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 都内某所、セーフハウスも兼ねている某ホテルの一室にて仕事をしていた赤井はふいに全ての動きを止め、手に持った書類に目を落としながらおもむろに足を組み替えて呟いた。


「あいつらの次の訓練メニューを3倍にするか」


 特に意味はない。強いて言うならば何となく勝手に想像されてひどく笑われた気がしたから、という何とも理不尽極まるものだったが、赤井は組み直すことに決めたメニューを撤回するつもりは微塵もなく鼻を鳴らして笑った。






□ 絡繰屋敷 13 □





「……!」


 ふいにぞわりと悪寒が走り、顔を引き攣らせたライハは左右を見渡して感じた気がした気配の主がどこにもいないことにほっと息をつく。

 トレジャーハンターが2人もいるお陰でトラップをある程度避けることはでき、また一度探索しているためどこに何があるのか判っているから子供達がそれに触れないよう自然を装って誘導して、何の問題もなく一同は3階へと辿り着いたが、そこで赤井の気配を感じて思わず足を止めてしまっていたせいで子供達と距離を空けてしまい、まだ鳥肌の残る腕を服の上からさすってライハは子供達を追う。

 枠しか残っていない窓から外を覗いた元太がてっぺんに着いたみてーだぞと知らせる。光彦が3階唯一の部屋を見渡すも特に何もなく、じゃあ屋根の上ってこと?と歩美が言い、子供達は屋根に登るところを探して辺りを見渡し、天井から下がる梯子に気づいた。元太が我先にと窓から梯子へと駆け寄り手を伸ばして、それに気づいたライハが顔色を変えて走り出すと同時にコナンが叫んだ。


「よせ!!!そいつは罠だ!!!」


 コナンの剣幕に驚いた元太がへ?と声を上げて動きを止めるが時既に遅し。梯子のふみざんに手をかけていたため仕掛けが作動し、ぱかりと大口を空けた床に落ちる前に、ライハは一番手前にいた哀の腕を引っ掴んで穴の外側へと投げた。
 間に合わなかった歩美、光彦、元太がそのまま落ちていく。驚きに目を見開いた哀が床の上で尻もちをついたことを視界の端で確認し、穴の中へと躊躇わず飛び込んだライハに続くようにコナンもまた飛び込んだ。


「ライハ兄ちゃん!」


 落ちながら歩美を掴んで引き寄せたライハをコナンが呼ぶ。ライハは体重が重い分落ちるのが早い元太を一瞥して意図を悟り、穴の縁を蹴って勢いをつけたためすぐに追いついたコナンを掴むと勢いよく下へと投げた。コナンが光彦を抜き、元太をも追い抜いて一番下へ行く。
 しがみつく歩美を抱え、光彦にも手を伸ばして引き寄せたライハが2人の頭を抱えると同時、コナンがスイッチを押したサッカーボール射出ベルトから最大限空気を入れて膨らませたボールが落とし穴を塞いだ。
 バムッと音を立てて先に元太が着地し、次いで空中で体勢を整え足からライハも下りる。ボールに尻をつけ、跳ねが収まると歩美と光彦を抱えていた腕を解いた。


「あ、ありがとうございますライハさん」


 恐る恐る離れ、無事であることにほっと息をついた2人に礼を言われる。す、と一番の功労者であるコナンを指で示せば歩美と光彦がコナンにも礼を言って、それを受け取ったコナンが「言ってただろ?上に登ろうとすると下に落ちるって」と苦笑した。


「おーい大丈夫かー?今ロープ下ろしてやるから」


 須藤の声に顔を上げて手を振り、ライハは元太が怪我をしていないことを素早く確かめ軽く背中を叩く。そのときふと視線を感じて横目で窺えば、コナンの厳しい視線と目が合った。目を細めて浮かべた微笑みを深めると尚更コナンの目がきつくなり、表情とは裏腹にまずいなと内心で呟く。
 少し動き過ぎた。意図を悟ったからライハはコナンを下へ投げたが、野府ライハはコナンとは初対面、コナン自身についても彼が何の道具を持っているかも知らないはずで、普通なら子供を下に投げたりしない。第三者から見れば頭が狂ったのかと思われかねなかった。
 無意識に頼んだコナン自身もそのことに気づいたのだろう。「野府ライハはただ者ではない」くらいであればいくらでも誤魔化しようがあるのだが。
 しかしたとえ時間を巻き戻して同じ状況になっても同じように真っ先に飛び込んだだろうから、後悔はなかった。だが反省はして、今後子供達から目を離さないようにしようと誓う。


 シュー…


 ふいに空気が抜ける音がすることに気づき、そういえば射出ベルトから出たサッカーボールの空気は長く持たないことを思い出したライハが子供達に手を伸ばす前に、空気が抜けてぐにゃりと歪んだボールにバランスを崩す。
 再度落ちることを予感し、またですかぁ!?と悲鳴を上げた光彦が反射からかしがみついてきて、歩美も手を伸ばしてきたので引き寄せて胸に抱えた。

