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 サンドラ河を抜け、一行は昼頃にはエルマルという町に辿り着いた─── が、そこにあったのは、砂に埋もれた廃墟だった。
 真っ先に船を降りて「なんもねぇなここは!」とルフィが言った通り、ほとんどの建物は壊れ、欠け、申し訳程度に生える木は枯れて力なく項垂れている。クオンは物資を背負いビビを抱えて船を降りると初めて見る町を見渡し、人の気配がまったくなく、砂の堆積具合からこの町が放棄されて数年は経っていることと、建物の損傷が経年劣化だけでなく人為的なものであることを認めて被り物の下で目を細めた。


「リーダーを捜すか!!どの辺にいるんだ!?」


 ここがユバだと勘違いしているルフィが言い、砂の地面に足をつけたビビが「違うのルフィさん、ここはまだユバじゃないわ」と訂正する。ここから半日、北西に砂漠を歩かなきゃ、と続けて「半日も!?」とウソップが目を見開いた。





† ユバ 1 †





 ビビとナミがしっかりと上着を着てそれぞれがナノハナの町で揃えた物資を分担して持ち、全員が地面に降りたことを確認したクオンは地図を片手にルフィに説明するビビの声を聞きながら視線を走らせる。近くに人の気配はないが、ビビの故郷アラバスタだとしてもクロコダイルの手に落ちかけている現状のこの国は敵地と言ってよく、警戒はしておいて損はないだろう。

 ここはエルマル。「緑の町エルマル」。その名の通り、かつてこの町は緑にあふれていたのだろう。しかしその面影は微塵もなく、「緑の町?」と疑問符を浮かべるルフィが不思議がるのも仕方がない。地図をしまいながら、ええ、今はね、と返したビビの声は明るくなかった。

 そうして一行がエルマルを出てユバに向かおうとするまでに、突然現れたクンフージュゴンにウソップがボコボコにされたりルフィが勝ってしまって勝負に敗けたら弟子入りするのが掟なクンフージュゴンに弟子入りされたり、なぜか1匹だけかと思った弟子のクンフージュゴンがめちゃくちゃに増えてルフィにお供すると言い張って聞かない彼らにチョッパーが説得して食糧を与えることで手を引かせたりと、町に入る前からひと騒動だった。

 河から現れたクンフージュゴンを不思議がるサンジに、砂に埋もれた町を歩きながらビビがサンドラ河の下流が海に侵食されている事実を話す。
 しかしそのせいでこの町は枯れたのではない。砂漠の国といえど、雨は降る。その雨を利用することで町は生きていた。だが、ここ3年の間にアラバスタ各地で一滴の雨さえ降らなくなってしまったとビビは言う。

 静かに語るビビの手がクオンの腕を掴む。雨がまったく降らず、だが首都アルバーナだけが多く降り、2年前にナノハナで起こった事故でダンスパウダーと呼ばれる緑の粉の存在が明らかになった。
 ダンスパウダーは別名“雨を呼ぶ粉”。同時に他国から雨を奪う代物だ。ゆえに、世界政府ではダンスパウダーの製造・所持を世界的に禁止している。それがこの国に運び込まれたという確かな事実は、首都だけに雨が降っている現実もあって、国民の不信感を煽り、反乱の種を撒いた。その頃から既にクロコダイルの作戦は始まっていたのだ。


(随分と気が長く、そして周到なことですね)


 しかしそれだけに厄介だ。水面下で密かに活動していた彼らの影を捉えることができたのは不幸中の幸いだったといえるだろう。それができなければアラバスタは何も手を打つことができないまま呑み込まれていたに違いない。

 ビビの話では父であるアラバスタ国王にはダンスパウダーの件は身に覚えないものだったが、たたみかけるように知らぬ間に宮殿には大量のダンスパウダーが運び込まれていたという。つまりは、既に王宮内にもバロックワークスの息がかかっているということ。それでは王家がどれだけ国民の信頼を取り戻そうとしても邪魔が入ったに違いなく、その結果、クロコダイルの思惑通りに反乱が起きた。

 腕を抱きしめるビビの手に強く力がこめられ、その身が小刻みに震える。怒りと、悔しさと、悲しみと。伝わる感情を受けとめながらクオンは足を止めたビビを支えるように彼女の手に触れる。砂漠の国の熱が取り巻くさなかで、ビビの手はひどく冷たい。クオンの腕に額をつけたビビが触れたクオンの手を強く握って震える声を搾り出した。


「町が枯れ、人が飢えて、その怒りを背負った反乱軍が無実の“国”と戦い殺し合う…!国の平和も…王家の信頼も…雨も…!町も…そして人の命までも奪って、この国を狂わせた張本人がクロコダイルなの!!…なぜあいつにそんなことをする権利があるの!?」


