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 ひじりが赤井へ打ち終えたメールを送信すると同時、盗聴器の向こうで何を考えたか、ビートルを飛び出したコナンがその瞬間ジョディと出くわした。
 コナンは突然目の前に現れた知り合いのFBI局員になぜここにと問い、ジョディは隠すことなく理由を話した。それはひじりが想像した通りで、水無の家へ引き返すコナンの怖い顔を見たジョディは水無の追跡を続行したが、途中撒かれていることに気づき深入りをやめてコナンの方へと単身接触を図ったらしい。

 ジョディは一度あとはFBIに任せて家に帰るよう促したがコナンが素直に聞くはずもなく、むしろ何か当てがあるのかと問われれば、ジョディは詳しくは話せないと前置いて水無が今日3人に接触する情報を得ていると教えた。その3人の内の誰かが組織と関わりがあり、何かの取引か情報交換がされるのではないかと。

 コナンはそれに、取引ではなく午後1時に暗殺するつもりなのだと話し、当然ジョディはどうやってそんな情報を得たのかと問い、コナンが偶然水無の靴の裏に発信機と盗聴器がついてしまい今もそれから情報を得ているのだと言いかけたところで、どうやら水無の車がすぐ近くを通ったようで慌ててジョディを車内へ引っ張り込む様子が窺えた。


 ピリリリ


 ふいに短い着信音が響く。メールだ。ひじりは手に持っていた携帯電話のメール画面を開き、1通の返信メールを視線でなぞった。


『良い子にしていろ』






□ ブラックインパクト 2 □





 ひじりは常の無表情とは違って親しい人間に対する情が深いということは赤井にも気づかれているようで、それ故の「待て」なのだろうと解釈して納得はしたが、文面がまるで子供か仔犬に対する扱いだ。一瞬自分が成人女性であることを忘れてしまいそうになるほど自然な対応に、この人も素が出てきたなと思うくらいで不愉快になることもなく、ひじりは指示通りソファに深く腰掛け直した。


『ところでさジョディ先生。ひじり姉ちゃんは一緒じゃないの?』

ひじり?どうして彼女が?』

『隠さなくていいよ。ボク聞いたんだ、ひじり姉ちゃんがFBIに協力してるってこと。博士も灰原も知ってるよ』

『……そう。でも残念、ひじりとは別行動よ。と言うより、ひじりは確かに私達に協力してくれてるけど…正確には局員のひとりの私兵みたいなもので、主にその人の指示で動くから今もそうかは私には分からないわ』

『へぇー……そうなんだぁー…』


 受信機から聞こえてくる低い声に、コナンが言外に「ひじりオメーどういうことだコラ」と言っているのがひしひしと伝わってきて、目の前にコナンがいるわけでもないのにひじりはすいと目を逸らした。
 嘘は言ってない。コナンの前ではジョディと共に行動していることばかりだったから敢えて赤井の存在は伏せて話さずコナンの思い違いを訂正しなかっただけで、以前コナンに話したことの中で嘘は何ひとつついていない。
 快斗が同情するような視線をくれたが、その目は「後々のコナンによる追及は免れません諦めてください」と雄弁に語っていて、ひじりはデスヨネーと遠い目になった。

 ひじりのことはあとでシメる、もとい今は横に置いておくことにしたようで、それきり話題にせずコナンは博士に追うのかと問われて否と答えた。水無の車を追うことはせず、まず3人のターゲット候補から本命を見抜き先回りすることを優先することに決めたようだ。

 ターゲットネームはDJ、場所はエディP。それだけ聞いてはひじりも快斗も何のことか分からず、コナンがジョディにターゲット候補の3人について詳しい情報を求め、少しの沈黙を挟んで答えたジョディによると、水無がインタビューするのは今度衆議院選に初めて出馬する3人。

 1人目、常盤 栄策。これまで数々の新薬を研究開発してきた、帝都大学薬学部教授。
 2人目、千頭せんどう 順司じゅんじ。資産家の御曹司且つ人気俳優にして、当選すれば二世議員となる。
 3人目、土門 康輝やすてる。元防衛庁官僚の父を持ち、自らも自衛隊幹部だった男だ。


「イニシャルはねーか…」

「DJと聞くとクラブを連想するね」


 3人の名前を聞いて快斗が唸り、ひじりが呟く。
 DJは正式名称ディスクジョッキー。語源はディスク、つまりレコードを取り換えながら次々に曲をかける様子を、レコード盤を乗りこなす競馬騎手になぞらえたところからきている。
 だが3人とも音楽やギャンブルにはまっている様子はないとジョディが呟く。


(DJ、クラブ、音楽、ギャンブル───)


 瞬間ひじりが僅かに目を瞠るのと、快斗が無言で手の内に1枚のトランプカードを出現させたのは同時だった。
 ダイヤジャック。それが組織のターゲット。

 ダイヤは財産やお金を意味しているが、ジャックの意味は廷臣か兵士。王子または息子の意味を持たないため千頭は除外。そうなると3人の中で一番のお金持ちである千頭が消えて候補がいなくなるが、ならばダイヤが持つもうひとつの意味で考えればいい。
 占星術的にダイヤが持つ性質は“地”。つまり元自衛隊幹部であり、尚且つその名に“地”を示す文字が刻まれている土門康輝がターゲットということだ。あとは後援会事務所に電話をかけてHPに載っている彼が行くゴルフ場を聞き出せば先回りできる。

