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 特に問題なく野府ライハとしてコナン達と合流したひじりは、須藤が沼に沈めた男を殺した犯人か判断がつかず、ひとまず当たり障りのない会話をしつつ子供達とできるだけ接触させないことに努めた。
 外見と年齢のお陰か、何もせずとも基本的に子供達は自分の傍にいてくれるからいいが、先頭を行きたがる元太は必然的に須藤の近くにいることが多く気が抜けない。まさか子供相手に今すぐ手を出してくるとは思わないが、人質に取られる可能性も加味しなければならなかった。

 川を横断する反橋そりはしを渡った元太が橋の先にある落とし穴を見つけて今度は引っ掛からないとほくそ笑むが、それはトラップではない。
 須藤が落とし穴に模したスイッチを押して簡易エレベーターを起動させ、鈍い音を立ててゆっくりと上がっていくそれにライハは子供達を先に乗せる。ふとコナンに目をやれば大きな太い柱に手を当てており、やっぱり気になるよねと内心で頷いたが、身長の半分ほど上昇した簡易エレベーターに焦った歩美がコナンを急かしたため、手を上げて任せてと示したひじりはライハとしてコナンへ手を伸ばした。






□ 絡繰屋敷 12 □





 ちょっとした悪戯心でコナンを横抱きにして簡易エレベーターに乗り込み、抱えられ恥ずかしそうに「下ろしてよライハ兄ちゃん!」と抗議されて笑顔で言われた通り下ろしてやれば上目遣いに睥睨されるが当のライハはどこ吹く風、しれっと笑みを浮かべて崩すことはなかった。


「つまり上に行こうとすると下に、下に行こうとすると上に行く仕掛けになっているんですね!」

「タネが分かれば簡単だな!」


 光彦がこの屋敷の基本を悟り、元太が楽勝だと笑う。そう簡単にいくのなら数多のトレジャーハンターはこの屋敷に呑まれたりはしないのだが、喋ることができないライハは微笑んだまま黙っていた。
 2階の床から顔を出し、ここには毒蜘蛛が放たれているから子供達が噛まれないよう床や柱に視線を滑らせて蜘蛛を探す。
 このエレベーターの床は安全地帯であるため子供達をさりげなく中央に寄せて柱に背を向け、ライハが前を向いたのと唐突に空気を切ってナイフが飛んできたのは同時だった。ライハは半ば無意識に掴み取りそうになりかけたが無理やり手の動きを止める。元太の顔の横をナイフが通り過ぎ、カッ!と音を立てて後ろの柱に刺さった。


「バカね…そんなに簡単なら、探すのに苦労しないわよ」


 こちらに向かってナイフを投げたのは女だった。「そうでしょ?子連れのトレジャーハンターさん?」と薄く笑う彼女に向けた目が冷ややかなものであることには誰にも気づかれず、ライハはひとつ瞬きをして瞳の温度を散らすと、自分の顔の横を通り過ぎたナイフに肝を冷やして固まっていた元太の背中を軽く叩いた。はっと我に返った元太が慌ててその場を離れる。ライハの後ろに回り、ライハを柱に刺さるナイフの方に向かせたところで女に自分の背を向けることに気づくと今度はライハの体を女の方に向けてその背に隠れた。操られるままくるくると体を回されて、目を回しはしないが視界が忙しない。
 気づけば歩美や光彦も傍に寄って隠れるように後ろにつき、ライハは苦笑ひとつこぼして女が投げたナイフに目をやった。

 このガキ共は連れじゃねぇよと言いながら柱に刺さったナイフを抜いた須藤がガキ相手に刃物はと苦言を呈そうとすれば、女にナイフの先をよく見てみなさいよと返される。言われた通りナイフの先を見た須藤がぎょっとして「ど、毒蜘蛛!?」と声を上げた。成程、どうやら助けてくれたらしい。


(……彼女か)


 しかし、ライハは表面上笑みを浮かべたまま油断なく女を観察する。探索グッズが入ったリュックを背負い、ちらりと覗いた胸元を見るにナイフはあと数本はストックがある。飛び道具がナイフだけならばライハひとりでも制圧できるだろうが、人ひとり殺して平然としているような人間だ、何を持っていてもおかしくない。

 そう─── この女だ、あの男を殺して沼に沈めたのは。

 これは推理ではない、ただの消去法。
 この屋敷に訪れたのはひじりと快斗を除いて3人。1人目は途中で地下に落ち、2人目は殺され、3人目は2人目を殺して上階へ行った。
 探索していたのだろう女がこうして2階にいる以上、地下に落ちた1人目は須藤だ。たとえ須藤が3人目であり上階で罠にかかって地下に落ちたのだとしても、2階への仕掛けが作動した音は一度しかなかったため須藤が3人目であるなら女が2階にいるはずがない。
 腕時計の盗聴器のスイッチは別れてから入ったままであるため、地下にいる快斗も判ったはずだ。

