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 とりあえずは間に合ったようだが、さてコナンはここからどうするつもりなのか。
 空を覆う雲を見上げてもう一度雨が降ってくれないかと目を細めたひじりは、ふと指で肩を叩かれて顔を上げ、こちらではなく別の場所を見ている快斗の視線の先を追って意図を悟った。同時にコナンが足を止めて何やらジョディに話しかけているのを目にする。どうやら考えることは同じのようだ。
 ならば自分達の出番はない。それにサイレンサーは持っていてもこちらはゴム弾銃、ジョディが持っている実弾銃の方が確実なのは間違いなかった。

 ジョディがコナンから離れて行くのを見送り、辺りを見渡しながらコナンが携帯電話を取り出してボタンを押す。同時にマナーモードにしていたひじりの携帯電話が震えた。成程、先に来ているはずのひじりがこの場にいないから気になったか。
 まさか快斗が一緒にいるとは思わないようで、顔を変えて傍にいることには気づかず、ひじりが電話に出ないことにくそっと小さく悪態をついたコナンから視線を外してひじりは土門と水無へと視線を据えた。






□ ブラックインパクト 4 □





 民衆の土門コールに困った顔をしながらも握手には何人かに応える土門に、水無がインタビューをそろそろとベンチに促す。
 人の壁に紛れてひじりと快斗はジョディを視線だけで追い、彼女がまずひとつのスプリンクラーを撃ち抜くとほぼ同時、快斗のポケットから爆音が流れてぎょっとその場全員の目が向いた。

 ジョディはサイレンサーを持っているだろうが、スプリンクラーを撃ち抜くのなら当然銃弾が当たったときに金属音が響くのは免れない。1発目は表情を見る限り水無に気づかれたようだが、続いた2発目3発目はうまく紛れたようで、視線と意識を集めた快斗が慌てた素振りでポケットの中から盛大な音を鳴らす携帯電話を取り出して周囲に頭を下げながらその場を離れて行く。ここは別行動だ。ひじりは上着のポケットに入れておいた携帯電話の通話ボタンを切る。

 すぐに快斗が扮する特徴のない男のことなど忘れて人々の目が土門に戻されると同時、ぽつりとひと粒の水が降ってきた。
 突然の雨に、その場にいる者達は慌てて傘を広げる。ひじりは傘を持っていないため留まるわけにはいかず近くの木の下に入り、スプリンクラーによる雨だけでなく本物の雨が降ってきていることに気づくとコナンとジョディが土門と水無を注視している隙を狙い、走ってその場を去った。こうなってはジン達も一旦態勢を整えるために退くだろう。

 快斗が去って行った方へ足を進めれば、どうやらスプリンクラーの故障を伝えるため水道局へ連絡をしていたようで、快斗がちょうど通話を終えて切ったところだった。
 視線を合わせて目だけで頷き合う。そのまま駐車場へと歩いて無言で赤井の待つ車へ戻ろうとし、ふいに足を止めた快斗が自分の身で隠すようにしてひじりの前に立った。


「わぷ」


 突然のことにつんのめり顔を快斗の背中にぶつけて思わず小さく声を上げる。それと同時、聞き慣れたエンジン音が耳朶を打った。


(─── ジン)


 黒いポルシェに乗る彼は、風景に溶けこんだ男女の片方がかつての“人形”であることには気づかぬまま離れて行く。
 ひじりは快斗の服を握り背中に額をつけ、完全にエンジン音が聞こえなくなるまで動かなかった。


「…戻りましょう」

「うん。ありがとう」


 誰が聞いているかも分からないため名前を呼ぶことはなく、けれど伝わったことは指を絡めて繋がる手が教えてくれて、快斗の背中から離れたひじりは快斗に手を引かれるまま足を踏み出した。






 ただいま戻りましたと車内へ入るとすぐにタオルが手渡され、礼を言って変装マスクを外し滴る水を拭う。服はいくらか雨を吸って湿っているが上着だけで特に問題はない。髪をタオルで拭いながら快斗が外を見る。


「あいつらは諦めたんでしょうか」

「いや、それはない。与えられた任務は余程のことがない限り変更されないからな」


 潜入捜査官としての言葉に快斗が眉を寄せる。ひじりはだろうねと納得した。
 ひじりが赤井から受信機を返されて受け取りながら何かコナンから情報は得られたかと問うと、赤井は考え込むように少しの沈黙を挟んだ。


「あのボウヤが水無怜奈…キールと接触した。どうやら彼女の脱げた靴をボウヤが拾ったときにかち合ったようだが、盗聴器と発信機には気づかれてはいない」

「あっぶな…」

「それと、彼女がテレビクルーから離れて別行動を取るようだ」


 それならば土門暗殺は後日ではなく今日中に再度実行される可能性が高い。
 ひじりがまたコナンに仕掛けた盗聴器からの情報を待つかと返してもらった受信機に視線を落とすと、ふいに車内に着信音が響いた。その発信源は赤井からで、懐から取り出したそれを一瞥する赤井の後ろで一応受信機のスイッチを切る。それを横目に見て電話を取った赤井だが相手からの言葉をただ黙って聞き、どうやら漏れ聞こえてくる声を聞くとジョディからのようだ。


「…そうか」


 やがて話を聞き終えたか、それだけ返すとすぐに電話を切る。さすがに電源を切ることはなかったがサイレントモードにし、赤井は再びかかってきた電話を無視した。この分ではボスたるジェイムズの電話すら取っていない可能性がある。うちの師匠(仮)がすみません、とひじりと快斗は内心でFBIメンバーに頭を下げた。
 ジョディからの電話は自分達が得た情報と変わらないようで、では新しい情報でも得ようかとひじりが再び受信機のスイッチを入れる。

