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 今日はMr.正影が失踪してからちょうど10年。もしかするとひょっこり帰って来るかもしれないと、範田は毎年Mr.正影の失踪日に正影邸を訪ねるようにしていたのだと言う。

 急に大人数で押しかけることになるため食料の買い出しを先に済ませ、とある住宅街に建つ一軒家へと赴いた一同は門を抜けて敷地内へ足を踏み入れた。
 慣れた様子で範田がインタホーンを鳴らす。応対して玄関を開けたのは五十代の女性で、Mr.正影の妻である満里まりだった。彼女は範田にいらっしゃいと声をかけ、範田の後ろにいた星河と姫宮にも久しぶりねぇと微笑みかける。

 ふと、満里の視線がひじり達に向いた。その子達は?と問われて今夜のスペシャルゲストだと範田が笑う。お邪魔しますと礼をすればやはり突然の来客には慣れているのか、すんなり受け入れ夕食の買い出しに行かなければと呟く満里にいやいやと範田が白い布を広げる。
 その布を取り払うと、前に立っていた蘭と和葉、そしてひじりの腕に食材が詰まった袋が抱えられていて、満里は驚きに目を見開いたあと、一同をようこそ正影邸へと笑って招き入れた。






□ 推理マジック 3 □





 邸内へ通されリビングに続く廊下を歩きながら、ひじりは失礼にならない程度に視線だけで家の中を見渡す。玄関に入ってすぐ右手に2階へ続く階段、正面はリビングだろうか、廊下の先にドアが見えた。特別変わったところはない普通の家といった印象だが、まだ廊下だ、黒羽邸のようにどこかに隠し部屋があるのかもしれない。

 範田は毎年この日に正影邸を訪れているようだが、結局10年も連絡はないままだと満里が苦笑する。邸内を見回していた姫宮がなつかしいと呟き、星河は思い出をなぞっているのか、どこか遠い目をしながら昔は3人共ここに住み込んで先生の特訓を受けていたからなぁと笑った。


「あら、星河君は主人が弟子を取る前からよく遊びに来てたわよね?」

「せやったら、一番弟子やね?」


 満里が笑みを浮かべて星河を振り返り、和葉が会話に加わる。だがふいに水を差すように姫宮が「誰が一番弟子なんて関係ないわ」と口角を吊り上げた。要は3人の内の誰がMr.正影を凌ぐ奇術の使い手かを重く見ているらしい彼女を範田が軽くたしなめるも、彼女の勢いは止まらない。
 そういえば確かに、星河の楽屋でも姫宮は正統な後継者をと言っていたし、こだわりがあるのかもしれない。自分には分からない世界だと考えている間にも彼らの話は続き、弟子3人でのジョイントライブで行う場合、自分のショーの目玉は“魔女復活”だと姫宮が宣言した。

 “魔女復活”とは、客席のど真ん中に巨大な十字架を立て、姫宮の体を十字架に雁字搦めにした紐の先を客に持たせ、十字架に火をつけて燃え尽きる前に姿を消し─── その灰の中から再び現れるというもの。
 そう、姫宮によって滔々と述べられる奇術の内容に一瞬空気が変わった。範田の表情はサングラスで見えにくかったが、星河と満里が息を呑んで目を見開き、その顔から浮かべていた笑みが消える。ぞくぞくして面白そうでしょ?と笑う姫宮にああと頷く範田の声は固かった。


「快斗、今のマジック…」

「不可能ではありませんが、危険過ぎます」


 そっと身を寄せ、声を潜ませての問いに先回りして厳しい顔をした快斗が答える。快斗がそう言うのであれば本当に危ないものなのだろう。
 だがそれ以上に気になるのは、やはり姫宮を除くMr.正影の関係者達の反応だ。姫宮の言葉に彼らが何か気づいたような、ほんの少しばかり不穏を滲ませた気配は無視できなかった。

 夕食の準備をするとキッチンへ向かう満里、久しぶりだから家の中を回ってみると言う姫宮に同意した星河、そして朝が早かったから部屋で休ませてもらうと満里に了承を取る範田と、それぞれ3人が別れる。
 ひじりが先を歩く蘭と和葉に続いてキッチンへ行こうとしたとき、ふいに腕の中の買い物袋が消え、それはいつの間にか平次の腕へと移動していた。