 空気の抜けたボールが緩んで落ちる。1階分の高さからの再落下だったこととボールに僅かながら空気が残っていたことが幸いし、地下に落ちて砂埃を巻き上げたが多少体を打っただけで済んだ。地面に背を向けて抱えていた歩美を離してしがみついていた光彦の怪我がないことを確認する。
 縦穴からロープが下りてきて、ライハは歩美と光彦の傍を離れるとコナンと元太の無事を目視で確認し、子供達を手で示してその場から移動させた。


「……」

「歩美ちゃん?どうしました?」

「うん…ライハお兄さん、すごくやわらかかったなって…」

「やわらかい…?そういえば、確かに…」


 歩美と光彦の交わされた会話はしかし誰にも聞き留められることはなく、首を傾げ合いながらも答えを出せない2人は抱き着いて密着した体が女のものであるとは気づかないまま、無意識ながら今一番安心できる青年のもとへと近づいて行った。










 3階から垂らされたロープを伝いまず先にあくつが、次に須藤、最後に哀が下りて来て、縦穴から姿が見えたときにライハは反射的に腕を伸ばそうとし、緊急時でもないのに野府ライハとしては過ぎた親切かと思い直して直立したまま待っていれば、ライハの足元に歩美と光彦がいるのを見た哀が無言でロープから片手を離して腕を伸ばした。


「ライハさん、下ろして」


 哀の要求にぱちりと瞬きひとつ。視界の端でぎょっとコナンが目を見開いて振り返ったのが分かる。他人になかなか心を開かない哀にしては珍しく、もしかしてバレているのかと思ったが頼まれた通り下ろそうと抱えた体は緊張から固くなっており、どうやらそうではないようだ。
 丁寧に床に下ろし、そういえば先程緊急とはいえ乱暴に哀を投げ飛ばしたことを思い出して自分が掴んだ腕に視線を落とせば、「痛くないわ、ありがとう」と察した哀に礼を言われて頷きを返した。

 何はともあれ、全員無事に地下へ降りることができた。
 辺りを腕時計のライトで照らしながら最下層まで来てしまったようですねと呟く光彦にてっぺんに行きたかったと歩美が続ける。
 気持ちは分かるが、屋根はハズレだ。何もない。2階にいた堆は既に屋根を調べた後だったようで、何もなかったわよと教えてくれた。残念そうな声を歩美が上げたが、ここは地下に落ちることが正解だ。
 ライハはぽんと歩美の頭に手を置いて撫で、上を指差してバツを、地面を指差して丸を作れば意図はきちんと伝わったようで「そっか」と笑顔が見れた。
 そのとき、足元を照らした元太がこの辺り一帯に転がるものの正体に気づいて顔を引き攣らせる。


「お、おい!ここガイコツだらけだぞ!」

「ええっ!?」


 悲鳴を上げてライハのズボンに縋りつく歩美を宥めるように背中を叩く。骸骨が纏う衣類を見てトレジャーハンターだと分析する須藤を流し見、さてここにいるはずの快斗─── 老婆はと視線を滑らせていくと、ちょうど壁伝いに歩くコナンの先に地面に座りこむ人物を見つけた。
 ライハが近づいて行けば歩美も自然老婆を視界に入れてその存在に気づくが、俯いているせいか「こんなおじいさんまで…」と呟いた通り性別を間違えた。中身は合ってるけどね、とはもちろん口にしないしそもそも声はまだ出ない。


「ジジィじゃあのぉて…ババァじゃよ」


 ふいに目の前の老婆が瞼を押し開けて声を発し、驚いた歩美が悲鳴を上げてライハの足に顔をうずめる。
 どうやら眠りこんでいたらしく、あくびをこぼした老婆はよく寝たわいと伸びをした。歩美の悲鳴に何だ何だと全員が集まってきて、堆と須藤が老婆に声をかけた。


「あら、おばーさんもライバル?」

「ん?」

「あんたもトレジャーハンターなんだろ?」


 須藤の言葉を聞き間違え、レジャーなんぞに来ておらんわと眉を寄せた老婆がワシは墓参りがしたかっただけじゃと続ける。


「墓?」


 老婆の言葉に眉を寄せたコナンが地下の奥にある墓石に気づく。
 腕時計のライトに照らされたそれに全員が注目する中、野府ライハとして同行するひじりの足元に集まる、哀を含めた子供達を見て老婆が小さく笑みを浮かべたことに気づく者はおらず、まぁひじりさんがこいつらをないがしろにできるはずねーしな、と内心呟いたことなど、やはり当人以外に分かるはずがなかった。






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