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 ルフィを先頭に、メリー号へ向かって一目散に駆ける一行の殿をクオンとゾロが務める。後方への警戒は怠らないまま駆けるクオンはいつでもゾロから荷物を投げ渡されても受け取れるように構え、しかし町の喧騒が近づいてこないことを確かめつつ視界にメリー号が入れば少しだけ肩の力が抜けた。


クオン、このあとどうすんだ。島を出るのか?」

「いいえ。船で河から内陸へ入り、そして砂漠へ。あの町に寄ったのは物資の調達のためですので」


 ゾロに問われて淀みなく答える。前方を走るビビが他のクルーにも説明してくれているだろう。頷いたゾロに追手の警戒を任せ、荷物を奪い取るように手にしたクオンは「後は任せました」とひと言残してその場から消えた。
 誰の目にもとまらぬはやさで駆け抜け、メリー号に足をつけて荷物を置く。ひと息つく暇もあればこそ、再び姿を消したクオンはビビとナミの荷物も回収してメリー号へと投げ入れた。気づけば手の中から荷物が消えて驚く彼女らに被り物の下で笑みをひとつ。
 縄梯子を降ろし、その細腕のどこにそんな力が、と思われるほど軽やかに錨を引き揚げたクオンは、能力を使っても首に痛みが走らないことに満足げなため息をついた。





† ナノハナ 6 †





「もう、クオン!無茶しないで!」

「大丈夫ですよ姫様。あの程度、準備運動にすらなりません」


 船から飛び降りるとすぐさまビビに詰め寄られ、さらりと返したクオンは「それでも一応病み上がりなんだからね!」と心配を前面に出して見上げてくるビビの肩を叩いて宥める。今は執事に構っている暇はないはずだとその背をカルーに向けて押せば、カルーに頼むべき仕事を思い出したビビが改めてカルーに向き合った。

 たった今逃げ出してきた町の方を見ていたルフィが、ウソップにさっさと乗れよと促されて船へと向かう。それに続こうとしたカルーをビビが押し留めた。


「カルー待って!あなたにしか頼めない重要な仕事があるわ」


 真剣な顔で見つめてくるビビに、突然のことにクエ!?と驚きの声を上げつつもカルーは居住まいを正した。クオンはビビとカルーから少しばかり距離を取り、クオンが被るフードの陰から顔を出したハリーがつぶらな瞳でひとりと一羽を見やる。手紙を手にしたビビが真っ直ぐにカルーの目を見て口を開いた。


「このまま北のアルバーナへ先行して、父にこの手紙を!これにはクロコダイルとバロックワークスの陰謀、イガラムとクオンと私が調べ上げたすべてが記してあるわ。そして私が今、生きてこのアラバスタに、心強い仲間と共に帰って来ていることが」


 ゆっくりと、噛んで含めるようにビビは語る。ビビに応えて真っ直ぐ見つめ返すカルーの瞳は理知的に輝いている。その目を見て、「……できる?ひとりで砂漠を越えなきゃ」と静かに問いかければ、カルーはクエ!!と力強く鳴き応と答えた。ほっとビビの顔がゆるむ。クオンも被り物の下でやわらかな笑みをこぼした。


「…いい?砂漠ではお水は大切に飲むのよ」


 カルーの首に水が入った小ぶりの樽をさげて言い聞かせるビビにカルーはしっかりと鳴いて頷く。カルーはカルガモだが、とても賢い鳥だ。ビビの一番の相棒と言っていい。その彼ができると頷いたのだから、幼い頃から傍にいたカルーと離れ離れになる不安よりもきっと成し遂げてくれるという信頼を胸に、ビビは人語を解するが話すことができないカルガモに向けて強い瞳を向けた。


「じゃあ父に伝えて!この国は!救えるんだって!!」

「クエッ!!!」


 王女として真っ直ぐに背中を伸ばして立つビビにひと際大きく鳴いて応え、カルーはビビの手紙を携えアルバーナへと向けて駆け出した。と、早速首にさげた水に口をつけて勢いよく飲む様子が見えて「お水は大切に飲みなさいっ!!」とビビの叱責が飛んだ。おめぇもだよ!!!と船の上からサンジの怒声が聞こえて、どうせ船長殿でしょうねぇと苦笑したクオンは、既に小さくなりつつあるカルーの背を見つめたまま、まったくもうと頭を抱えるビビの背を撫でた。


