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 三水吉右衛門の絡繰屋敷での一件が終わり、病院にかかり医者に出された薬を飲んで熱を出すこともなく風邪を完治させたひじりは有言実行とばかりに快斗が満足するまで付き合ったり、哀から「私好きよ、ハートフルな泥棒さん」と意味深に微笑まれてどういう意味かと悩んだり阿笠邸に遊びに来た快斗に「ひじりに風邪ひかせてんじゃねーぞ黒羽ァ!」と眦吊り上げたコナンが掴みかかったり、ある日また蘭にコナンは新一ではないかと疑われて何とか新一の電話番号と引き換えに誤魔化したりと色々あったが、赤井からの突然の鍛錬3倍メニューにひじりと快斗が揃って顔を青くして軽く死にかけたくらいで、あとは穏やかな日々が続いて暫く経った、ある日。


「星河 童吾の超奇術ショー?」


 ブルーパロットで開かれる不定期マジックショーを終えて閉店した店内の掃除をしていたひじりは、1枚のチラシと2枚のチケットを手にする快斗に首を傾けた。
 快斗が言うに、店外に出て最後の客の見送りをしていたら、快斗のマジックショーの常連にチケットが余ったからよければともらったらしい。
 マジックは大好きであるし、プロのショーは学ぶことも多くて参考になる。それに個人的に気になっていたから棚から牡丹餅と喜んで受け取った快斗が行かない理由はなく、そしてせっかく2枚あるのだから一緒に、と。
 デート?と問いかければ照れた様子で快斗が咳払いをひとつ、「オレとデートしてください」と改まってチケットを差し出されたひじりもまた、断る理由もなくすぐに頷いた。






□ 推理マジック 1 □





 星河童吾は若く才能溢れるイケメン、とメディアでよく話題に上がるマジシャンだ。以前“漆黒の星ブラックスター”の一件で余興にと呼ばれた真田一三かずみと人気を二分しているらしいが、そういえば前にポアロで快斗、蘭、コナン、園子といつものメンバーでお茶をしているとき、園子がはしゃいでいたことを思い出す。
 そのときは大した反応は見せなかったものの「けどやっぱりキッド様が一番よね!」と力説されて思わず頷き、「で・も、ひじりお姉様にとっては黒羽君が?」「一番だよ」なんていう会話もして隣に座っていた快斗を照れさせたのだ。

 星河のショーをメディアで観ることはあっても実際に生で観るのは初めてで、公演当日、快斗と共に会場を訪れると溢れんばかりの人の多さを目の当たりにし改めて彼の人気ぶりを知った。音に聞けば、ショーのチケットも毎回完売するほどだとか。


「あれ?ひじりお姉ちゃんと黒羽君?」


 入場の列に並んでいるとふいに声をかけられ、振り返ればそこにいたのは蘭、コナン、そして平次と和葉がいた。思わぬところで出くわした4人に何でオメーらが、と思わず快斗が声を上げる。
 何人かに先を譲って4人の横に並ぶ。ひじり姉さんお久しぶりですー!とはしゃぐ和葉に応えてひじりが両手を合わせハイタッチをすれば蘭が羨ましそうに見ていることに気づき、おいでと手招いて蘭とも両手を合わせた。

 蘭やコナンからちょくちょく大阪に出向いたときの話は聞いていたが、和葉と顔を合わせるのは帝丹高校の学園祭以来だ。
 せやせや蘭ちゃんとひじり姉さん聞いてーなー!と和葉が身を乗り出し、平次がなぁと幼馴染のことを口にする彼女に目許を和らげた。


「で?何でお前らはここにいんだよ」


 はしゃぐ3人を横目に、快斗は残った男2人を半眼で見やる。ホンマお前分かりやすすぎひん?と平次に呆れられたが無視して無言で促し聞いたところによると、どうやら夏休みを使い東京で開催されるマジックショーを観に来たらしい。


「たまには不思議気分にひたりたいっちゅう、アホな女のアホなわがままに付き合うてなぁ」


 呆れたように肩を竦めて和葉を見やる平次だが、何だかんだ付き合いはいいらしい。まぁオレもひじりさんと付き合う前、幼馴染の青子にお願いされれば一緒に行っただろうなと思ったから成程なと頷くだけに留める。
 そういうわけで2人は東京のマジックショーを観に行くことになり、和葉が蘭を誘い、蘭がコナンも誘って4人で来たというわけか。


「本当は蘭がひじりも誘ったんだぜ?黒羽も一緒にってよ」

「え、そなの?」

「ああ。けどその日はデートだからって断られてたみてーで…まさかここで会うとは思ってなかったぜ」

「ホンマやな、何かと縁があるんとちゃうかオレ達」


 にんまりと笑う平次に、探偵と縁なんざ持ちたくねぇよと内心で呟いて苦笑する。ふと下を見れば微妙な顔でコナンも苦笑していて、どうやら同じようなことを考えているようだ。
 そういえばと席を確認するために3人はチケットを見比べる。コナン蘭平次和葉の4人の席は連番で中央寄りを取ってあるようだが、ひじりと連番である快斗のチケットは前方席、彼らから少し離れていた。よっし、と内心でガッツポーズを決めた自分は悪くない。誰だって恋人とは2人きりがいいだろう、デートなのだから。
 どうやら女3人も席を確認したようで、蘭と和葉の残念そうな声が聞こえた。


