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 子供達が温泉に落ちないよう見守っていたライハは、滝壺がまるで八岐大蛇を模していること、草薙のつるぎが出てきたのは真ん中の尻尾であるため、今自分がいる辺りにあると筋道立てて説明するコナンにぴんぽーんと内心で大きな丸をつけた。流石は新一である。できれば今日だけは鈍くあってほしかったが。

 まさか湯の中を潜って行く気かと須藤が言い、千住が何もありゃせんよと否定する。2人の言葉を聞いてもう一度赤い温泉を見下ろしたコナンのすぐ後ろで、壁に手を当てた元太が期待に水を差されてぼやいた。


「でもよー、ここまで来たらこの先見てみてぇよな」


 そう言うと同時、元太が手を当てた壁の一部がガコッと音を立ててへこむ。すると支流の底から堰止め石がせり上がり、水の流れを止めて穴が通れるようになった。
 それを見てライハが支流の足場へと跳び移ろうとするもそれよりも早く横を千住が駆け抜けて行ったことで動きを止め、須藤やあくつに続き、最後尾をゆっくりとついて行った。






□ 絡繰屋敷 15 □





 千住がコナンの制止を聞かず先に行こうとした元太を突き飛ばし、脇目も振らず穴の中を走って行く。その後を須藤と堆、子供達、そして最後尾をライハが走って追い、前方から弾んだ声が聞こえてきて千住が草薙の剣がある部屋へ辿り着いたことを知った。
 だがその声は部屋に足を踏み入れると一転し、四方から飛び出してきた刃を情けない声を上げてぎりぎりのところで千住が何とか躱す。すっかり腰が抜けた様子でまた刃が飛び出てこないうちに地面を這いながら通路の方へ戻って来た老婆を呆れたように須藤と堆が見下ろす。やっぱりおばーさんもお宝目当てだったのね、と堆に言われて千住がぐぅと悔しげに唇を噛んだ。

 部屋の床全てに仕掛けが施されているわけではない。部屋の端から少しは安全地帯があり、全員が仕掛けを作動させないように立つ。ライハも最後に部屋に入って中央の台座に刺さる草薙の剣を視界に入れ、厄介な仕掛けねと呟く哀の声を聞いた。


「いや…ただの意地悪な仕掛けじゃないよ、……っ!


 一見で攻略法を見抜いたコナンが足を踏み出そうとして、後ろから腕を伸ばしたライハがコナンの肩を掴み引き留める。目を鋭くして振り返ったコナンに首を横に振り、腰が抜けていまだ立ち上がれない様子の千住を一瞥したライハが代わりに仕掛け床へと足を踏み出した。
 ガコ、と鈍い音が鳴って四方から空気を切る音がする。慌てる子供達と対照に、冷静に迫りくる刃を見るライハの背中へ向ける厳しい視線を緩めないままコナンが大丈夫だよと口を開く。


「刃が四方から来てちゃんと四方に納まるってことは、微妙にタイミングをずらしてぶつからないようになっているってこと」

「あ、お兄さん!」

「しかもあの刃には取っ手がついてる」


 コナンの言う通り刃についた取っ手を掴み、ライハは刃の流れに身を任せて台座へと飛び移った。トッ、と軽い音を立てて台座に着地し、いとも簡単に攻略した青年に向かって後ろから子供達の歓声が上がる。それにひらりと手を振って応え、つるぎに刻まれた文字を急かされて剣を台座から引き抜く。当然、変わりなくそこにあったのは“竜”の文字だ。
 部屋の出入口を振り返って教えようとし、はくりと空気を噛んだことで喋れないことを思い出す。剣を台座に戻してポケットから取り出した紙に書き、紙飛行機を折って部屋の出入口へと飛ばした。
 空中を滑り真っ直ぐに飛ぶ紙飛行機をコナンがはっしと掴んだのを見て、台座にある石を床に落として仕掛けを作動させる。再び刃の取っ手を掴んで戻れば、勾玉の“炎”、鏡の“永”、剣の“竜”が何を意味するのか分からず首を傾げる子供達がいた。須藤も堆も首をひねっていて、どうにも答えが出ないようだ。


「さすが吉右衛門さんじゃ!竜の炎に焼かれるが如く、永遠に悩み苦しめということじゃろう!」


 千住が笑い、部屋に背を向けて宝探しはやめにして帰ろうと促す。宝なんぞ最初からなかったのやもしれんしのぉと続けられて、半眼になった元太がさっきは目の色変えてたくせにとぼやいた。
 堰止め石が下がるまでもう暫く時間はあるだろうが、屋敷にガタがきていることを先程水が噴き出た地下通路で確認したばかりだ、あの石がいつ砕けるかも分からないためライハも続こうとして、“竜”の文字が書かれた紙を見下ろしていたコナンがふいに笑みを浮かべたことに気づいて一瞬足を止める。


「あら、その得意げな顔…何か分かったのね?」

「ほ、ほんとコナン君!」

「いや…尻尾巻いて帰ろうっていう、情けねぇ顔だよ」


 コナン達の声を背に通路を歩く。わざと足音を立てれば先を行くライハに気づいて子供達もついて来た。首だけで振り返り、さっきはすごかったですね、兄ちゃんならやれるとオレは思ってたぜ!、ライハお兄さん格好良かったー!とそれぞれ光彦元太歩美に賛辞をもらって頬を掻く。あの程度できなければとっくの昔に赤井に殺されていただろうからむしろできて当然なのだが、わざわざ教える必要もなく素直に笑みを深めて受け取っておいた。

