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「1人目がこの屋敷にやって来たのはちょうど太陽が南中した頃で、その1時間半後に2人目、3人目はつい先程です。…そうですね、彼らを屋敷に来た順番にA、B、Cと仮定しましょう。まず1人目のAですが───」





□ 絡繰屋敷 9 □





 1人目の来訪者Aは玄関の階段トラップに引っ掛かることなく慣れた様子で暫く屋敷を歩き回り、しかしこの隠し部屋には気づかず通り過ぎて、どこかの仕掛けを作動させたのかふいにぱたりとその気配を消した。ひじりを残したまま隠し部屋を離れるわけにはいかなかった快斗が軋む床の音から歩いた距離と方向を推測すると、それは2人が探索して見つけた仕掛けのひとつ、それも快斗が偶然壁に寄り掛かったらぱかりと開いた隠し扉があった場所。確かその先には何もない闇が広がっている人ひとり分の落とし穴だったはずで、ひじりがいたために落下を免れた快斗と違い、そのまま落ちてしまったのだろうと言う。

 あのとき、快斗が試しに石を落としたところそう間を置かずカツンと乾いた音が聞こえた。それほど深くはない。地下へ落ちてしまったのだとしても頭から落ちさえしなければ死にはしないだろう。Aが地上へ生きて出られるかはまだ分からないが。
 自分達が帰るまでに出てこなかったら一応捜しに行くことを頷き合うことで決め、2人目Bの話を待つ。


「Bは暫く外にいたようでした」


 おそらく表にあった4つの石灯籠を念入りに調べていたのでしょうと快斗が顎に指を当てる。となれば、もしかするとあの勾玉を見つけたのかもしれない。Aはやって来て割とすぐに屋敷に入ったと言うのだから石灯籠の暗号すら見ていない可能性はあるが、まぁ今は放っておいていいことだ。
 数十分後Bは屋敷に入ったがすぐに出て行ったようで、おそらくこのあと来るCを出し抜こうとしたものの屋敷の仕掛けにひとりでは分が悪いと判断したのかもしれなかった。それから屋敷には誰も入らず、3人目Cがやって来てふいに表が騒がしくなったと思った瞬間ひじりが飛び起きた、と。それからのCの行動はひじりも知っての通りだ。

 話を聞き終えたひじりは把握したと指で丸を作って頷き、おもむろにバッグから変装道具を取り出した快斗に首を傾げた。ひじりを振り返った快斗が短い黒髪のカツラを手に薄く唇を吊り上げる。


「これからどうなるにせよ、素顔を誰にも見せないようにしましょう。ここには気づかれませんでしたが、万が一を考えて先に変装しておくべきかと」


 快斗の言葉に頷いて賛成する。ただ屋敷を探索しに来たトレジャーハンターであったならばわざわざ変装する必要もなかったが、どうにも平穏無事に済むと日和ることはできそうにない。

 ちゃっちゃと手慣れた様子でマスクを作る快斗の手元を物珍しさから覗きこむ。そういえば全くの別人に変装するのはコナンを騙すときに有希子に仕立ててもらって以来だ。あのときは高飛車ツンデレお嬢様風キャラを装ったけれど、さて今回はどうしようか。声を出せないのだから自然とあまり活発ではない人物になりそうだ。


ひじりさん表情作れますけど、本調子じゃないからできるだけ負担を減らせるようにしますね」

「……?」

「はいこれつけてー。うん、ここをこうして、ちょちょいのちょいっと」


 どうやら変装後は今と殆ど年齢差がない外見のマスクを作ったようで、大して時間をかけずにできたそれをつけたひじりの顔に快斗が少し手を加える。
 はい完成~と笑って向けられた鏡の中には、目尻を下げやわらかな微笑を浮かべた青年がいた。骨ばっていない輪郭はやや中性的で、しかし無表情が常のひじりとは全く雰囲気が違う。そして今、マスクの下にあるひじりは無表情のままだというのに、青年は静かに微笑んでいる。ついと目を細めてみれば笑みが深まった。


「微笑みがデフォなので表情を作る必要はありませんよ。その分ちょっとマスクが浮きますが、屋敷の中は薄暗いですし、夜になれば尚更気づかれることはないかと」


 気づかれることがあるとするなら直接顔に360度満遍なくライトを向けられた場合だが、そもそもひとりの人間にたくさんのライトが集中する状況は滅多にない。たとえあったとしても、そうなったときには眩しいと顔を隠せるのでさらに可能性は減る。体形については、急拵えだが胸部にタオルを巻いて潰し平坦にすればクリア。
 改めてまじまじと鏡の中の自分を見てマスクの出来に感心し、ひじりは小さく拍手する。快斗が得意そうな顔で笑った。


