。


「あーっ!Mr.ブシドーずるいわよ!!」


 そんな叫びと共にゾロが掴む腕と反対側の腕にビビが抱きついてきた。クオンの目がゾロの手からビビの頭へと動き、ぐりぐりと頭をすりつけてくるビビをいつものように撫でようとして、両腕をふさがれているため何もできない。にぎにぎと白手袋に覆われたクオンの手をビビが握り締める。


「さすがに暑いだろうからってずっと我慢してたのに!クオンと手を繋いでいいのは私だけなのよ!?」

「手は繋いでませんよ?」

「腕を組んであちこち練り歩いていいのも私だけ!」

「腕を組んでもいません」


 拘束というには優しく腕を引いて歩くゾロを庇いつつビビの言葉を否定しないクオンが被り物をした頭を傾けてビビの頭に軽くぶつけ、落ち着きなさいとやわらかく囁く。
 この国で育ち暑さと砂漠に慣れているビビの顔にもさすがに疲労がにじんでいるのが見て取れ、気分転換になるのならと好きにさせた。視界の端で羨ま妬ましげに睨んでくるサンジは見なかったことにする。
 ビビは一行を先導しなければならないから、殿を務めるクオンを傍に置けずにフラストレーションもたまっているだろう。そのことに文句一つこぼさない王女に被り物の下で優しく微笑み、手が使えないため被り物をすりつけて甘やかした。それに応えるようにビビが頭を被り物に押しつけてぎゅうとクオンの腕を抱きしめ、なされるがままの白い手を握る。


「ビビもクオンも、そんなにくっついて暑くないのか?」


 前を歩くチョッパーが振り返って不思議そうに当然の疑問を口にする。ビビがクオンに抱きつく様子は何度も目にしたが、こんな灼熱地獄のような砂の上でもくっついて離れる様子がない2人を見て、人間ってよく分からない、とでも言いたげだ。
 クオンとビビは一度顔を見合わせ、揃ってチョッパーを見て、同時に口を開いた。


「暑いですよ?」「暑いわよ」

「えぇ…?」


 じゃあ何で?とますます不思議そうなチョッパーに「気にするだけ無駄だぞー」とウソップがからりと笑う。この主従はそういうものなのだから。
 首を傾げつつ前を向き直したチョッパーの背中を一瞥し、クオンはビビの手を握り返して応える。


「暑いわ。……ちゃんと、暑い」


 クオンの腕を抱きしめて顔をうずめ、小さくそう呟いたビビに、クオンは何も言葉を返さなかった。ただ、人としての体温をなくし氷のように冷え切っていたクオンが取り戻したぬくもりを噛み締めるビビを受け入れる。
 無茶をした後遺症だろうか、傷は完全に塞がったが少しだけ低い体温で落ち着いたクオンも、ビビから伝わる暑さは感じるが穏やかに混じり合うぬくもりに目を細めた。同時に、ビビとは反対側─── ゾロが掴む場所からじわじわと広がり心臓にまで至るような熱に、ビビよりもゾロから伝わるものの方が熱く感じるのは、男の基礎体温が高いせいだろうかと、ぼんやりと思った。





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