 滝壺へと戻り、階段下の隠し扉を通って再び屋敷へ向かう地下通路へ。
 ライハが固まって歩く子供達の後ろ、殿を務めてゆっくりと歩いていれば、「おい、コナン…」とふいに元太がコナンに声をかけた。


「ほんとに帰っちまうのかよ?」

「せっかく謎めいた三種の神器を見つけたのに…」

「ダイヤモンド諦めちゃうの?」


 元太光彦歩美の言葉に、コナンは表情を変えないまま頷く。神器に刻まれたそれぞれの文字の意味も、石灯籠に刻まれた暗号─── ダイヤモンドの在処を示す場所もさっぱり分からないからな、と。
 コナンが解けなければ手詰まりだ。あからさまにがっくりと肩を落とした子供達は、後ろを歩くライハを見上げてぱっと顔を明るくした。が、訊かれる前にライハは眉を下げて困ったように笑い首を横に振る。再び肩を落とした子供達には悪いが、できればこのまま帰ってもらいたいから教えるわけにはいかない。もっとも、ああ言うコナンは当然解けてしまっているのだけど。自分を含む大人達が姿を消せば教えてくれるだろうから、それを待つといい。とは、言わなかったが。

 分かれ道に来たところで堆がこの辺でと言って別れ、須藤はもう少し屋敷の中を調べるかと呟き別の隠し扉を開ける。あとは大した仕掛けがないからと子供達の案内を頼まれた形で押しつけられた千住が鼻を鳴らし、勝手にせいと不機嫌そうに返した。


「ライハお兄さんも帰る?」


 歩美の問いに首肯する。暗号は解けず、ダイヤモンドも見つかりそうにないのなら留まる理由はない。
 千住の先導でひじりと快斗が使った一方通行の隠し扉を通り、屋敷の中へ。それから玄関へと移動し、一同はようやく外に出られた。新鮮な外の空気が気持ち良い。雨もいつの間にかやんでいた。
 だが外はとっくに陽が暮れていて真っ暗だ。そういえば博士が警察に連絡しに行ったはずだと目だけで辺りを見渡すも見慣れた姿はなく、もしかして警察を呼んだあと屋敷に来る途中で迷ったのかもしれない。


「博士、まだ来てねぇみてーだな?」

「博士?」

「ほんとは博士がお巡りさん連れてここに来ることになってたんだけど…」


 元太が辺りを見渡してこぼした言葉に千住が反応すれば、歩美が保護者の存在を教えてくれる。連れが来るなら山を降りるのに自分は必要ないと千住が背を向けて歩き出し、道草食わずに早く帰るよう釘を刺して森の方へ向かった老婆に、帰してしまっていいのかと元太がコナンに問い、殺人犯かもしれないんですよと光彦に言われるが、コナンは何も言わないまま見送った。


「……ねぇライハ兄ちゃん」


 千住が見えなくなったところでふいに名前を呼ばれ、静かに佇んでいたライハはこちらを振り返らないまま声をかけてきたコナンを横目に見て笑みを深める。


「答え合わせ、しない?」


 答え合わせ?と子供達が声を揃える。
 振り返ったコナンは口の端を吊り上げて笑っており、真正面から子供らしからぬ鋭い視線を受けたライハは肩をすくめるとポケットから取り出した紙にペンを走らせた。


『しません』

「へ?」


 思ってもなかった返答だったようで、間の抜けた声を上げるコナンに近づいて頭をひと撫でし、横を通り過ぎて子供達に背を向けたままひらひらと手を振ったライハはそのまま森へと向かって歩いた。

 木々の合間を縫って奥へと進めば、懐中電灯の光に照らされてぼうと闇に浮かび上がる老婆の姿。何も知らずに遭遇したらさすがに驚くなと思いながら近づく。


「お前さん、あの小僧に気づかれたのか?」

『確信には至ってないかと。僕が暗号を解いた上で黙っているとは分かってたようですけれどね』

「紙に書けば分かりやすいからのぉ」


 けらけらと笑う千住に頷き、喉の調子はと訊かれて首を横に振る。それよりもと文字が書かれた紙を差し出した。


『僕は彼女の後ろに回り込みます。あなたは子供達を』

「……ま、それが妥当じゃろ」


 胸中はものすごく渋っているであろうに、適材適所を見極めて頷く千住から自分の暗視ゴーグルを受け取り、短いやり取りを終えて屋敷の裏手の方へと森を回る。
 さてあともうひと仕事、と内心呟いた青年がふいに足を止め、懐中電灯のスイッチを切って腰のシザーケースに仕舞い、代わりに暗視ゴーグルをつけた。

 屋敷を出てすぐに気づいた気配と滝だけではない水音を思い出す。コナン達は千住の方を見ていて気づかなかったようだが、千住と子供達以外に五感のアンテナを張っていたためすぐに気づいた。

 何もなければ、彼女が何もしなければそれでいい。野府ライハはそのまま姿を消すだけ。
 しかし、万が一ということもある。あらゆるパターンを常に頭に置き、それぞれにうまく対応して動かなければならない。あの子達を危険な目に遭わせるわけにはいかないのだから。
 ─── ただ、それだけのこと。






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