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 星河と姫宮に対する“お願い事”は彼らにひとつずつと、2人にひとつ。


「星河さんは絶対にマジシャンを辞めないこと。そして姫宮さんは、ネタ帳の件を奥様に話して謝ること。それから“魔女復活”の件だけど」


 弟子3人の合同マジックとして行うこと、と続けた快斗に対する反応はそれぞれだった。






□ 推理マジック 6 □





 どういうことだと声を揃えた星河と姫宮、2人は異口同音ではあったが、片方は頬を引き攣らせ、もう片方は眉を吊り上げて快斗を睨んだ。それに快斗が「呑めませんか?」と涼しい顔に笑みを刷いて問い返せば、星河はきつく眉を寄せる。


「マジシャンは…辞めない。君が言うならそれは呑もう。けどあのマジックはダメだ、先生と奥さんと範田さんで相談して決めたんだ、あれは危険過ぎる」

「ネタ帳のことは謝るわ。私もそれは呑める。けどあのマジックは、“魔女復活”は、私がひとりでやらないと意味ないじゃない…!」


 どちらも決して譲らない姿勢にひじりは無言で肩をすくめた。10年前の決定を守り続ける者、10年前の罪に喘ぎ続けている者、その2人に共通することは師がいなくなったことで、師がいないからこそいつまでも足踏みを続けている。それを愚かしいと思いこそすれ、口にして切り捨てたりはしない。ただ、もう10年経っているのだと、そろそろ気づいてもいい頃ではないかと思ってしまうのは傲慢だろうか。


「10年経ったんですよ」


 ひじりの抑揚ない声で紡がれた言葉に、星河と姫宮の2人が息を呑む。彼らの胸を刺す言葉を無遠慮に突き出したひじりを気遣うように一瞥した快斗が視線を前に戻して口を開くまでの一瞬、敢えて踏み込んでいくひじりにまったく仕方のないひとだと小さく苦笑したのは見逃さなかった。


「“魔王復活”を禁じてから10年。当時は無理だったかもしれない、けど今は?あんた達は、もあの時のままなのか?」


 快斗が2人を見据えて言う。星河も姫宮もプロになった。範田とて確かな実力を持っている。マジックに使う小道具の種類は大幅に増えて技術的にもできることも増え、そして当時できなかったことは決して不可能ではなくなった。なぜなら、あの時から10年もの時間が流れているのだから。
 ようやくそのことに気づいたのだろう、はっと目を瞠った星河が真剣な顔で黙りこむ。そのときの星河の頭の中は、当時の“魔王復活”の覚えている限りのネタや仕掛けを並べて改善点を洗い出し現代の道具で危険度を最低限に収めた上での成功する可能性を目まぐるしく計算しており、そのときばかりは誰の声も締め切られた思考の中には割り込むことはなかった。

 そして黙りこむ星河の隣で、“魔女復活”をひとりで成功させMr.正影の後継者になることに固執する姫宮が表情を渋くする。
 ひじりはそれに既視感を覚えた。ただひとりの至上を追いかけ、その影に成り代わったひと─── 自ら“ステージ”に上がったと錯覚する。まったく似ていないのに。けれど、だからだろうか、快斗が何かを言う前に思わず口を開いてしまったのは。


「彼の後を継いだとしても、あなたのマジックが彼のものであるのなら─── それはただの猿真似にすぎない」

「え…?」

「Mr.正影・・ごっこ・・・でしかないんですよ、あなたがやろうとしていることは」

「なっ、何でそうなるのよ!私は…!」

あなたは・・・・どこに・・・いるんですか・・・・・・


 ひたりと姫宮に視線を据え、ひじりは問う。
 Mr.正影が残したネタ帳の通りにマジックを行えば、成程確かに彼は今も尚生きていると錯覚させることはできるだろう。だが後継者という肩書を持ち得てMr.正影の亡霊になったのなら、今まで築いてきた“姫宮展子”はどこにいく。


「Mr.正影が正真正銘この世に残したものは、弟子である“姫宮展子”そのものではないんですか」


 ただマジックを教えるためにMr.正影は弟子を取ったのではないはずだ。与えた教えを手に弟子が成していくものが見たくて、そしていつか自分を超えてほしいと願っていたのではないのか。
 お前には分からないと言われれば反論はできない。だがひじりはそれを分かっていても言わずにはいられなかった。今自分の隣に立つ彼が夜空を羽ばたく白を身に纏い続けて、いつかその白がひじりが愛するひとを永遠に隠してしまわないように。


「Mr.正影の名を継ぐのは結構。そう振る舞ったとしても私には何ら関係はありません。けれどせっかく助けた姫宮展子あなたをあなた自身に殺されるのは、正直不愉快です」


 自分を殺して「彼」になったとしても結局は“ごっこ”でしかなく、そうして最後に残ったものなど目を背けたくなるほど醜悪だ。


「そんなふうにするくらいなら、Mr.正影が諦めたマジックを彼が残した3人で完璧に仕上げて成功させて、『私はこれ以上の、師を凌駕するほどのマジックを世界中に見せつけてやる』くらいのことを言ってほしいものです」