 時計を見れば既に11時を回っている。狙撃予定時刻の13時までまだ時間はあるが、組織のターゲットが判ったからと言って油断はできない。不測の事態はいつでも頭に置いておくべきだ。


『─── え?分からない?どういうこと、ゴルフ場に行くんじゃないの?』


 ジョディの驚いた声を聞いて、土門が予定とは違う行動を取ることを悟ったひじりと快斗はすぐに思考を切り替えた。今考えるべきはエディP、土門康輝を狙撃する場所だ。
 ジョディが後援会員に土門の身の危険を訴えるも軽く流され切られたようで、コナンが発信機から水無が潮留の日売テレビ局にいることを確認し、おそらくクルー達と合流して一緒に行くつもりなのだろうと言いかけたところで、何か聞こえてきたのかふいに言葉を止めた。しかし結局エディPに関わる有益な情報は得られなかったようだ。


「エディPか……ん、ひじりさんちょっとパソコン借りますね」

「快斗?」

「発想の逆転ですよ。不明地点X=エディPの答えを求めるのではなく、どのポイントならエディPと呼べるか…大丈夫、情報は揃ってます」


 パソコンの前に座り、東都中心部の地図を画面に表示させて快斗が不敵に笑う。
 まず、現時刻は12時14分。既に水無を乗せたテレビ局のワゴン車は出発しており、狙撃時間は13時であることから、それに間に合うように水無は現場に着かなければならない。つまりは高速に乗ったとしても1時間以内に着く場所と絞り込める。
 キッドとして毎回状況に応じて複数の逃走ルートを考える必要がある快斗は慣れた手つきでおよその区域に絞り、目だけでひじりを振り返って「そしてここから獲物を仕留めるにうってつけの“狩り場”選びです」と笑った。

 ひじりは瞼を下ろして思考する。考えるのはターゲットを確実に撃ち抜く方法。
 狙撃をするなら“狩り場”近くに背の高い建物が不可欠だ。それも屋上からでも確実に射殺できるよう高すぎないもの、スナイパーがキャンティとコルンの2人であるなら狙撃ポイントを2ヶ所は確保できる場所。
 ターゲットを射程範囲内まで誘い出す者、そして状況を確認し指示を出す者も必要だろう。つまりターゲットを撃ち抜くに必要なのは3組、最低3車両。任務を終えれば速やかにその場を去る必要があるため固まっての移動や駐車は目立って危険であり、つまりはそれなりの広さと常に車が出入りする場所が望ましい。
 暗殺方法は狙撃。駐車場が広く人がいるということは相応の面積のある屋外施設。さらに速やかな撤退に欠かせない交通網。それらの条件が揃う場所は───


 ピリリリ


 ふいに電話の着信音が響き、ひじりは目を開けて携帯電話の画面に表示される名前を見下ろした。


ひじりに訊くの?』

『ああ、あいつなら何か知ってるかもしれねーからな』


 受信機から哀とコナンの会話が聞こえ、ひじりが通話ボタンを押す前に快斗が受信機のスイッチを切る。コナンの電話に出ると同時、ひじりより先に電話相手の確認もしないままコナンが口を開いた。


『なぁひじり、エディPって分かるか?』

「……いきなり唐突だね」


 そしてこのやり取りは2回目だ。あのときはP&Aの暗号は無事解けたようだが、果たして今回はどうだろうか。
 電話をハンズフリーにしてパソコンデスクに置き、ろくな説明もなければ意味が分からないと返してコナンが組織のことで動いていることは把握していることを伝えると、偶然が重なって得られたと言う情報を聞く。それはコナンに仕掛けた盗聴器から聞いたことと殆ど変わらず、コナンの説明を聞きながらひじりは快斗と目を合わせて答え合わせを誘った。静かに笑みを深めた快斗もどうやらエディPと称する場所が判ったようだ。
 縮図はそのまま、パソコンに表示された地図に小さく書かれた杯戸公園を2人は同時に指差す。無音の答え合わせを終え、ちょうど説明を終えたコナンに意識を戻した。


「DJがダイヤのジャックなら、エディPも何らかの略でしょう」

『略?』

「ベルモットの言う“歴史”ある“狩り場”が日本にもあるってこと」

『日本にも・・…?おいひじり、オメーまさか判って…!』

「─── 悪いけど」


 背筋を伸ばし、パソコン画面から窓の外へと視線を移す。いつの間にか雨は上がっていて、雨音が消えた代わりに車のエンジン音が聞こえた。


「私はに危険な目に遭ってほしくはないから、色々とバレた今手段は選ばないよ。でもあなたの覚悟と決意をないがしろにすることもできないから、として元“人形”として言わせてもらう。
 ─── 今回の件、間に合わなかったら二度と組織に関わるな」


 抑えつけるような声音はどこまでも冷たく、初めて自分に向けられた声の冷たさに電話の向こうでコナンが息を呑む。


「まるで二重人格者・・・・・を前にしたような反応だね。けどこれが私、工藤ひじりだから覚えておいて。……私は私で動く。さて、あなたはどうするか─── 訊くまでもないことだろうね、名探偵?」


 見間違えかと思うほど小さな笑みを浮かべ、答えを聞く前に通話を切ったひじりに快斗は「過保護ですね」と少し呆れ混じりに肩をすくめた。「そのくせヒントを与えるだなんて」と苦笑して続けられ、ひとつ瞬きをしたひじりは仕方ないと返す。


「新一なら何が何でもやり遂げる。あの子はそういう子だと私は知っているから」






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