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 予感は見事に的中しそうだ。もはや確信にまで至っている2人は早速変装の内容を詰めた。
 ひじりは口が利けないトレジャーハンター見習いの青年、快斗は同じくトレジャーハンターの老婆で、2人に関係はなく真っ赤な他人ということにする。

 怪盗キッドがこの屋敷にいるとはまだ判らないだろうが、“仁王の石”がビッグジュエルであることくらいは簡単に辿り着き、キッドの正体が快斗であること、そしてひじりも協力しているのだとコナンに知られている状況下で屋敷にいる2人が連れ合いとなると妙な勘繰りをされるのは間違いなく、それは勘弁してほしかった。裏を掻く目的があって敢えてそうするのも悪くはないが、今回はとにかく宝石を取らせなければいいのだ、あまり練り込む必要はない。
 ひとまずはコナン達の動向を窺うことにして、森の向こうからやって来た複数の人間を確認し2人はまた息を潜めた。






□ 絡繰屋敷 10 □





 子供達はコナンと哀、そして博士をこの屋敷に連れて戻って来た。
 コナンがすんなりと読んだ石灯籠の火袋に刻まれた暗号は三水吉右衛門の残したもので、“仁王の石”がダイヤモンドであることを解説し子供達の目を輝かせるまでは予想通り。
 しかし沼に沈められた石灯籠の状態から然程時間が経っておらず、つまり石灯籠を沈めた誰かはまだ近くにいる可能性を哀が呟いたとき、沼を一瞥したコナンが何かに気づいた様子で顔色を変えたのを見て、ひじりは変装マスクに隠された目許に険を宿した。


「灯籠を沈めたのは暗号を隠すためだけじゃない…殺人を隠すためでもあったみたいだぜ?」


 成程、やはりさっきの気配は。
 沼を見下ろして呟くコナンの言葉に、ひじりは視線だけを快斗と交わす。

 それからコナン達は協力して沼の石を全て取り除き、底に沈められていたひとりの男を引き上げた。目を見開いたまま絶命している男を沼のほとりに横たわらせてコナンが覗きこむ。

 沼の水温は20度前後。季節にしては温かいが、これは地下に温泉がありその熱で温められているせいだ。
 水温が高いと水中の死体は腐敗ガスが溜まりやすく、しかし男にはそれがない。殺されてからあまり時間が経っていない証拠だ。そして首に残された索状物の跡を見て、絞殺されたあと沼に沈められ浮かんでこないように石灯籠を積み上げられたのだろうとコナンが推理し、「正解」と2人は内心で丸をつける。

 犯人は現時点では判らないものの、この屋敷で数時間前に殺されたのだから十中八九お宝絡みであると見抜き、殺された男の所持品を検めていたコナンが男の胸ポケットから何かを取り出した。それは運転免許証で、男の名前が玉井 照尚てるひさだと判明する。


「ん?ズボンの裾に何か入ってるな」

「ま、まさかダイヤか!?」


 身を乗り出す元太に応えず、コナンが見下ろすものとは。
 こちらに背を向けているためひじりと快斗にはそれが何かが判らず、2人は揃って宙を見て考え、そういえば男の方が先に来て石灯籠を調べていたことを思い出してまったく同じタイミングで顔を見合わせ互いに指を差した。コナンが手にしているのは“炎”と文字が刻まれた勾玉だ。
 無音の中で答え合わせをした2人は外にいる者達に気づかれることはなく、車に戻り警察へ連絡するようコナンに頼まれてキャンプ地へ走って戻る博士を見送る。


「んじゃ、陽も暮れてきたし…オレ達もテントへ戻るぞ!」

「ええ~~~!?」

「お宝探さねぇのかよ!?」

「暗号解読しましょうよ!」


 コナンに抗議の声を上げる子供達に同調するように、目を瞬いた2人はコナンの言葉を意外に思った。しかし男が殺されたのはここ数時間で、つまり犯人が近くにいるということ。宝のために人を殺すことを厭わない人間だ、コナンや哀ならばともかく、元太や光彦、歩美のような非力な子供がいては危険すぎると判断したらしい。
 まぁ確かに、と納得する。コナンに加えてひじり、快斗がいるから子供達を危険な目に遭わせるつもりはないが、コナンには当然それが判らないのだから暗号を放っておく選択をするのも分かる。
 帰ってくれるならそれはそれで全然構わないため静かに成り行きを見守る。ひじりとしてはこのままコナンに従って全員帰ってほしいところだが、果たして。


「それに、この人だって名前が判っただけで、何者かまだ判ってねーんだぞ!」

「トレジャーハンターみたいね」


 男の胸元を探っていた哀が手帳を見つけたようで濡れたページをめくりながら教え、子供達の説得を続けていたコナンが「え?」と哀を振り返った。
 どうやら男の手帳には日本各地に散らばった財宝の資料や地図で埋め尽くされており、この三水吉右衛門の宝の探索経過も詳しく書き込んであるらしい。そこに日記のように書かれている文字を哀が読み上げる。


「なかなか使える相棒と組めたし、これならあのキザなコソドロを出し抜ける。何度も煮え湯を飲まされたあの手品師を…」


 ちら、とひじりが横目に視線をやると、コナン達に視線を向けたまま快斗が薄っすらと唇を吊り上げた。
 初代怪盗キッド─── 黒羽盗一は幾度となくトレジャーハンターを相手に宝石の奪取を繰り広げていたとは寺井から聞いたことがあり、そしてひじりが快斗=怪盗キッドであると知る以前、彼もまたちょくちょくそういった情報を手に入れては出向いていたのだという。