「蘭ちゃんや和葉ちゃんは残念かもしんねーけど、オレはひじりさんと2人きりで楽しむから、オメーらも楽しめよ!」


 輝く笑顔でそう言う快斗に、コナンと平次は揃って半眼になりひくりと口の端を引き攣らせる。


「何やろ…ごっつ腹立つなァこの男…」

「服部のチケットとひじりのチケット入れ替えてやりてぇ」

「「それはやめろ」」


 2人に止められてチッと舌打ちしたコナンを見下ろし、このシスコンがと快斗と平次は声を揃えた。










 会場に入り、4人と別れて席に着いたひじりがパンフレットを眺めていれば、間もなくショーが始まった。
 ブザーが鳴って照明が落ちる。観客と言うには些か鋭い目を輝かせる快斗の表情を横目にステージへ視線を移し、拍手をして開幕を迎えた。

 アシスタントが用意した6枚の正方形の板で立方体を作り、軽い音と白い煙に紛れて登場した星河に歓声が上がって拍手が響く。掴みは上々。
 ライトアップされた彼は成程確かにイケメンと呼ぶに相応しい端整な顔立ちで、そのアシスタントもまた美女揃いだ。ハイレグ、とぼそりと隣から聞こえた呟きはスルーしておく。プロになってステージに立つようになるまでそれはおあずけだ。

 星河のショーは滞りなく進んだ。
 剣山の上に滞空して寝そべる星河をアシスタントが大きなフープで通して彼を支えるものが何もないことを示し、星河が指をひとつ鳴らして始まった空中浮遊。
 大人数人は入れそうな大きな鳥籠に入り、布を被せたそれを囲むたくさんのアシスタント達がそれぞれ手に持った槍で刺した上で火を点けるも、布が燃え尽きあらわになった鳥籠はもぬけの殻。そして後方に突如スポットライトが下り、その中で星河が両腕を広げて無傷の無事を示す一連の脱出劇。
 小さなものから大きなものまで、タネや仕掛けを敢えて見抜くことはせず、ひじりは惜しみない拍手を送って楽しんだ。
 途中、次のマジック準備時間に後方から何やら蘭と和葉の声が聞こえてきたが、どうせコナンと平次がタネを教えて彼女達の機嫌を損ねさせたのだろう。特にコナンはキッドと対峙することがあって目が肥えている。


『ではフィナーレを飾るのは…少々危険な水中脱出!』


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、最終演目となった。
 水が満ちた巨大な水槽。それを囲む、同じく大きなカーテンと、観客に見やすい巨大なアナログ式ストップウォッチが用意され、両手両足に重し付きの手錠をかけられた星河が上から水槽へと入る。そして水槽は鎖で十字に封印され、準備完了だ。


『鎖で封印された水槽から見事出られたら、どうかご喝采を!』


 イヤホンマイクをつけたアシスタントの言葉と共にカーテンが閉められる。会場は静かな興奮と緊張に満ち、誰もが水槽を覆い隠すカーテンへと視線を集中させた。
 ─── だが。


「……出て来ないね」


 5分経っても星河はカーテンの裏から出て来ず、何かあったのではと観客がざわつく。最悪の事態が一瞬頭によぎったひじりはしかし、そういえばと、ある伝説のマジシャンを思い出して快斗を横目に見やり、ざわめく観客に反して薄っすらと笑みを浮かべたままステージを注視している快斗を目にすると自分の考えが正しいことを確信した。

 伝説のマジシャン、フーディーニ。特に脱出マジックが得意で、現在でもアメリカで最も有名なマジシャンと言われている。
 敢えて脱出までに時間をかけて観客を焦らせ、不穏な空気の中、緊張がピークに達した時点での“脱出成功”は定番中の定番だ。とはいえ、脱出マジックには危険が付き物。万が一の可能性は常にあるため、本当の意味で安心できないことを、経験から快斗とひじりは分かっていた。

 やがて10分が経ち、アシスタントを含むスタッフ達も焦りを観客に見せる。アシスタントが『少々手違いがあったようで』と取り繕い、後ろでスタッフ2人が幕を下ろし斧を持って来いと指示を飛ばしている。ひじりはそのスタッフの言動に脱出が成功していることを悟った。もし本当にまだ脱出していないのだとしたら、さらに観客の不安を煽るような真似はしない。
 ひじりと快斗が小さくほっと息をついたそのとき、ふいに和葉と蘭の声が響いた。


「行くで蘭ちゃん!!」

「うん!!」


 えっ、と思わず2人の声が揃う。反射的にそちらを向けば、ステージに向かって猛ダッシュする和葉と蘭の姿があった。
 そういえばあの2人にこのマジックのネタは難しい上に、斧を待たずとも水槽をぶち破るくらい蘭なら簡単にできることで、居ても立っても居られなかったのだろう。
 和葉と蘭の気持ちはよく分かるし責めるつもりはない。だがひじりが止めに入ろうかと一瞬考えたときには既に2人はステージに上がっていて、当然止めようとするスタッフの1人を和葉が合気道で抑え込んでいる隙に蘭がカーテン越しに水槽の前に立った。


「お手並み拝見」


 ぽつり、快斗が楽しそうに呟く。
 星河としてはここでまさか観客がステージに上がってくるとは思っていなかっただろうし、かと言って失敗を装いまた水槽に沈み直すようなことはしないはず。だがここで慌てて止めてマジックのネタを明らかにするようなことはありえず、つまり快斗の言った通り、今にも空手を繰り出しそうな蘭と鬼気迫る和葉の2人とこの緊張に満ちた場をどう治めるのか、星河童吾のお手並みを拝見するとしよう。






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