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 秋の盛りのある日、夕食と風呂を済ませ、ソファに腰かけながら快斗が録画してくれていた海外マジック番組を観ていたひじりは、ふいにピリリリと小さく鳴ってメール着信を知らせた携帯電話をポケットから取り出した。向かいに座っていた哀が無言でリモコンを手に取り一時停止ボタンを押す。礼を言ってメール画面を開けば園子からだった。
 ひじりは園子と連絡先を交換しているため彼女からたまにメールが届くことがあるが、こんな時間に送ってくるとは珍しい。件名に「これ超オススメです!」と書かれてあるから緊急事態ではないことは確かで、さて内容はと本文に目を移した。


「『冬の紅葉』?」






□ 園子の赤いハンカチ 1 □






 園子におすすめされたドラマは、結論から言えば面白かった。
 あらすじを聞いたときに興味が引かれたかと訊かれれば否だったが、今度DVDを貸すから観てくださいと頼まれては断る理由がなく。後日園子に約束通りDVDを借り、とりあえず1話をと流せばいつの間にか真剣にテレビ画面に向き合っていて、気づけば向かいのソファに哀も座って同じように観ていた。

 軽く調べるとこのドラマが放送されたのは去年のことで、昭和という時代、戦争、そして男女の身分差をテーマにしながらもメイン2人の揺らがない相思相愛ぶりに、世間では女性を中心に流行ったらしい。
 蘭と園子が好きそうなドラマだ、というのが第一印象。しかしありがちなテーマではあるが脚本がしっかりと練られ、キャストの演技も文句なしに素晴らしく、あちこちに織り込まれた伏線という名の種がひっそりと芽吹いて花を咲かせるさまは素直に感嘆した。

 なぜか遅くとも12月23日までに観終わっていてほしいと園子に言われ、理由を訊いてもはぐらかされたがまだ日数はあるしと、1日1話ずつ観ようと思っていたが「続きは?あるんでしょ」と哀にせっつかれたことで予定より早くに観終わってしまった。良かったわ、と全話観終わったあとに呟かれたのは哀の本心であり心からの称賛だ。


「園子。面白かったよ、このドラマ。哀も良かったって」

「本当ですか!」


 喫茶店ポアロにてDVDを返すついでにお礼をさせてとお茶に誘い、蘭は部活で不参加、コナンは蘭がいないなら遠慮すると大変素直なことを言って子供達と遊びに行き、ひじりは園子と同じテーブルを挟みながら感想を言う。ここが良かった、あそこの表現が上手かったと述べると分かります!と園子が笑顔で同意した。
 そして主人公のひとりである将校がとても格好良いのだと力説する園子にひじりは微笑ましそうに目許をやわらげる。将校は園子がはしゃぐほどには顔が整っており、さらに腕が立ち喋り方も真面目一徹の朴訥で、加えて色黒ときたらひじりでもピンとくる。

 まだ実際に顔を合わせたことはない園子の彼氏も同じような人物であることは聞き知っている。加えて「蹴撃の貴公子」「孤高の拳聖」の異名を持つ400戦無敗の空手家となれば、軽くネットの海を泳げば情報は十分すぎるほど集まるもので。
 いつだったか、バレンタインチョコを作りに山荘まで赴いたあと正式に付き合うようになったとはハイテンションの園子から教えてもらったことだ。それ以前のラブラブ大作戦の効果は薄いようだと嘆いていたが、その実ばっちり効いていたのだとか。
 正式に京極との付き合いを決めた園子にひじりは喜び、新一と蘭も意地を張り合っているが結局両片想いなのだからいい加減くっつけばいいのに、と思うがコナンのままでは難しいかと思い直したのは記憶に新しい。


「それでですね、ひじりお姉様。わたし真さんにメールしようと思って!」

「メール?」


 ドラマの話からいきなり話題が飛んでぱちりと目を瞬かせる。メールと言えば、そういえば「冬の紅葉」をおすすめされたメールに12月23日までに観終わっていてほしい旨が書かれていたことを思い出した。さてはまた何か企んでいるな。


「『今年のイブイブ、冬の紅葉の下で待ってます』って!」

「イブイブ…」


 両手を合わせて輝く笑顔で紡がれた文言の一部をひじりが繰り返す。イブイブ、とはまさかクリスマスイブの前日という意味か。
 成程最近の女子高生はそんな言葉を使うのかとずれたところに感心してコーヒーに口をつける。砂糖とミルクを入れて甘くしたそれを嚥下しながら、京極さんにその言い方で通じるかなと内心首を傾げた。園子が考えた謎めいたメールを読み解くには、まずドラマ「冬の紅葉」を知っていることと、イブイブがいつを示しているのかの2つが分からなければならない。


「……来てくれるかは、ちょっと分からないですけど」


 ぽつり、園子が言葉を落とす。俯いた表情はさびしげに陰っていて、京極がメールの意味が分かるかどうかではなく、強者を求めるいち空手家として外国へ武者修行に飛び出して行った彼が、自分のメールひとつで果たして帰って来てくれるのかを不安に思っていることが窺えた。
 会いたい、帰って来てほしい。電話ではなくて、ちゃんと顔を合わせたい。好きな相手にそう思うことは当然だ、ひじりだって同じなのだから否定できるはずがなく、かと言って会おうと思えば毎日快斗と会えるひじりは園子に何と言えばいいのか分からなかった。

 「待っているから帰って来て」ではなく「待ってます」と自分の意思だけを知らせる園子は、好きな人に会いたいと願う自分に正直だが、同時にきちんと相手を気遣える人間だ。京極真という男のことを正面から見つめて理解しようとして、彼の進む道を邪魔したいわけでは決してない。でも少しだけ、わがままを言わせてほしいのだ。そんな園子だから、ひじりは彼女のことがとても好きだと思う。