 赤井は協調性がないと言うよりも、警戒しているのだろう。あの埠頭でベルモットを追い詰める際に仲間に化けられて撤退させられたことから、今回も土門暗殺にベルモットが関わっている以上、FBIの存在に気づかれ二度目がないとは限らない。
 情報の共有と互いの状況把握は当然メリットがあるが、個の意識を持つ人間である以上完全な思考統一は不可能であり、致命的なミスに繋がった経験が赤井の単独行動の原因だ。日本の警察組織なら咎められるどころではなさそうだが、そこは流石アメリカ組織と言ったところか。まぁそれが許される実力と、そもそもの性格もありそうだけど、と思いはしても口に出すことはしない。鍛錬メニュー3倍地獄はもう嫌だ。


『悪ぃ、水無怜奈に見つかっちまった』


 受信機から聞こえてくる声に3人は意識を向けて耳をすませる。
 哀は水無に追っていることがバレたのかと焦るがコナンは誤魔化せたと思うと返し、発信機にも盗聴器にも気づいてなかったと続けた。
 水無がテレビクルーと別行動を取ったことでコナンとジョディもジン達がどこかに集まって次の計画を実行するつもりだろうと推測したようで、さすがにここから先も一般人である博士や組織が狙っている哀を連れ回すわけにはいかず、FBIに任せて帰るようジョディが説得する。コナンは借りて行く、と聞こえてひじりの目が一瞬据わったが、公園では間に・・合った・・・こととまだ今回の件が終わっていないことから、すぐに剣呑な光を散らした。

 組織と相対するコナンの覚悟もその手腕や推理力も身に染みて分かっているというのに、快斗に言われた通りこれでは過保護と言われても仕方がない。それもこれもコナンが全幅の信頼と信用を寄せて姉として慕ってくれるからで、それが嬉しいとも思うから、元より蘭含めた年下の幼馴染に弱いひじりは誰にも気づかれないよう小さくため息をついた。
 その間も受信機の向こうでは話が続けられており、コナンを連れて行くと言うが追跡に使う車は、と問うた博士に「No problem問題ないわ…」とジョディが返すと同時、すぐ近くに一台の車が停まった。ジョディ曰く「私のボス」ことジェイムズが直々に運転手となってくれるらしい。


『じゃあ博士、おっちゃんと蘭を頼む!うまいこと博士ん家で匿ってくれ!』


 コナンの頼みに博士がああと頷く。確かに、それならば探偵事務所は無人となり、発信機と盗聴器に気づかれたとしても2人の命の危険は減るだろう。
 そこまで聞いたところでふいに赤井がエンジンをかけて公園の駐車場を出る。コナンもジョディと共にジェイムズの車に乗り込み、赤井の車には気づかぬまま違う方向へと走って行く。仕掛けた発信機からジン達の後を追うのだろう。


「ジェイムズが合流したなら土門康輝やすてるに関してはあちらに任せる。ひじりのお気に入りのボウヤもいることだ、異論はないな?」

「ええ。今度は私のお願いを聞いてもらいますよ」

「約束だからな」


 鼻を鳴らして笑う赤井が車を走らせる先は米花町。小五郎と蘭を阿笠邸に呼び寄せたのなら毛利探偵事務所は無人ではあるが、コナンが回収する前に発信機と盗聴器に気づかれた場合、彼らは必ず来る。それに備える必要があり、そのためには迅速な行動が不可欠。毛利探偵事務所に現れないかもしれないが、それならそれでいい。コナンが協力しジョディとジェイムズが組織の行動を読んで土門康輝の暗殺を防げば、後々発信機と盗聴器に気づかれたとしても自ずとFBIの仕業だとみなされるだろう。


「そういえばひじりさん、コナンに仕掛けた盗聴器、試作品だって言ってましたけど特に不備はないようですが」


 感度も良好のままですし、とコナンとジョディ、そしてジェイムズの会話を発する受信機を見下ろす快斗に、言われてみれば言っていなかったなとひじりは自分の失念に気づく。


「機能自体は本作と何も変わらないんだけどね、製作の過程で博士が内蔵バッテリーのコネクタを作るのを忘れた上に、交換もできないよう完全にふさいじゃって…」

『ベインB?それが次の暗殺場所なのかね?』

『うん、時間は─── ブツッ

「こうやって電池切れを起こしたら終わりなんだ」

「あっ反応が完全に消えた」


 快斗がうんともすんとも言わなくなった受信機を振るが、それで電池切れを起こした盗聴器が復活するはずもなく、頼むぜ博士~とぼやきつつも、これで完全にコナンの様子を窺えなくなったが仕方ないと諦めた快斗はため息ひとつついて思考を切り替える。

 ひじりは座席シートの背面ポケットに入れてあった地図を開いて米花町周辺の地理を確かめ、「赤井さん有効射程距離は?」「700程度なら外れん」「化け物かな?」「シッ、快斗本当のこと言ったらダメ」「本音が何ひとつ隠せていないな」と和やかな会話をしながら赤井に狙撃ポイントの最低条件を聞き、携帯電話で調べて適当な建物にチェックを入れていく。あとは現場の状況を見て赤井に決めてもらえばいい。

 米花町で高速を降り、まずは毛利探偵事務所の近くを通ってもらい、事務所の窓際に座る小五郎を狙うならやはり向かいのビルになるだろうと意見を一致させ、いくつかピックアップ箇所を絞ったひじりは赤井に近道を教えて案内をする快斗の横顔をおもむろに見上げる。


(─── どうか)


 愛する人に黒い手が伸びないことを、いるかも分からない神に祈りたい気分だった。






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