250
「水無怜奈?」
「日売テレビのアナウンサーよ。
ひじり、知ってる?」
「ええ、テレビで見るくらいですが。けど、ジョディさんからその名前が出るとは思いもしませんでした」
「その彼女がね、ベルモットがDr.新出に成りすましてから彼の病院に通い詰めているようなの。何かあると思わない?」
「つまり?」
「水無怜奈が組織の人間かどうか、教えてもらえるわよね」
□ ブラックインパクト 1 □
哀の一件以降、
ひじりが無条件でFBIに自分が知る組織の情報全てを差し出すつもりはないと悟ったジョディに詰問されたのは記憶に新しい。
ひじりはそのとき首を横に振り彼女が組織に関わっているかは分からないと正直に答えた。確かに
ひじりはジンの傍にいたが、だからと言って組織の人間全てを記憶しているわけではない。コードネーム持ちはある程度知っているが、実際に顔を合わせたことのある人間は少なく、殆どはジンとウォッカが
ひじりの前で漏らした情報だけだ。
しかしジョディは
ひじりの言葉が嘘か真か判別がつかなかったようで、また微動だにしない表情からは何も読み取ることはできずにとりあえず一旦は信じることにしたらしい。お互いさまだからね、と苦笑したのは
ひじりと快斗を自分達FBIのいいように使っている自覚があるからだろう。それこそお互いさまだと言うのに。
「私達は暫く彼女を張ることにするわ。何かあれば手伝ってもらうわよ?」
そう、お茶目にウインクして笑うジョディを
ひじりが思い出したのは、雨が降ってきたことに気づいてそのままぼんやりと窓の外を眺めていたときだった。
今日は仕事もなくのんびりとできる1日で、しかしふいに鳴った家の電話を博士が取り、電話相手のコナンから何を聞いたのか突然「な、何じゃとぉ!?」と驚愕に叫ぶ声を聞いてぴくりと指が震えた。鼻を掠める
匂いが強くなった気がしたのは、決して勘違いではない。
ひじりは窓から電話の子機を持つ博士へと視線を移す。パソコンの前に座っていた哀は突然叫んだ博士を何事かと振り返っていたが、博士の電話の相手がコナンであることからまた何か厄介事かと半眼になっていた。
コナンから何を言われたか、哀をちらりと見て曖昧に返事する博士に、どうせ哀には知らせるなとでも言われたんだろうなと
ひじりは内心呟く。
博士の反応、そしてコナンが哀を関わらせたくないらしい様子から察するに、間違いなく組織関連だ。
ひじりが感じるジンの気配がそれを裏付ける。今度はいったい何を見つけてしまったのやらと短いため息が漏れた。
「で、新一は組織の何を見つけたって?」
「偶然が重なって黒ずくめの仲間を…あっ」
「成程」
ひじりの問いにあっさりと口を割ってしまった博士が項垂れるのを視界に入れながら「水無怜奈?」とひとりのアナウンサーの名前を出せば博士が目を見開き、それが何よりの答えだった。どうして急に画面越しにしか見たことがないはずの彼女についてジョディと話したことを思い出したのかは分からないが、博士の反応を見るに虫の知らせというものだったのかもしれない。
コナンに急いで拾うよう言われたことを思い出して慌てて車の準備に走る博士のあとに無言で続く哀を見送り、博士の発明品ボックスから試作品の小型盗聴器を取り出した
ひじりは2人を追って庭へと出た。
ちょうど博士がビートルのエンジンを入れたところで、ロックをかけられる前に哀が後部座席に乗り込み、「あ、哀君…!」「何?私がついて行くことに文句あるっての?」「ないです…」と力関係が窺える会話を聞きながら
ひじりも後部座席のドアを開ける。
「あら、
ひじりも行くの?」
「今回はやめておくよ。ジンが近くにいるときに一緒にいるところを見られるわけにはいかないからね」
「……そう」
ジンと聞いて顔を強張らせた哀の頭を撫で、だからこれをと耳元で囁いて博士に気づかれないようシートの死角で哀に盗聴器を渡す。驚いて目を瞬く哀にコナンにこっそり仕掛けることを小声で頼み、これ以上コナンを待たせるわけにもいかないため返事を聞く前に博士へ出発するように言ってドアを閉めた。
「私は私にできることをする。だから、あなたはあなたにできることを。そう伝えて」
閉ざされた窓越しの言葉ではあったが、哀には聞こえたようでしっかりと頷かれる。博士がアクセルを踏んで阿笠邸を離れていくビートルを見送り、その姿が見えなくなると同時にポケットの中の携帯電話が震えた。メールだ。
家の中に入って送信者を確認すれば赤井で、どうやらこちらから知らせる必要はないようだ。
受信メールを開けば本文には「待機」のたった二文字だけで、了解と返して送受信メールを削除する。