 ギギギギギギ…


 ふいに鈍い音が響く。どうやら最後に屋敷にやって来た3人目Cが奥の仕掛けを作動して上に行ったようだ。仕掛けが戻ってきて元あった場所に収まるまで無言で待ち、1階に誰の気配もなくなったことを確認して2人はようやく腰を上げた。

 外はまだ明るいが太陽の位置は低く、じきに陽が暮れる。
 隠し部屋を出てなるべく音を立てないよう歩く。屋敷の表が臨める部屋へと入った2人は罠を踏まないよう注意を払って窓に打ちつけた板の隙間から外を覗いた。すぐに石灯籠がなくなっていることに気づいて快斗が眉をひそめ、ひじりは沼に沈められたものが石灯籠だけならいいけどと内心で呟いたが、この屋敷にやって来た者達の内のひとりが怖気づいてすごすごと帰ったとは微塵も思っていない。
 ひじりが屋敷を出て一応沼を確認しておこうかと考えたそのとき、ふいに3つの聞き慣れた声が耳朶を打って快斗と顔を見合わせた。


「なー、でっけー家があるぞ!」

「これはまた、ぼろぼろですねー」

「お化け屋敷みたーい」


 少年2人と少女が1人。ひじりと快斗がさっと窓の下に身を隠したのは同時で、「ハハハ、やっぱ来やがった…」と快斗の引き攣った笑いが小さく響いた。隠れる瞬間に見えた子供は元太と光彦と歩美の3人で間違いない。


「ねえねえ、お魚さんがいるよ!」

「これは鯉ですよ。確か食べられるはずですが…」

「うまいのか!?」

「えーと、あんまりおいしくないって聞いたような」


 鯉の話題になった瞬間嫌そうに顔を歪めた快斗の耳を両手でふさぎ、ひじりは外の様子に聞き耳を立てる。
 食べられると聞いて目を輝かせた元太はしかしおいしくないと知り残念そうな声を上げ、けれどそれでも食い意地が勝ったのか「本当かどうか、捕まえて食ってみよーぜ!」と言い出したのでブレない子だといっそ感心した。
 川魚などの淡水魚は基本的に独特の臭みが強く食材に適していない。だが清流に数日置いて臭みを抜いたり、きちんと調理すればおいしく食べられるようで、確か江戸時代には鯉は盛んに食べられていたと聞く。だからといってわざわざ手間をかけてまで食べたいとはひじりは思わないが。


「あそこの石の箱に鯉がいるよ!」

「石ごと引き上げれば捕まえられそうですね」

「よーし、オレに任せとけ!」


 ぽんぽんと弾む外の会話に微笑ましくなる。だが石の箱、とは何だろう。快斗と沼を調べたときにはなかったはずだが。しかしすぐに沼に沈められた石灯籠の火袋かと思い至る。となればそれは一見箱の形をしているが底がなく、鯉は捕まえられないのではと考えが及んだところで、「あーっ!」と3人の残念そうな声が響いた。


「逃げられちゃった!」

「これ穴空いてんじゃねーか!」

「……あれ?何か書いてますよ」

「えっ、なになに?何て書いてあるの?」


 どうやら暗号を見つけてしまったらしい。鯉から子供達の意識が逸れたと悟り、ひじりは快斗の耳から手を離した。


「仁王の…?日輪と…何とかのあいだ…?長老あまたあつへ…つどへる…?何とかの地…そこに仁王の石が……うーん、難しい文字が多すぎて分かりません」


 小学一年生にしては知識量の多い光彦でも難題のようで、まぁそれも当然だろう。大人でも難しい字があったのだから尚更だ。もしこれが読める者がいるのだとしたら、快斗とひじりの心当たりは2人。だが彼らにとって真っ先に浮かぶ人物と言ったら。


「コナン君なら読めるかも!」


 歩美の弾んだ声に、読めるだろうなぁと意図せずひじりと快斗は心の声を一致させ、うんうんと頷くタイミングも同じだった。
 本当の小学一年生のときは「しずめよ」を「ちんめよ」と読んでいた可愛らしさはあったが、中身が高校生且つ探偵の彼にとっては難しい文字ではない。

 そういえばあのとき─── 幼い新一と蘭が何となくぎくしゃく、と言うより新一が一方的に蘭から距離を取ろうとしていた時期の私は何をしていたんだっけ、とひじりの思考が飛びかけたところで「とりあえず一度テントに戻りましょう」と言う光彦の声に引き戻された。
 ちらりと窓から目だけを覗かせて森の方へ走って行く子供3人を見送る。その姿が完全に見えなくなったところで、ひじりは小さくため息をついた。






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