 戦争とは、正義と正義のぶつかり合いだとクオンは思う。自分達の正義を背に彼らは武器を取り、命をかけて戦う。たとえどれだけ自分本位な正義であろうとも、己のためでしかなくとも、あの雪舞う国で命惜しさに元国王に追従した者達ですら、自身を正とする心があった。
 しかし、この国は。反乱軍には正義があるだろう。策略に呑まれていることに気づいてはいないが、真実枯れゆくこの国を想って武器を取った。
 だが国王軍はまだ動いていない。あくまで暴動の鎮圧を目的として動き、殺気立つ民を決して潰そうとはしていない。まだ耐えているのだ、既に砂地獄に囚われていても、民を、“国”を護ろうとしている。
 彼らの正義は国民だ。それが反乱軍であろうとも変わりはない。ゆえに戦争にはまだ、なっていない。だがそれも、いつまでもつか。


(この現状に留めている王が首を縦に振らない限り、“戦争”にはならない。……しかし)


 クオンの脳裏に浮かぶのはあのオカマだ。Mr.2、マネマネの実の能力者、アラバスタ国王の顔を保持している男。あれがおそらく引き金になる。そしてあの男がアラバスタに向かっていたのだとしたら、その引き金が引かれるカウントダウンは既に始まっていると見てよかった。
 その懸念を、しかしクオンは口にはしなかった。今更不安を煽ったところでできることは限られていて、反乱軍の拠点に行きリーダーにさえ会って話すことができれば、まだ止められる。既にクオンがひとりで「何とかする」と言える状況ではない。


「私は!!!あの男を許さない!!!」


 絶叫するビビの声を、そこににじむ感情のすべてを、痛いほどに手を握られているクオンは被り物の下で目を伏せて受けとめ、雪色の髪と同色の睫毛に縁取られた鈍色の瞳を冴え冴えと煌めかせた。


 ドゴオオオ──ン!!


「!!?」


 ふいに轟音が耳をつんざき、全員の目がそちらを向く。少し離れた場所に立っていた建物が砂埃を上げて崩れ落ちていくのを見て、「─── ったく、ガキだなてめぇら……」とゾロが呆れたように呟いた。同意するようにクオンもまた、壊された建物の残骸を背にこちらへ戻ってくる3人の男達に、被り物の下でやわらかに苦笑した。
 思わず力を抜いたビビの手を離し、呆然とルフィ、サンジ、ウソップを見つめる彼女が噛み締める口元に指を這わす。反射で唇をゆるめたビビを褒めるように乾いた目許を撫で、額にかかる髪を払った。
 元の場所に戻ってきたルフィは、暴れ足りないとばかりに拳を握り、ゴキッと首を鳴らして黒曜の瞳を煌めかせた。


「さっさと先へ進もう。うずうずしてきた」










 砂漠の昼は暑い。というか熱い。地上に陽の光を遮るものはなく、照りつける太陽が容赦なく地上を焼き、乾いた砂に熱が反射するため足元からも這い上がってくる。暑さに加えて、砂という不安定な場、古い砂漠であるほどに細かい砂が積み重なってそびえる砂丘が行く者を阻むようだ。
 最初は気合い十分に歩を進めていたルフィ達だが、当然か、砂漠に慣れていない彼らは疲労を蓄積し顔ににじませはじめた。寒さにも暑さにも耐性のあるクオンは被り物の下でまだましな顔をしているが、それでも微かに疲労の影は浮かべている。
 ユバまで半日、まだまだ先は長い。一歩一歩を確実にさくさくと砂を踏みしめて歩く一行の中で、最初にぱたりと倒れたのは冬島生まれ育ちのトナカイだった。


「暑い……おれもう無理だ……」


 そう言って動けなくなったチョッパーをクオンが抱えて見れば、チョッパーはぐるぐると目を回し、どう見ても歩ける状態ではない。はりゃりゃ、とクオンの肩の上でハリーが小さく鳴いた。
 雪国生まれ育ちのもこもこ毛皮のトナカイにはこの砂漠は厳しいだろう。特に小さな背丈では地面からの照り返しが強く、さらに体力を削っていく。
 倒れたチョッパーを心配そうに仲間達が見つめ、無言で木の枝をロープで繋ぎ合わせてチョッパーが乗せられるサイズの板を作ろうとするゾロを一瞥したクオンは「お待ちを」と声をかけて止めさせた。
 ここでゾロにチョッパーを運んでもらうとなるとゾロの体力を多少は削る。この砂漠もただの砂漠ではなく時折怪物じみた生き物に遭遇することもあるとビビに聞いていたこともあり、できるだけ身軽でいてもらいたかった。それに、この暑さも陽が落ちれば和らぐ。それまでどうにかできればいい。