「会いたいね、園子」

「うん…会いたい。ダメですよね、だって蘭はもうずっと新一君と会えてないのに、わたしは…」

「それは比べるものではないよ」


 続けそうになった言葉を遮られ、え、と園子が顔を上げる。ひじりは手を伸ばして園子の顔にかかる髪を耳にかけ、真っ直ぐ視線を合わせてほんの微か、何とか園子が判るほどの笑みを浮かべた。


「京極さんに会いたいと思う心はあなただけのもので、彼に対する想いでしょう。大切になさい、誰かに遠慮して胸の内に仕舞いこんでしまったら、いつかそれが癖になって自分の本当の気持ちが分からなくなってしまう」


 もちろん度を越してはいけないけれどねと続け、園子の心臓の上を軽く指で突く。
 親友の蘭を思って園子が遠慮しようとするのは分かる。けれど蘭は蘭で新一に早く帰って来るようにまめに言い聞かせて気持ちを小出しにしているし、新一への電話やメールを受け取るコナンも蘭から連絡があるたびに、まだ蘭が新一を待っていてくれて、彼女の気持ちが自分に向けられているのだと安心していることをひじりは知っている。

 園子の蘭を思う気持ちと、京極を想う気持ちは別だ。それはそれ、これはこれ。何より、園子が自分のせいで遠慮しているのだと蘭が知ったらきっと彼女は怒るだろう。あの子も優しい子だから。


ひじりお姉様も、黒羽君に会いたいって思います?」

「もちろん。いつだって、今だって快斗に会いたい」


 園子の問いに素直に頷く。ひじりの傍には快斗、快斗の傍にはひじりがいるのが当然だと思われるくらい一緒に行動することが多かったとしても、想いは常にあふれ続けて隣にいない彼を恋しく思う。
 快斗の顔や名前を呼んでくれる優しい声音、指先から伝わるぬくもり、そして凭れても倒れることなく支えてくれる肢体も容易に思い浮かぶけれど、同時に本物が欲しくてたまらない。いつだってこの心は焦がれているのだ。


「快斗に会いたい。そう思う私は、ダメかな?」

「そんなこと…!そんなこと、絶対にありえません!!」


 音を立ててイスから立ち上がり、勢いよく首を振って園子が鼻息荒く全力で否定する。ふ、とまたひじりの頬が優しくゆるめられたことを、園子は見逃さなかった。だがすぐにひじりの表情は元に戻り、けれどその目に優しい光を湛えたままとりあえず座ろうかと促され、突然立ち上がって叫んだ自分に集中する店内の視線に気づいた園子が慌てて席に着く。


「私も同じだよ、園子。だから私はあなたの気持ちを肯定するし、あなたの味方だと明言する」

ひじりお姉様…」

「さすがに京極さんが絶対来てくれるとは断言できないけどね」


 そう言いながらもひじりは、園子のチョコを受け取る相手を見極めるためだけに単身山荘のある雪山に乗り込んだことのある男なら来てもおかしくはないなと内心で呟き、けれど本当に来る保証もなかったので口にはしなかった。変に期待をさせて、後々落ち込む園子の顔を重くさせたくはない。


「さ、京極さんにメールをするにしても、甘いものでも食べてテンションを上げてからにしようか。園子、何食べたい?お礼だから遠慮しないこと」


 既にケーキはひとつずつ注文して食べ終えていたが、気を取り直してということで改めてメニューを広げて促す。


「えっと、じゃあ…季節のフルーツケーキを」

「ん。梓さん、注文をお願いします」

「はーい」


 手を上げて顔見知りの女性店員を呼べば元気な返事があって、すぐに伝票を手に長い髪を揺らしてやって来た梓に「青春ですね」と微笑まれる。客の数は多くなく、声を潜めてもいなかったから2人の会話は筒抜けだったのだろう。梓との付き合いは短いがコナン含む毛利家を中心に交流を持っているためそれなりにお互い気心は知れており、気を悪くすることはない。


「可愛い妹でしょう。あげませんよ」

ひじりお姉様…!」

「ふふ、仲が良くて羨ましい。でもそうね、園子ちゃんがひじりちゃんの妹なら、私の方が年上だしひじりちゃんを妹にしようかしら」

「……梓お姉さん」

「やーん、可愛い妹のためにサービスしちゃおう!私お兄ちゃんだけだから妹が欲しかったのよね」


 ひじりが乗ってくれたことが嬉しいのか、でれっと相好を崩した梓は楽しそうに笑うと注文を確認して足取り軽くカウンターへ戻っていく。小さく鼻歌まで聞こえてきて、その場のノリとは言え姉と呼ばれて余程嬉しかったようだ。ひじりも実弟はいるが上にはおらず、何だか不思議な感覚だと思っていればふいにツキンと一瞬頭が痛んで額に指を当てた。痛みは一瞬で後に引くことはなく、そうだひじりお姉様と園子に呼ばれて意識がそちらへ逸れた。


「例のドジっ子転校生の話なんですけど」

「ああ、本堂瑛祐君?そういえば、この間蘭達と一緒に別荘に行くって言ってたね」


 ひじりも誘われたが都合がつかなくて断ったのだ。本堂瑛祐は確か、水無怜奈に似た男の子と聞いている。コナンにあいつには気をつけといた方がいいかもしれない、と阿笠邸に来てそう言われたのはコナン達が帰ってきたあとだ。何となくだけどな、とどうにもはっきりしない忠告だったが受け取ることにして心に留めてはいるけれど、今は深く追わずともいいだろう。
 ひとまず園子の話に集中することにして、ひじりはおもむろにコーヒーカップに手を伸ばした。






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