245





 Mr.正影の自室のドアを開ければ細い廊下につっかえてしまうほどで、設計ミスかと疑うがここはマジシャンが建てた自宅。何か意味があるのかもしれない。
 そしてただのドアにしては厚く重いことに訝って2人でドアを眺めると、ドアの側面に筋が入っているのが判った。快斗が筋を爪で軽く引っ掻き、ゆっくりと不敵な笑みを広げるとおもむろにドアノブを動かしていじりドアを分離させた。
 廊下側のドアの裏─── 一面の鏡に笑みを浮かべる快斗が映り、鏡の端から自室側のドアからひょっこり顔を出したひじりが出てきた。


「成程、つまりさっき姫宮さんが言ってたクリスマスツリーのマジックは…」


 見たことのないマジックのタネを前に、楽しそうに呟いてドアをそのままに快斗がMr.正影の自室へ入る。今このときばかりはひじりすら目に入っていないらしい。
 快斗が楽しそうで実に良きかな、と目許を和らげたひじりは静かにそのあとをついて行った。






□ 推理マジック 4 □





 部屋の中にあるプロジェクター用のスクリーンは壁の端ではなく部屋のドアほどの幅を開けて天井に設置されており、それを床まで下ろした快斗がスクリーンに手を差し入れるとすんなりと貫通したのを見て、ひじりが「それもマジック道具?」と訊くとええと頷かれた。スクリーンに映った映像から本物の人間が出てくるマジックによく使われるもので、その練習も兼ねて使ってたんでしょう、と続けられて目を瞬く。
 ドアを振り返る。二重構造の厚いドア、分離して現れる鏡、ドアがつっかえるほどの幅しかない廊下。視線を横に滑らせ、マジック練習のためだけに使われるわけではないスクリーン、部屋の入口から見て左側にあるクローゼット、さらに奥へと進んで床から天井までの背が高い窓に映る自分を見て視線を下ろせば、廊下と同じタイルの床が視界に入った。
 成程、と頷く。となれば廊下の突き当たりにある棚は、この部屋の窓の横にあるサイドボードか。
 快斗に確認を取れば間違いないでしょうねと頷かれる。どうやら合っているらしい。


「実際にやってるところ、見てみたいね」

「本当に。…頼んだらやってくれますかね」

「あとで頼んでみよう」


 スクリーンを元に戻し、室内に置かれたマジック道具の数々を手に取る快斗に背を向けてひじりは棚を眺める。どうやら棚に並ぶものは全てアルバムのようで、さすがに中を開けて見るのは気が引けるため手に取りはしなかった。


ひじりさん、資料庫行きましょう」

「もういいの?」

「特注品らしき物は全部見たので」


 部屋に置かれているのものはほぼ小道具類であるため、そんなに時間はかからなかったようだ。ひじりには何に使うのかよく分からないものでも、同業者且つ怪盗キッドもこなす快斗からしたらひと目見るだけで分かったのかもしれない。
 快斗が十分だと言うので部屋を出て仕掛け扉を元に戻し、資料庫へと足を踏み入れる。資料庫の電気をつけると視界に飛び込んでくる本棚と無数の資料が圧巻だった。


「うわっ、すっげー!」


 快斗が興奮もあらわに笑みを浮かべて目を輝かせる。
 壁を覆うように天井まで高さがある大きな本棚が置かれ、入口からそれぞれ左右の壁に5つ、そして等間隔に3つ並んだ本棚が2列、計16もの本棚を隙間なく埋め尽くすほどの量に感嘆の息をつく。快斗もそこそこ集めてはいるしもちろん盗一が集めた資料も黒羽邸にはあるが、ここには到底及ばない。

 テンション高く本棚の海に飛び込んで行った快斗の「この辺りのは見たことあるな…あっ、これ絶版の!」「嘘だろ30年前のかこれ!?」「っひょーマニア本じゃねーか!」「おいおい外国の地方ローカル誌のスクラップブックがあるとかマジかよ!」なんて実に楽しそうな声が聞こえてきてひじりの頬も微かに緩んだ。
 これは読んだこれもこれも、と合間に聞こえるからおそらく殆どは市販された本や雑誌の切り抜きのようだが、それでもたまに混ざっているらしい希少本を見つけるたび歓声が聞こえた。

 ひじりも簡単に本棚を見回すと、日本語英語は当然として、世界中を網羅する勢いで多数の外国語が踊る本が目につく。さらに自分以外のマジシャンのマジック研究も行っていたようで、きちんとファイリングされた資料の中をざっとめくると当然のように黒羽盗一の項目もあった。これはあとで快斗に見せよう。

