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 山の合間から太陽が顔を出した頃、焚火を消して火を使った形跡もできるだけ残さず片付けた2人は隠し部屋を出た。
 今はまだ誰もこの屋敷に来ていないが、夜も明けた今、いつ誰かがやって来たとしてもおかしくはない。今のうちに手に入れたものを元あった場所に戻すために動き始めた。

 “仁王の石”の大仕掛けを作動させないようにするのであればヒントである三種の神器も隠してしまった方がいいかもしれないが、ヒントも何もない状態で暗号が解けずに困り果てた者が適当に屋敷を荒らしてしまうことがあれば何が起こるか分からないため、むしろ残しておいた方がいい。
 それに手掛かりを手に地下のヒントに辿り着いたとしても、石灯籠の暗号が解けなければそれでよし、暗号を解いて滝の裏に来たときにはキッドカードが残されているから、まんまと掠め盗られてしまったものと思い込んで諦めてくれるだろう。

 そういうわけで、勾玉を戻し滝の裏にキッドマークを添えた「仁王の石は頂いた」のメッセージカードを留めるために快斗は屋敷の表に、ひじりは鏡を再び鯉が泳ぐ川に沈めるために川にと二手に分かれた。
 終えたら先程の隠し部屋に集合しましょうと快斗に提案され、体を温めたものの時間が経つにつれ痛みを増していく喉から声を出さずにひじりは頷いた。





□ 絡繰屋敷 8 □





 鏡を川に沈めるだけだったひじりが先に隠し部屋へと戻り、然程間を置かず快斗が戻って来た。誰にも遭うことなく無事に終え、それじゃあ帰りましょうと快斗が促し、それに応えて腰を据えていた床から立ち上がろうと尻を浮かせたひじりは、「キャンプ場に公衆電話があれば楽なんですけど」と呟く快斗の言葉にふと、そういえばコナン達が行く予定のキャンプ場がこの辺りだったことを思い出す。
 今回のキャンプにひじりと快斗は不参加であったため大まかな場所を聞いただけだったのだが、近くであることは間違いなく、詳しく聞いておけばよかったかと今更思う。


「コナン達がこの辺りでキャンプする予定だったと思うんだけど、快斗覚えてない?」

「え?そういえば…次は珍しく遠出をして、自然に囲まれた山でキャンプを……あっ」


 以前「この辺りの予定じゃよ」と博士が見せてくれた地図を思い出したのだろう、道理でこの周りの地図見たとき何か既視感あったんだよなと快斗が頭を抱える。
 さて、このままはいさようならと帰るわけにはいかなくなった。何せ行動力が有り余っている好奇心旺盛な子供達に加え、子供達のストッパーにはなりえるだろうが万が一この屋敷を見つけて石灯籠の暗号に謎解きスイッチが入ってしまいかねない、むしろ今一番近づかせたくない人物No.1なコナンがいる。
 哀や博士もついているだろうが、コナンを止められるかと訊かれれば否だ。あの2人はほぼ間違いなく止めることを諦めるし、ひじりも同じ立場に立ったら仕方ないなと肩を竦めて付き合うだろうからよく分かる。


「キャンプは1泊、今日の予定」

「真正面から止めても無駄だろうからなぁ…今日1日見張って、あいつらが万が一入って来たらそれとなく帰るよう促しますか」

「となると、変装がいるね」

「それはお任せあれ。ただ、オレはともかくひじりさんは変声機がなくちゃ気づかれそうですね」

「私は喋れない設定にしよう。喉の調子がよろしくないし、喋らないで済むのはむしろありがたい」


 そうしましょうと快斗が頷き、この屋敷にもう1日留まることが決定した。
 床に腰を据え直したひじりの隣に快斗も座りこむ。他のトレジャーハンター達はともかく、コナン達がいつ来るのか─── そもそも来ないのかも分からないが、変装マスクだけならば手慣れた快斗の手にかかれば2人分でもあまり時間をかけずにできるため、そのときまではここで待機だ。変装した2人の関係性についてはそのときに簡単に決めればいいだろう、設定とは生えるものであるからして。

 だが1日中何もしないでただ座っておくというのは暇だ。快斗ならばマジック用のトランプを持っているだろうから、何かしらゲームでもして時間を潰そうかと提案しようとひじりが顔を上げれば、バッグから再びキッドのマントを取り出した快斗が床に伸ばした自分の膝を叩いてにっこりと笑う。


ひじりさん、寝てないでしょ?オレが起きてますから仮眠取ってください」

「…快斗の膝枕で?」

「タオル敷きますから眠れないほど固くはないはずです」


 言いながらタオルを2枚重ね、マントを手にさぁどうぞと腕を広げてやわらかな眼差しで見つめてくる快斗を突っぱねることなどできるはずもなく。
 しかし、水で強制洗浄され殆ど乾いた床だとしても横になればマントが汚れてしまうと考えていると、「これは予備なのでお気遣いなく」とにこにこ笑いながら頷く以外の選択を許されなかった。確かに、短い時間でも眠って体力を回復できるのなら仮眠を断る道理はない。これ以上風邪が悪化するのもごめんだ。


「それじゃあ、お邪魔します」


 マントを借りて体をくるみ、横になって快斗の膝に頭を落とす。膝はやはり男のもので決してやわらかくはなかったがタオルのお陰もあって固いと思うほどでもなく、けれど布越しに感じるぬくもりは心地よいあたたかさだ。
 頭を動かして納まりの良い場所に落ち着き瞼を閉じる。するりと頬にかかる髪を指で避けられ、そのあとおずおずと髪を梳かれて微かに頬が緩んだ。
 初めての快斗の膝枕はなかなかどうして、癖になりそうだった。