 黄昏の館でも思ったが、探偵のみならずトレジャーハンターをも悩ませるとは、本当に随分とおモテのようだ。
 老若男女問わず虜にする怪盗に目を細めると、視線に気づいた快斗がひじりの顔を見て頬を引き攣らせた。おや、確か今は穏やかな微笑みが浮かんでいるはずなのだが。
 自分の目が全く笑っていないことにまでは気が回らず、怒ってはいないしむしろ誇らしいような気持ちもあるが何だろうこの微妙に言葉にできない感情はと顎に手を当て、己もまた怪盗キッドに狂わされたひとりであるのだと内心苦笑する。それはそれで悪くはないひじりは気を取り直してコナンに視線を戻した。オレ何かしたかな、とこちらもまた頭を悩ませていた快斗もひじりにつられて視線を戻す。

 コナンを放っておいて自分達で探そうと元太が言い出し光彦が賛成したが、暗号を解くにはコナンがいなければダメだと分かっている歩美が「でも…」と声を上げる。しかしコナンが静かに笑みを浮かべたのを見て、哀が歩美に近寄り大丈夫と小さく笑った。イグニッションキーはもう回されたみたいだからと続けられ、コナンの表情を察した快斗が笑みを深めた。
 コナンが関わると邪魔をされて厄介だとこぼすのに、結局キッドのステージには彼のような好敵手がいた方が楽しめていることを、ひじりはとっくに気づいていた。


(探偵と怪盗、相容れることはない2人だけど…彼らなりに攻防コミュニケーションを楽しんでいるようで何より)


 ひじりがひとり肩を竦めたそのとき、ぽつりと窓枠に水滴が落ちる。空を見上げればいつの間にか灰色の雲が広がっていて、ぽつぽつと水滴を落としていた。
 まるで、早く入っておいでと言わんばかりのタイミングだ。雨雲は素知らぬ顔でしとしとと水滴を落としている。


「成程?今回はまさに、『ダイヤモンドカットダイヤモンド』の始まりなのかしら?」


 外から聞こえる哀の声に意識を戻す。何のことかと首を傾げる子供達に、ベルギーの諺であり、ダイヤモンドを削るときにダイヤモンドを使うように、智者同士強者同士の冷静で凄まじい戦いのことを差すのだと哀が教える。
 だがコナンは自身もあいつもダイヤモンドなどと大層なものではないと否定し、真実をベールで覆い隠して面白がってるただの泥棒と、それを剥ぎ取りたくてうずうずしているただの探偵なのだと不敵に笑った。


「…ひじりさん」


 コナン達に気づかれないよう小さく名前を呼ばれ、振り返ったひじりはそっと窓枠から離れる快斗について行った。
 先程、コナン達を見ている間に屋敷のどこかの仕掛けが動く小さな音がした。それが玉井という男を殺した人物なのかは判らないが、部屋を出た2人は記憶を頼りに気配を探りつつ鉢合わせないよう暗い廊下を歩く。

 彼らが屋敷に入ると言う前にあの場を離れたが、必ずコナンはこの屋敷に入って来る。となれば、命の危険がある仕掛けだらけのこの屋敷に好奇心旺盛で行動力の塊である子供達は相性が悪く、コナンひとりでは面倒見切れるかは分からない。ひじりはちらりと玄関の方を視線だけで振り返った。


「あいつがいればひとまず地下までは辿り着ける。オレは先回りして待ってます」

『私はあの子達と一緒にいることにするよ』


 声が出せないためカードに書いた文字を見せると、予想していたのか分かりましたと頷かれた。
 壁に落とし穴直通の隠し扉がある部屋で足を止めた快斗がおもむろに老婆のマスクをかぶって腰を曲げ、肩に担いだバッグから懐中電灯を2つ取り出してひとつをひじりに渡した。暗視ゴーグルは2つともバッグの奥底だ。さらにバッグの中から大きめのシザーケースを受け取り、腰に取りつけてポケットにペン型スタンガンをねじこむ。あとは適当に探索グッズを分け、準備を整えた快斗が壁に体重をかけた。途端、隠し扉が開いて落とし穴が顔を出す。


「それじゃ、また後での」

『無茶をして動けなくなったりしませんように、おばあさん』

「……ひじりさんそれ、まさかあの探偵ヤローの口調じゃ」


 老婆になりきっていたのにひじりのカードを見た途端顔を歪めて素を出す快斗の背をぽんと押して落とし穴に容赦なく突っ込む。追及されるとキャラ変えを要求されそうだった。
 隠し扉を元に戻してタオルで胸を潰し、クラスメイトだからだとしても瞬時にモデルを見抜かれたのはまずいかと考えるが、茶髪ではなく黒髪であるし、歳も少し上だ。何より筆談ではそう頻繁に話すこともないからそこまで気にしなくてもいいかと思い直す。だが嫌み成分は抜きにしてひたすらに丁寧で紳士要素を、と思うもそれではまるで怪盗紳士キッドだ。


(うん、このままでいいや)


 モデルはいてもその人そのものになりきるわけではないので、彼と素のひじり、混ざってちょうどいい塩梅になるだろう。そもそも、快斗が作ってくれたこの顔で乱暴口調は似合わないためそうするしかないとも言う。
 快斗に向けたカードをライターで燃やし、ひじりはひとつ息をつくとコナン達が入って来るであろう玄関の方向へと踵を返した。






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