 ファイルがある場所を覚えて本棚の奥から入口側へと順に眺めていると、ふいに微かな足音を聞いて動きを止める。快斗は資料を読み込んでいるのだろう、静かにページをめくる音に紛れて聞こえてくる誰かの話し声に資料庫のドアを振り返った。

 普段のひじりであればスルーしていただろう声と足音は、しかしどうにも第六感を引っ掻いて意識をそちらへ向けさせる。それは姫宮が“魔女復活”を語ったときの一瞬張り詰めた空気を感じ取ったせいかもしれなかった。


「……ひじりさん、何してるんです?」


 床に膝をついて資料庫のドアに耳をつけ廊下を窺うひじりの不審な動きに目を瞬かせた快斗が訊いてくるが、それを立てた人差し指を唇に当てることで沈黙を促し視線をドアの方へ向ける。廊下に人の気配はなく、けれど階段を降りた様子もなかったから、おそらくMr.正影の自室に誰かがいる。それも話し声が聞こえたということは、2人以上。


「懐かしさから家の中を見て回るついでに兄弟弟子と和気藹々会話をする…だけなら、今でなくてもいいよね」


 あるいは余程親密な2人かと可能性はあるものの、あの3人にはそんな雰囲気はなかったように思う。つまりはあまりよろしくない展開になるのかもしれず、ゆっくりと僅かに資料庫のドアを開けたひじりは、やはり廊下に誰もいないことを確かめて資料庫を出た。音を立てずに資料を本棚に戻した快斗がその後ろを無言で続く。快斗もまた、じわじわと足元から這い上がる不穏なものを感じ取っていた。

 何もなければそれでいい。余計なお世話のいらぬ心配、それで済むのであれば一番だ。けれどうなじを撫でる嫌な予感に楽観はできず、ひじりと快斗は無言のまま示し合わせて音を立てないようMr.正影の自室のドアに身を寄せた。ひたりと2人でドアに耳を寄せて中の様子を窺う姿ははたから見れば不審極まりないが、今それを指摘する者は誰もいない。


「どうして、……が、先生の……を?あれは……ったはず…」

「そうよ…が盗った……柄、……用だから」


 二重構造の厚いドアを挟んでいるため詳しくは聞き取れないが、声から中にいるのが若い男女─── 星河と姫宮だと判る。
 先生の何かを、姫宮が盗った。途切れ途切れにしか聞こえない会話でもそれは読み取れ、自然2人の脳裏に浮かぶのは“魔女復活”だ。あのネタは彼女の自前ではなくMr.正影のものであり、マジシャンという職業柄手先が器用な彼女が盗ったのはネタ帳だろうと半ば確信する。
 ドアに聞き耳を立てるひじりと快斗に気づくことなく2人は話を続け、そこから察するに、姫宮はネタ帳を盗ったあとMr.正影に返そうとしたが師が失踪したためその機会はないまま、今日まで10年が過ぎたらしい。ショックを受けるとは、と姫宮の声が聞こえたから師の失踪の原因はネタ帳を盗まれたことだと思っているようだ。

 そういうものか、とひじりは内心首を傾げる。ひじり自身、快斗のアシスタントは務めてもマジシャンではないので理解はすれど共感することはできない。
 以前快斗に教わった話では、マジシャン界隈においてネタの奪い合いや盗み合い、あるいはパクられることはよくあることで、そもそもマジック自体に著作権が発生することは稀なのだと言う。「料理本なら別ですが、レシピそのものに著作権がないのと一緒ですよ」と言われれば納得した。カレーを作るのにいちいち許可を取る者はいない。その話をした日の夕食はカレーにしたが、これは余談だ。
 しかしだからと言って他人のネタ帳を盗むことは当然悪いことであり、けれど誰かに盗まれたからMr.正影が失踪したのだと言われてもあまりピンとはこない。だが今は彼の失踪原因について考えるべきではなく。


「……から私が…未……のマジックを世……披露すれば……」


 だから私が、未発表のMr.正影のマジックを世界中で披露すれば───


「先生も草葉の陰から喜んでくれるんじゃない?」


 集中していたせいかはっきりと笑み混じりの姫宮の声が聞こえると同時にうなじを撫でていた嫌な予感が殺気の針となり、ひじりは勢いよくドアを引き開け、快斗が弾丸のように部屋の中へと飛び込んで行った。






 top