このタイミングでの要請ということは案件に水無が関わっているのは間違いなく、FBIも何らかの情報を掴んだか、あるいは─── コナンが何らかの形で水無に接触し、そしてクールキッドとコナンに一目置いているジョディが水無を張っているときに目撃したコナンの様子にやはり水無には何かがあると確信したか。
経緯についてはコナンの説明を聞けばいいかと、哀に渡した盗聴器の受信機から聞こえてくるビートル車内の音声を周波数を調整して聞く。まだコナンに合流してはいないようだ。
(快斗ならこの時間、家にいるかな)
まだ時間は朝8時になったばかり。今日は土曜日で学校が休みだからまだ寝ているのかもしれないと思いながら電話をかける。プルルルル、と耳朶を打つコール音を5回聞いたところで通話が繋がり、やはり寝ていたらしい快斗の寝ぼけた声に思わず頬が緩み、無意識に張っていた肩から力が抜けた。
偶然知り合ったアナウンサー、水無怜奈にある事件の依頼を受けて小五郎や蘭と共に彼女の部屋に行ったコナンが調査のために発信機と盗聴器をくるんだチューイングガムを表の玄関横の壁に取りつけ、事件解決後、回収し忘れていたそれがはがれて偶然彼女の靴の裏にくっつき、そしてそれから聞こえてきた声を聞くと何と彼女は組織の仲間だった、と恐ろしいほどの偶然が重なって転がり込んできた情報に
ひじりは無表情を僅かに強張らせ、快斗は頭を抱えた。
「最悪だね」
「最悪ですね」
リビングのソファに向かい合わせに座って哀がうまくコナンに仕掛けた盗聴器から流れてくる音声を聞き、
ひじりと快斗は声を揃える。
組織のボスのメールアドレスにメールを送信したことと、かかってきた電話の相手をジンと呼んだことから、水無怜奈が組織の人間であることは覆しようのない事実だ。
水無の靴についてしまった盗聴器と発信機が組織の人間に見つかった場合、当然彼らはそれを仕掛けたのは誰かと突き止めようとする。そして真っ先に疑われるのは水無が出掛ける直前まで部屋にいた探偵─── 毛利小五郎。
たとえそれが、水無に依頼された事件の捜査のために小五郎が取りつけた物と思われたとしても、盗聴器と発信機は現に今も生きており、見つかるまでの間に壊れたところで彼らの会話を聞かれた可能性を否定してくれる人間はいない。そうなると当然、組織は毛利小五郎の口封じにかかる。そして必要と判断されれば小五郎の周りの人間はひとり残らず殺される。
つまり、盗聴器から組織の情報が入ってくればくるほど小五郎や蘭、コナンだけではなくその周囲の人間の首も確実に締まっていくというわけだ。
コナンはとんだミスをやらかしてくれたが、見方を変えれば組織へとまた一歩大きく近づくチャンスでもある。
既に事は進んでいる以上、どうにかして水無に気づかれず盗聴器と発信機を回収することが最優、盗聴器と発信機に気づかれたとしてもそれが小五郎のものではないと思わせることができれば御の字だ。どちらかをクリアできなければバッドエンド。やるしかない。
「そういえば、赤井さん達も動いてるんですよね」
「……快斗」
「『使えるものは使う』、が
ひじりさんでしょう?」
こちらの意図を読んで微笑む快斗を
ひじりは正面から見つめ返す。簡単に言えばFBIに表立ってもらおうということだ。今まで従順にFBIの犬の真似事をしていたのだから、小五郎を殺されるわけにはいかないしこれくらいは聞いてもらおう。
2人が会話している間もテーブルに置いた受信機は向こうの音を流していて、車で移動していた水無がどこかの屋内駐車場でジンと接触したことを知る。
無意識に握りしめていた手が横から伸びてきた手に覆われ、顔を上げるといつの間に隣に移動したのか、快斗が優しく笑って
ひじりの左手を取ると拳をほどき指を絡めた。重なるぬくもりが心地好く、思わず気を抜きそうになって意識して引き締める。
赤井に連絡を取ろうと携帯電話を取り出した
ひじりは、DJとエディPについて哀に尋ねるコナンの声を聞きながらメールを打ち、次いでコナンの声でキールとキャンティ、コルンと名前を聞いて動きを止めた。すいと視線を受信機に向ける。
「…そう。その2人もいるの」
「知ってるんですか?」
『キャンティとコルンは聞いたことがあるわ…腕利きのスナイパー』
「─── 私に銃のいろはを叩き込んだのは、彼らだよ」
固い声でコナンに答える哀に続いて呟く。静かな声音は抑揚がなく、細めた目には何の感情もなかった。
キャンティとコルンが出てくるのなら、組織の目的は暗殺で間違いない。それを小五郎含め己の大切な人達に向けさせるわけにはいかないと、
ひじりは打てる手は全て打つことを決めた。
← top →