「参りましょう、姫様」

「……うん」

「大丈夫ですよ。私がいます。そして…彼らもいます」


 被り物越しに低くくぐもった声で言い、何も不安に思うことはないと言外に告げる執事を見上げたビビは、そうねと頷いて微笑みを見せた。






 クオンがビビを抱えてメリー号に乗り込み、縄梯子を回収して帆を張ろうとクルーが動き出しながら、それでさっきの男は誰なんだと問われたルフィはあっけらかんと「ああ、おれの兄ちゃんだ」と答えた。


「兄ちゃん!?」

「さっきの奴は…お前の兄貴なのか!?」


 まさかの事実にルフィ以外の全員が驚き、クオンもまた被り物の下で目を瞠ると町を振り返った。
 帆が張られて動き出したメリー号は海を進み、どんどん町が遠くなる。後で追う、と彼は言っていたがまだその姿は見えない。だがルフィは出航に否やはないようで、まぁ能力者であるようだし、何らかの方法で追ってくるのだろうと気にしないことにした。


「まぁ別に兄貴がいることに驚きゃしねぇがよ。何でこの“偉大なる航路グランドライン”にいるんだ」

「海賊なんだ。“ひとつなぎの大秘宝ワンピース”を狙ってる」


 ゾロの問いに、後部甲板の手すりに胡坐をかいたルフィが笑って答える。つまりは海賊王を目指すルフィのライバルでもあるわけだ。兄弟で海賊とは、まぁこの海では特段珍しいことではないが、同じ海賊団ではないのは珍しい方だと思う。
 記憶を辿るように宙を見たルフィは、エースはおれより3つ上だから3年早く島を出たんだと続ける。となると、確かルフィが17歳だと前に言っていたから、エースは20歳ということになる。まだまだ若いが、確かに頼りになる強さだったと渦巻く炎を思い出しながらしみじみと思うクオンは彼よりもひとつ下なのである。


「しかし、兄弟そろって悪魔の実を食っちまってるとは…」

「うん、おれもびびった。ははは」

「ん?」


 サンジの呟きにルフィが朗らかに笑って言い、当然訝ったウソップが疑問の声を上げる。だが問いを口にする前にルフィは再び口を開いた。


「昔はなんも食ってなかったからな。それでも、おれは勝負して1回も勝ったことなかった。とにかく強ぇんだエースは!!」

「……は、船長殿が、一度も?」


 思わず目を見開いたクオンが呆然と呟き、やっぱ怪物の兄貴は大怪物かとウソップが顔を引き攣らせる。
 ルフィは7歳の頃に悪魔の実を食べたと聞いている。それから海に出るために鍛えていたとも。たとえ3年の年の差があったとしても、ルフィが生身の人間である兄に一度も勝てなかったと言うのなら、その頃から彼は相当な強さだったはずだ。あの海兵相手にもまったく引く様子がなかったからそれも当然かと目を細めたクオンは、彼が少なくとも敵になることはないと安堵する。
 クオンの能力は自然ロギア系とすこぶる相性が悪い。加えて今のルフィですら凌ぐ強さを有しているだろう彼とは相対したくはなかった。まず間違いなく、勝てない。冷静にそう分析する。

 被り物の下で難しい顔をするクオンをよそに、ルフィは「そ~~~さ負け負けだったおれなんか!だっはっはっはっはっは」と大口を開けて笑う。過去の対戦を思い出してか潔く負けを認めたルフィは、しかし「でも今やったらおれが勝つね」と根拠もなく言い切って「それも根拠のねぇ話だろ」とゾロにツッコまれた。


「─── お前が」


 ふいに、男の声がその場に響く。クオンはルフィの向こう側、海から大きく跳躍して現れた男の姿に目を瞠った。


「誰に勝てるって?」


 手すりに座るルフィに向かって降り立ち、男─── エースはテンガロンハットを押さえながら不敵に笑ってルフィを甲板に落とした。突然甲板に転がされて驚いたルフィが声を上げ、しかしすぐに背後を振り返って満面の笑みを浮かべた。


「エ~~~ス~~~!!!」

「よう」


 喜色満面のルフィに熱い呼びかけに対し、エースの返しは実にあっさりとしたものだった。成程、確かにこうして見ると兄弟だ。いつになく甘えるようなルフィの顔は弟としてのもの。そういえば、飛びつかれたり撫でろと言われたり、思い返せば弟としてのルフィの側面もあったのかもしれない。


「あーこいつァどうも皆さん、うちの弟がいつもお世話に」

「や、まったく」

(─── 常識人…だと…!?)