 犯人は判った。しかし、コナンに伝えることはできそうにない。特定方法を話せば「見習いのトレジャーハンター」と名乗ってしまった以上なぜ分かったのかと厳しい追及を受けることには間違いなく、そうすると芋づる式に怪盗キッドの存在が明らかになってしまいかねない。それはダメだ。
 それに何より、今は子供達がいる。そしてここは訪れた者の命を奪おうとする仕掛けだらけの絡繰屋敷。今この女を追及するのは愚策でしかなく、コナンが犯人に辿り着けなかったならそれはそれで、外に出た後にでもこっそり捕えて警察に送り届ければいいだろう。


「ねぇ…もしかしてあのお姉さんがキッド?」


 ライハのズボンを掴んでこっそり訊く歩美に意識を戻して下を見る。キッドって男じゃねぇのかと元太が言い、女性にも変装すると聞きましたけど、と光彦が事実を口にして、こそこそと話す子供達を一瞥した女が毒蜘蛛はまだその辺にいると笑って忠告する。えっ!?と声を揃えて驚いた子供達3人にしがみつかれ、警戒されてないのはいいけれどされなさすぎるのも問題かなとライハは冷静に反省点を考える。
 だが子供達に冷たくするのは何だか違う気がする。そう思いながらも安心させるように子供達の背中を優しく叩いているのだから、もしこの場に快斗がいれば「ひじりさんが子供達に冷たくするのは不可能ですね」と真顔で断言されていただろう。


「あなたも同業者かしら?」

『見習いですけれどね』


 女に問われ、先程須藤に見せた紙をもう一度掲げて喉を叩き指でバツを作る。そして自分の名前を教えてあなたは?と視線で問えば、女は青年が喋れないことを察しつつもそこに触れずあくつ 沙利奈さりなと名乗った。


「見習いなら、分からないことがあれば教えてあげるわよ。もちろん対価はいただくけどね」


 身を寄せて蠱惑的に笑う堆に、しかしライハはゆっくりと頷いただけで表情を変えることなく浮かんだ微笑みを崩さない。
 整った顔立ちのマスクをつけているので彼女に迫られているのは分かるが、さてどうあしらおうかと考えながら視線を滑らせるとやや機嫌を損ねているらしい須藤と目が合った。女とべたべたしてんじゃねぇよ、と言いたいのかもしれない。むしろこちらとしては助けてほしいのだけど。


「ラ、ライハさんにはお師匠さんがいますから!」

「すっげー怖いみてぇだけど姉ちゃんが教えることはねーと思うぞ!」

「そうよね、ライハお兄さん!」


 ふいに足元から上がった声に視線を落とせば子供達が盾になるように立っていて、どうやらキッドもしくは殺人犯かもしれない女から庇ってくれているらしい。ライハがそうだとは微塵も疑っていないようだが。
 その気持ちが嬉しくて目を細めて笑みを深め、子供達の頭をそれぞれひと撫でし、もう一度あくつと目を合わせて首を横に振る。


『せっかくのご厚意ですが、自分以外に教わったと分かれば師匠に殺されかねません。なのでお気持ちだけ頂きますね』


 紙に書かれた文章を見て、さらに小さな護衛が3人もいては不利と悟ったらしく、肩を竦めた彼女は「その気になったらいらっしゃい」と言い残して先を歩いて行った。
 堆に見せた紙を見たがる元太に手を伸ばされたので隠すものでもないと渡せば、歩美と一緒に覗きこんだ光彦がうわぁと引き攣った声を上げる。


「ライハさんのお師匠さん、そんなに厳しい人なんですか?」


 光彦に肯定すると「母ちゃんみてーだな」と少し顔を青くした元太が呟き、“師匠”のモデルとなった赤井が割烹着をつけて「夕飯ができたから用意しろ」と言うところをうっかり想像してしまったひじりは内心盛大に噴き出した。似合わなさすぎる。
 漏れ出ないよう俯いて必死に笑いを噛み殺すも微かに体がぷるぷる震えてしまい、それが師に刻み込まれた恐怖からくるものだと勘違いした一同に気遣うような視線を送られて、しかし笑いをこらえているために訂正もできない。

 割烹着姿の赤井は封印しておこうと思い出さないよう頭の中の箱にしまい込んだひじりは、近い将来赤井ではない彼がエプロンをつけて「夕飯ができましたので手伝ってくれますか?」と言うことになるなど、この時は全く想像していなかった。
 ちなみに地下ではライハと同じ想像をした老婆が腹を抱えて呼吸が危うくなるほど笑い転げているのだが、幸いかその声は誰の耳にも拾われることはなかった。






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