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 ピリリリ、とひじりの携帯電話が再び鳴った。それはコナンではなく赤井からで、すぐに通話ボタンを押して用件を聞く。


『黒羽はそこにいるな』


 問いのていを取っていながらただの確認事項にYseと答える。車のエンジン音が外と電話の向こうで二重に聞こえて、すぐに出ますと短く言って通話を切った。






□ ブラックインパクト 3 □





 パソコンをシャットダウンして荷物を手に快斗と共に阿笠邸を出ると、門前には見慣れたシボレーが一台。運転席に座った赤井に一瞥をもらって後部座席に乗り込むと「時間がない、飛ばすぞ」とひと言落としてアクセルが踏まれた。
 コナンに仕掛けた盗聴器から情報が入るたびに赤井へ流していたひじりは「エディPがどこか判りましたか?」と問い、愚問だとばかりに鼻で笑った赤井の答えは肯定でしかないと分かっていた。そうでなければわざわざ迎えになど来ないだろう。


「本場を知っているから地図を見ればすぐに判った。だが俺の仲間を呼び寄せるには場所が悪い」

「間違っても銃撃戦は絶対NG。そこで私と快斗を通行人に紛れさせて暗殺を防げと?」

「俺はあちらに顔が割れてる。加えて黒羽の変装術を受けるには経験も心得もなさすぎることくらい分かっているだろう、お前達が適任だ。ああ、毛利小五郎に奴らの銃口が向けば上手く逸らすことは約束しよう」

「…OK。元より黙って見過ごすつもりもありませんでしたし」


 ひじりが承諾して役割が決まる。赤井が前を向いたまま助手席に変装道具を用意していると言い、ひょいと後ろから顔を出した快斗が変装道具一式が詰められた箱を取った。
 箱は快斗が抱えられるほどの大きさで、中身は最近FBIの要請で使う機会があるかもしれないからと快斗がハケひとつでさえメーカーを指定して揃えさせたものだ。ひじりには分からないが、快斗曰くどうせ新品を使うなら慣れたメーカーの物の方が狂いが少ないとのこと。
 化粧道具箱の中身をひとつひとつ確認した快斗が満足そうに頷く。お眼鏡に適ったようだ。そんじゃ早速、と呟いてさくさく変装マスクを作り上げる過程は何度見ても飽きることがない。


「今度俺もご教授願いたいところだな」

「マジックのタネは基本的に門外不出ですよ」


 バックミラー越しに変装マスクを作る手元を一瞥した赤井の呟きに、快斗が即座に返す。肩をすくめた赤井が「残念だ」と返した言葉は軽いものだったが本音が滲んでいて、確かに誰の顔にもなれる変装術は喉から手が出るほど欲しいものだろう。その技術も見込んで“協力者”として快斗を買ったのだから。

 高速に乗り、さらに速度を上げた赤井が車を次々追い抜いて行く。この分なら決行時刻の13時には間に合いそうだと腕時計で時間を確かめたところで、コナンはエディPが解けたかが気になった。
 ひじりがコナンに仕掛けた盗聴器の受信機のスイッチを入れると、小さな雑音のあとコナンの声が聞こえてくる。


『…を左に折れて高速に乗ってくれ!』

『高速?じゃがあれに乗ると日売テレビから随分と離れてしまうぞ』

「お、あいつも判ったみたいですね」

「けど、今から高速に乗っていたら間に合わない。…まぁ間に合わなかったらそれはそれで、私は構わないけどね」


 言いながらひじりは後部座席の足元に隠して置かれた銃をふたつ手に取り、両方ともゴム弾銃であることを確かめ、ひとつを快斗に渡して慣れた手つきで同じく隠されていたショルダーホルスターに銃を仕舞って上着で隠した。快斗もまたひじりと同様にして隠し持ち、再び変装マスク作成へと戻る。


「よっし、完成」


 早い。もうできたのか、と思わず振り返ればにんまりと笑う快斗と目が合った。三水吉右衛門の絡繰屋敷でも変装マスクを作り上げるのに大した時間はかからなかったが、今回は特に早い。まだ10分も経っていない。