 ぺこりと頭を下げて丁寧に挨拶をするエースに、クオンはまるで雷に打たれたような、いまだかつてない衝撃を味わった。
 あの、自由気まま、ゴーイングマイウェイ、冒険となれば目を輝かせて脇目もふらず真っ先に飛び出す、誰にも臆することはないが敬語だとか礼儀だとかとはかけ離れたあの麦わらの一味船長モンキー・D・ルフィの兄なのだからきっと似た者兄弟なのだろうと無意識に思っていただけに衝撃は凄まじかった。大変に失礼である。
 しかし目を見開いてぽかんと口を開けたクオンの表情は被り物に隠されて誰の目にも映らず、クオンの肩に乗ったハリーもまた驚愕に目を見開いていたが、その姿は小さくフードの陰に隠れてやはり誰の目にも映ることはなかった。

 何でこの国にいるのかと問うルフィに答えを返すエースとの会話を流し聞きながら、クオンは改めてエースをまじまじと見た。
 テンガロンハットから覗く黒髪は癖があり、お世辞にも柔和とは言えない、だが強面というわけでもない端整な顔にはそばかすが散っている。上半身には何も纏わず、惜しげもなく鍛えられた肉体をさらして、彼が身につけるいくつかの装飾品が呼吸のたびに小さく揺れた。あの炎のように激しい気性なのかと思いきや、穏やかにルフィと会話をする彼の雰囲気は存外にやわらかい。しかし侮るなかれ、この男はおそらくこの場の誰よりも圧倒的強者だ。
 顔は、正直ルフィには似ていない。だがこの世には似てない兄弟などいくらでもいるため気にする必要はないだろう。ルフィとエースが互いに兄弟だと言うのなら兄弟なのだから。
 などとつらつらと思考をめぐらせていたクオンは、エースの口から飛び出た海賊団の名に目の色を変えた。


「ルフィお前…うちの“白ひげ海賊団”に来ねぇか?もちろん仲間も一緒に」


 白ひげ海賊団。
 2年分の記憶しかないクオンでも、その名は知っている。傭兵時代に散々叩き込まれた、あの赤髪のシャンクスと肩を並べるほど世界中に名を轟かせる海賊の名だ。
 エースの背に刻まれている、町でちらりと見えた刺青マークはその海賊団の海賊旗。即ちエースは彼の仲間ということであり、強大な敵でもあると言える。今はまだ、ルフィと敵対する意思はまったくないようだが。

 エースの勧誘を「やだ」と一蹴し、噴き出して笑ったエースは断られることを分かっていたようで「言ってみただけだ」と軽く返した。白ひげの名を知っていたのだろう、ウソップが目を見開いて「白ひげって、やっぱその背中の刺青、本物なのか?」と訊き、エースは「ああ、おれの誇りだ」と静かな笑みを浮かべて言う。笑ってはいるが、その目に宿る光は真剣だ。彼の誇りを疑いようもない。


「白ひげはおれの知る中で最高の海賊さ。おれはあの男を海賊王にならせてやりてぇ。…ルフィ、お前じゃなくてな…!」

「いいさ!だったら戦えばいいんだ!」


 兄弟でも道を違えている事実を口にし、暗に敵対を示唆する兄に、弟は海賊王を目指す男として、一味を率いる船長として真っ直ぐな目で応えた。
 ルフィは白ひげの名を知らないのだろう。だから目の前の男が最も海賊王に近い海賊の仲間だというのに臆することなく向き合っている。否、おそらく知っていたとしても変わらないのでしょうね、と確信すら抱くクオンは被り物の下で静かに微笑んだ。


「おい、話なら中でしたらどうだ?茶でも出すぜ」

「あーいやいいんだ、お気遣いなく。おれの用事は大したことねぇから」


 サンジの気遣いを丁寧に辞退するエースに、やはりクオンは妙な落ち着きのなさを覚える。ぞわぞわと背筋が粟立つような、だが不愉快というわけではなく、しかし愉快かと訊かれればそれも違う、言語化しづらい感覚だ。ルフィの兄が目の前の礼儀正しい男だという驚愕がまだ尾を引いているのだろうかと、内心で首を傾げて肩に乗ったハリーを撫でてさざなみを立てる心を宥めた。





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