「船医殿、意識はまだありますね」

「うん……ごめんみんな……」

「いいえ、いいえ。謝る必要などありません。私はあなたを歩かせようとしているのですから」

「は?」

「よーっしクオンその発言は誤解を招きかねないからちゃんと言え!!!」

「おっと」


 倒れたチョッパーに鬼畜なことを言うクオンをサンジが訝った瞬間にウソップが慌てて間に入り、指摘されたクオンは被り物の口元に手を当てて目を瞬かせた。
 ナミのときもそうだが、この執事は大事なときに自分のやることなすこと思ったことを言葉足らずで客観的且つ他人事のように言うきらいがあるので、真実はそうではないと分かっているからこそその癖は矯正した方がいいと心底思うウソップだった。

 こほん、とひとつ咳払いをしたクオンが「船医殿が感じる暑さを多少何とかしますので、どうか頑張って歩いてください」と言葉を紡ぎ直し、よしよしとウソップが満足そうに頷いて、何でそんなプロデューサー面してるの???クオンは私のなのに???と言わんばかりのビビのじっとりとした視線と圧をかけられていることに気づくと慌ててゾロの背中に逃げ込んで盾にした。心底面倒くさそうにゾロの顔が歪む。

 ビビとウソップと巻き込まれたゾロとのやり取りをまるっと無視するクオンの発言から、この浮気性が玉に瑕な、自分が気に入ったものには特に優しい執事には何か手があるらしいと悟った面々の目の前で、クオンは白手袋に覆われた手をひらめかせて3本の細い針を指の間に挟んだ。ルフィがひょいと覗き込んでくる。


「何だそれ?」

凍針こごばりといいます。冷気を封じ込めた針です」


 細く透明な針はほのかに青白く、陽の光に照らされて煌めき、その名の通りまるで氷のようだ。しかしクオンの体温で溶けることはない針は汗ひとつかかず、クオンが針の先端を指で割るとパキンと軽く薄氷が割れるような音が微かに響いた。
 3本の針の先端を割り、チョッパーの服の両脇に1本ずつ、残る1本は背中辺りに刺す。針の先端からこぼれる冷気にあてられ、苦しげなチョッパーの顔がふと楽になった。ぱち、と少し熱が残った目が理性を宿して驚きに瞬く。


「涼しい……」

「試作品ですからね、本作よりも威力が落ちていますのでちょうどいいでしょう」

「いいなー!なぁクオン、おれにもくれよ!」

「残念ですが、それはできません。試作品はこれだけですので。素材に限りもありますからそうそう量産はできない代物ですよ」


 ねだるルフィをつれなく却下し、さぁきりきり歩いてくださいと続けて手を叩くクオンがチョッパーを抱えて腰を上げる。はっとしたチョッパーが慌てておれ歩けるとクオンの肩を叩くも、しっかりと支える手は揺るぎなく、クオンは小さな笑声を被り物の下にとかしてチョッパーにそっと顔を寄せて囁いた。


「今のあなたを抱えていると、冷気の恩恵を私も受けられるのです。少しだけ私に涼しい思いをさせてください」


 その声音は被り物によって低くくぐもり抑揚を削いでにじむ感情をかすませるが、被り物の下にはやわらかな微笑みが浮かび、素の声は悪戯げでありながら優しいことをチョッパーは疑わなかった。
 また先を進み始めたルフィ達の背中を眺め、できるだけ振動を感じさせないよう努めてゆっくりと歩くクオンが試作品といえど貴重な針を惜しむことなく自分のために使ってくれたことにチョッパーはゆるむ口元を両手で押さえる。と、クオンが被るマントのフードの影にいたハリーとぱちりと目が合った。


「はりゅきゅきゅ、りぃ」


 ─── 5分だけだ、いいな。
 チョッパーにだけ分かる、優しいクオンとは違ってクオン以外に厳しいハリーの言葉に、5分もこのままでいていいのかと思ったチョッパーは、このハリネズミも相棒に似て優しいんだなとますます口元をゆるめた。厳しいことを言ったはずなのに締まりのない顔をするトナカイにハリネズミの目が訝しげに眇められる。
 空から降り注ぐ光は厳しくて気温は高く暑い。だが服に刺さった針からこぼれる冷気がそれを幾分かましにして、そろそろとクオンが身にまとうマントに手を伸ばして軽く握ったチョッパーは、ふとクオンの肩口から後ろを見て、


「はいウソップさん、復唱して」

クオンハビビノモノ。ビビノ執事ダカラクオンノプロデューサー面シテイイノハビビダケ」

「船医殿、見ちゃいけません」


 そっと白手袋に覆われた手で目をふさがれた。





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