「─────!」

 
 急速に意識が引き上げられ、ばちりと音を立てて瞼を開いたひじりはマントを跳ねのけて飛び起きた。
 姿勢を低くして懐に納まる銃に手を添える。いつでも引き抜いて撃てるよう構えながら室内に鋭い視線を走らせるが自分と快斗以外に誰もおらず、そこでようやく覚醒した体に意識が追いついた。


「…、……?」


 睡眠状態からの強制覚醒の余韻で脳がくらりと揺れ、額を指で押さえて数度目を瞬かせる。もう一度室内を見渡せばやはり眠る前と比べて何の異常もなく、しかしひじりを庇うように身を前に出して壁を─── 正確には壁の向こう側を睨みつける快斗を見て、外で何かが起こったのだと悟った。


「2時間ほど前に誰かが屋敷に来ました。その人物は暫く屋敷をうろついた後どこかへ行ったようです。そして30分前にもうひとり、つい先程さらにもうひとりが。表の方で2人が何か話していたようですが…」


 内容は判らないが荒い口調での会話や物音から不穏な気配を察知し、鈍く太い呻き声が聞こえて快斗が警戒を強めた瞬間自分も飛び起きたのだと知る。

 2人はそれきり無言で外の様子を窺い、何か重いものが水に落ちる音を立て続けに聞いて互いに目だけで視線を合わせた。
 最初は重く、そして面積が広いのか水面を叩く音が大きい。次いで聞こえてきた音は最初よりも小さく軽い響きで、後者を1、2、と内心で数えれば全部で20。5個ごとに少し間が空いたのは落とす物が5個ずつまとめられていたからか。
 となれば、2人の頭によぎるのは屋敷の表にあった4つの石灯籠だ。不穏な気配が当たってしまっていれば、水─── 表の沼に沈んでいるものは想像できる。

 ここは隠し部屋、窓は屋敷の裏側に面しているため当然表の様子を目にすることはできず。今まで聞こえていた音がふいに消え、代わりに屋敷の玄関扉が開く音、そして歩き回っているようで軋む床の音を聞きながら、ひじりと快斗はいつでも己の得物を取り出せるよう手を添えて息を殺しながら隠し扉を見つめた。

 この屋敷に入り込んだ最初の人物はこの隠し部屋に気づかず通り過ぎて行ったようだが、次もそうだとは限らない。ましてや今屋敷を歩き回っている相手は何か事を起こした人物だ、油断はできなかった。
 しかし2人の警戒は無用のものとなり、壁一枚挟んだ向こうを淀みのない足取りが通り過ぎた。その足音が聞こえなくなったところで2人は同時に息を吐き出し肩の力を抜く。

 ひじりは銃に添えていた手を外し、先程飛び起きたせいで床に投げてしまったマントを手に取って快斗に礼と共に返そうとして、しかし唇ははくりと空気を噛んだだけで何の言葉も紡げなかった。反射的に喉に手を当て、ざらざらとした不愉快な感覚と鈍い痛みに役立たずな口を閉じる。頭痛は今のところなく、額に手を当てれば熱もない。


ひじりさん、どうかしました?……ひじりさん、まさか声が?」


 ひとりマントを抱えて額に手を当てる様子に首を傾げた快斗がはくはくと口を開閉するひじりに顔を強張らせる。そのようだと快斗の言葉を首肯すると「熱は」と額に手を当てられ、少しの沈黙のあと「ないようですね」と安心した声音と共に手が離れた。


「他に体の調子が悪いところは?」


 問われ、横に首を振って否定する。喉だけがダメだと、喉を示したあとに指でバツを作った。だが元より変装時には喋れない設定でいこうと決めていたのだ、これで無意識に声を発してしまうことを危惧する必要がないからプラスに考えようと伝えるためにひじりが快斗の肩を叩いて親指を立てる。正確に伝わったのかは分からないが、「……あと半日、付き合ってくれますか」と頼まれたので敢えて大袈裟に頷いた。

 ひじりの身を案じて帰れるものなら今すぐ帰りたいと心から思っているのだろう。しかし不穏な人物がこの屋敷に入り込んだ以上その選択をする快斗ではないし、ひじりとて帰ろうと言われても全力で断った。喉風邪程度でここを離れるわけにはいかない。


「喉以外に不調が出たらすぐに言ってくださいね」


 絶対ですよと念を押す快斗に素直に頷く。そのあたりを誤魔化すと後々面倒なことになる上にひどく心配をかけてしまうことになり、それは本意ではない。
 改めて借りていたマントを差し出せば一度受け取った快斗に流れるような仕草でふわりと肩にかけられ、外は陽が照っていて気温も高めだが体が冷えないよう一応念のため、オレが安心するからと言われてはそのままくるまるしかなく。だがひとりでマントを使う気はさらさらないひじりは無言でマントを横に広げてじぃと快斗を見上げた。私のここ、あいてますよと言わんばかりに。


「………お邪魔します」


 惚れた方が負けとはよく言ったもので、そもそも断る理由もないためひじりの横に快斗が納まる。マントを2人で羽織るには足りないが、その分ぴったりと密着しているお陰で互いのぬくもりが感じられて暖かった。

 念のためと持ってきた携帯食料を2人で分けながら、筆談するために快斗から予備の白紙カードとペンを借りてポケットに仕舞ったひじりが眠っている間のことを尋ねると、先程と殆ど変わりませんがと前置きしてより詳しく説明するために快斗が口を開いた。






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