「…………無茶苦茶言うのね、あなた」

「私はマジシャンではありませんから。けれどあなたはマジシャンであり、マジシャンはエンターテイナー、そしてエンターテイナーは観客に夢を見せて楽しませるものだと思っていましたが、違うんですか?」


 無表情を僅かに崩し、挑戦的な笑みをほんの微かに口の端に浮かべて姫宮を見やれば、彼女は本業ではないからこそとんだ無茶を言うひじりに呆然としながらも呆れ、けれど本業ではないから口にできた、いち観客の心からの本音と期待に己の深い場所が刺激されたのか、燃え盛る炎のような光をその目に宿して応えるように勝気な笑みを広げた。
 睨み合っているわけでもないのに、確かにひじりと姫宮の間で火花が散るのを見て快斗は苦笑して頬を掻く。


(オレも、応えなきゃなぁ…)


 ひじりが姫宮を通して見ていたものは自分だと快斗は確信している。
 父親の後を継いで怪盗キッドになった、そのことに関してひじりに何か言われたことはない。反対をされたことはなく、かと言って続けることへの応援もされていない。けれど快斗のときもキッドのときも必ず隣に並び立ってくれる彼女の心の内が垣間見えて、正面から言ってくれることはないだろう姫宮越しの言葉を噛み締めて背筋を伸ばした。
 つまるところ今怪盗キッドは「私の愛する人をどこにやろうって言うの、隠したりしたら許さないから」と脅しをかけられ、同一人物である快斗にとってはただの惚気でしかない。ひじりの想いを僅かにでも受け取ったなら、応えねば男が廃る。

 快斗がひとり笑みを浮かべていることには気づかず、姫宮の雰囲気が変わったことを悟ってひじりは目を細めた。
 今の言葉で姫宮にまとわりついているもの全てが払えたとは思っていない。そこまで自意識過剰ではない。けれど少なくとも彼女が彼女のままステージに立ってくれそうで、表情には出ていないものの心の底から喜びと安堵が湧いた。


「呑むよ」

「呑むわ」


 再び異口同音に口を開いた星河と姫宮が、声が揃ったことに驚いて顔を見合わせる。呑むんだ、とお互いの顔に書いてあるのが少しおかしかった。どうやらお互い相手を説得しなければ、と考えていたようだ。
 星河は計算を終え、成功する可能性は低くないと結論を出したようで、自分と姫宮と範田の3人が互いに信頼し合い協力すれば、その成功率は100と言ってもいい、と星河がプロマジシャンとして口角を吊り上げ自信に満ちた顔で笑い、そんな星河を見て「その程度で満足してちゃ先生は超えられないわよ」と姫宮が鼻を鳴らした。


「あれをするために、奥さんと範田さんを説得しないとな」

「あら、Mr.正影の弟子3人が揃ってできないほど、弟子を取ったときの先生の目が曇ってたとは言わせないわ」


「─── まぁ、言えないな」



 瞬間耳朶を打つ、この場にいなかったはずの男の声に全員が一瞬動きを止め、次いで揃って部屋のドアを振り返る。そこには聞き覚えのある声の通り範田が立っていて、その後ろに満里の姿が見えた。
 話に集中しすぎていて2人が2階に来たこともドアを開けたことにも気づけなかった。いったいいつから聞かれていたのかと4人は口を閉ざして範田と満里を見つめ、それに範田が肩をすくめて苦笑する。


「仮眠していたら2階から微かに話し声が聞こえてね。少し気になって部屋を出たところでちょうど奥さんと鉢合わせしたから一緒に上がったんだ」

「私は調味料が切れたからその買い出しに行って帰って来たところで……その、あまり和やかそうじゃなかったから、つい」

「どこから、話を?」


 ここに至るまでの経緯を聞いてひじりが抑揚なく問う。満里が目を伏せ、範田が僅かに星河へ顔を向けたのはサングラスで隠れた視線をそちらに注いだからか。範田は言いたくなさそうに唇を引き結んでいたが、ひじりが無言で続きを促すと眉を寄せてサングラスのブリッジを左の小指で上げて重い口を開いた。


「『僕はあなたを殺そうとしましたから』…と、星河君が展子さんに言ったのを、ドアを開ける前に聞いた」


 そもそも入って来たのは話が落ち着いたのを察したからだと続けられ、納得したひじりと快斗の後ろで星河と姫宮が顔を青褪めさせる。血の気を引かせぱくぱくと揃って口を開閉する2人に苦笑し「分かっている」と範田が頷いた。


「その話はあとにしよう。それよりも魔王─── いや、“魔女復活”だ。……やろうじゃないか、3人で。それにこのマジックを成功させれば……私も、未練がましくこの家にしがみつかずにいられるかもしれない」


 部屋を見回すように動かした顔はサングラスで目許が隠され表情が読み取れなかったが、淡い笑みを浮かべた口元から発された声音はどこかさびしげでありながらほのかな期待に揺れていて、範田の後ろで満里が小さく、けれどしっかりと頷いた。






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