「すみません奥さん!オレも家の中、見せてもらっていいですか?」

「はっ!?お前いつの間に!?」


 笑顔で手を挙げた快斗の後ろで平次がぎょっとするが無視をして、快斗があの黒羽盗一の息子でマジシャンなのだと範田に紹介された満里は驚き、口元を綻ばせて頷いた。


「あなたがあの、黒羽盗一さんの?まぁまぁ何てことでしょう。ええ、ええ、いくらでもどうぞ。2階の細い廊下の奥が資料庫よ、好きに見てもらって構わないわ」

「ありがとうございます、それでは遠慮なく。行きましょうひじりさん」

「うん」

「ちょ、ちょお待てや!黒羽は分かるけど何で姉さんまで」

ひじりさんはオレのアシスタントなんだから当然だろ?」


 きれいにウインクも決めてそれ以上の反論を許さず、快斗に手を引かれるまま玄関の階段へと向かおうとすれば、見て回るついでに案内すると姫宮に申し出られありがたく受けることにする。

 姫宮に続いて階段を上がって2階へ。こっちよと促された先は確かに細い廊下で、タイル張りの床の先に設置された背の低い棚の上に花瓶が置かれているだけのシンプルな造りだが、電気をつけてみればやはり狭く、大人2人が並ぶのがやっとな幅に快斗が目を瞬いた。


「本当に細いんですね」

「ええ、先生はよくここでマジックショーをしてたのよ、なつかしいわ」

「どんなマジックを?」

「クリスマスの時季にね、電気を消した隙にこの廊下の奥に大きなクリスマスツリーを出現させるマジックよ」


 目を細めて語る姫宮にへぇと呟く。あなたもできるんですか?とひじりが問えばもちろんと自信満々に頷かれた。
 廊下の奥、右側にあるのが資料庫で、左側手前にあるドアの奥はMr.正影の自室らしい。部屋数はそう多くないようで、案内を終えた姫宮は先に1階を見て回るからとひじりと快斗に軽く手を振って廊下を戻って行った。
 資料庫ももちろん見るが、まずはMr.正影の自室かなと快斗がドアノブに手をかける。


「……ねぇ」


 ふいに廊下の曲がり角で足を止めた姫宮に声をかけられ、ひじりは快斗と共に振り返った。彼女は振り返らないままひとつ聞きたいんだけどと言葉を落とす。


「衰えた末、姿を消した師の未完成マジックを弟子が完成させる。それは…悪いことじゃ、ないわよね」


 ひじりは答えなかった。その問いの答えを持つのはひじりではなく、また彼女が訊きたい相手もひじりではない、快斗だからだ。
 快斗はじっと姫宮の背中を見つめ、暫しの沈黙のあと、そうですねと姫宮を肯定する。


「オレは親父から引き継いだものがあります。それがたとえ望まれたことではなかったのだとしても、オレは引き継いだステージ・・・・をやり遂げると決めた。
 ─── オレからも訊かせてください。あなたはそれが悪いこと・・・・だと誰かに言われれば、やめるんですか」

「……やめないわ。だって先生言ってたもの、自分を超えろって。だから」


 やめないわ、と絞り出すような固い声音は、けれどどうしてか、ひどく脆く感じた。
 マジシャンが一度ショーが始まれば涼しげな顔を決して崩さないように、快斗が父に言われたポーカーフェイスを守り続けているように、彼女もまた取り繕っているものがある。
 何を覆い隠そうとしているのかは分からない、けれど彼女の胸の内にあるのは確固たる決意だ。たとえば、Mr.正影の跡を継ぐのだと。正統な後継は己であり、師を超えた者であり、だから、だから─── 私は悪くない・・・・のだと。


(マジシャンとしてのプライド、師への罪悪感…ってところかな)


 その鍵はおそらく、彼女が口にした“魔女復活”だろう。
 彼女は一体、何をしでかしたと言うのか。だがそれ以上姫宮に踏み込むつもりはなく、こちらに背を向けたまま1階へと降りて行った彼女を見送ったひじりは誰もいなくなった曲がり角を見つめ続ける快斗を無言で撫で、扉のドアノブに手をかけた。






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