「前に見たことのあるひとの顔をベースに作ったんで、完全オリジナルの顔を作るより早くできますよ。それに特徴のない顔にすれば尚更短縮できる」

「快斗が凄すぎて逆によく分からない」

「オレなんてまだまだですよ、親父ならもっと早く上手く作れる」


 そう言って苦笑しつつも向上心をくもらせず目標に手を伸ばして目を輝かせる快斗に、その歳でこれなら十分すぎるとひじりと赤井の内心の声が揃う。しかし口に出すことはついぞなく、作ったばかりの変装マスクをひじりに渡し、今度は自分の分に取り掛かる快斗を横目にひじりはマスクをつけた。接着面を整えて手鏡を覗きこめば、成程確かにどこか見覚えのある、けれど特筆すべきポイントのない女の顔がそこにあった。これでは実際に目にしてもすぐに記憶から薄れていくだろう。

 杯戸公園に着いた頃には快斗も自分の変装を終えていて、最後にスクエアの眼鏡をかけて準備完了。ひじりと快斗は互いの変装具合をチェックし合い不備がないことを確かめた。
 受信機から聞こえてくるビートルのエンジン音から、まだコナン達はここに到着していないことが判る。水無達もまだ着いておらず、先回りはできたようだ。
 赤井に受信機を預け、一般人に変装した2人は車を降りて公園入口へと駆け足にならないよう歩く。


「───……」


 ふ、と鼻先を掠めた匂い・・に思わずひじりの足が鈍る。無意識に首をそちらへ振り向かせようとして、右手を握られやや強めに引かれたことで足が強制的に前へ動いた。


「行こう」

「……うん」


 足を止めそうになる自分の手を引いてくれる快斗の手を握り返し、振り切るようにしてひじりは遠目に見えた黒いポルシェに背を向けた。






 公園内に入り、適当に散歩しているふうを装いながらキャンティとコルンのいる位置を探す。彼らが雨を気にしていたことを思い出して視線を滑らせればすぐに見つかり、ひとりはビルの屋上、もうひとりは別のビルの給水タンクの下にいた。あの2ヶ所から撃って確実に獲れる、ふたつの射線上は─── あそこだ、公園のベンチ。

 先に座って妨害しようかとも思ったが、それではターゲットの位置がずれるだけであまり意味がない。ではどうするか。ここで幸いと言えるものは、ジンがターゲット以外の無駄な殺しをあまり好まないことだ。
 死体が多ければ多いほど面倒なことになる。犠牲者は最小限、証拠を残さず速やかな撤退が基本であるなら、今回はそれを逆手に取る。

 短い着信音と共に赤井からメールが届く。水無含むテレビクルーと土門の到着、次いで都合の良いことにひじりと快斗が歩いて来た方から一同がやって来ることが2通目のメールに書かれていた。


「木を隠すなら森の中とは言うけれど」

「成程、周りに人がいればそれだけ指は重くなる、ということですね」


 ひじりの言葉をすぐさま理解した快斗が小さく笑う。ベンチはスルーして歩き、キャンティとコルンの視界からも外れたところでも足を止めないまま、周囲に人がいることを目だけで見回して確認した快斗が声を変えて口を開いた。


「まさかこんなところに土門康輝がいるとは思わなかったな!やっぱテレビと本物は違ぇぜ!」


 やや興奮ぎみに大振りの仕草でひじりに話しかける快斗に、ひじりはこくこくと何度も頷いて「テレビの取材かな、水無怜奈もいたね」と声を張る。2人の会話を耳に入れた周囲の人間達が振り返り、男女カップルが歩いて来た方向へ興味深げに視線と足を向ければ仕込みはOK。
 あとは組織に気づかれないよう、ルートを変えて同じように2人は声を張った。


「なぁ知ってるか?水無怜奈が土門康輝にインタビューしに来てるらしいぜ!」

「あっちのベンチの近くにいたね、本物はやっぱり違った!」

「─── え?土門さんが?」

「水無怜奈って、確か日売テレビのアナウンサーだったよな?」

「インタビュー?マジ?」


 ほどよくざわつく周囲に紛れ、この程度でいいかと口を閉ざした2人は暫く歩いてくるりと踵を返す。人の波に乗りながら土門と水無が視界に入るところまで戻ると同時、正面から怖い顔をしたコナンとジョディの姿が見えた。






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