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 勾玉、鏡、つるぎに刻まれていた文字はそれぞれ“炎”、“永”、“竜”。それを三水吉右衛門に供えよ─── さんずいをつけろという意味であり、それに従うと3つの文字は“淡”“泳”“滝”となる。
 そして勘違いしてはいけない、これは石灯籠に刻まれていた暗号の答えではなく暗号が解けずに困っている「迷ひし者」に向けたヒントだ。

 ここで石灯籠の暗号を思い出す。“仁王の石”がある場所は要約すると「太陽に一番近く、老人達がたくさん集まるとても賑やかな場所」。これを元に3つの文字を踏まえて考えれば、太陽に一番近いというのは太陽系第一惑星の水星、老人達とはヒゲをもつ鯉、そして賑やかな場所は水音が絶えず響く場所となる。

 滝はあるが鉄分を多く含むここの温泉水は淡水ではないので滝壺は除外、鯉がたくさん泳いでいるのは屋敷の中だが滝はなかったのでここも違う。では残る場所は、ただひとつ。
 この屋敷の表にある沼。そこに小さな滝があることを、2人は忘れてはいなかった。





□ 絡繰屋敷 6 □





 “仁王の石”の在処は判った。そのためにもまずは屋敷の外に出なければならず、台座に置かれていた石を使って仕掛けを作動させこちらへ戻って来た快斗と共にひじりは元来た通路を引き返し、堰止め石が下がる前に支流地点へと戻って足場へ上がる。
 しかしどうやらここの仕掛けは長い時間そのままになってくれるようで、2人が階段下の扉を開けて滝壺を出ても堰止め石が解除されることはなかった。

 暗視ゴーグルをつけ直して先へ進む。地上へ戻るための道は滝壺へ至るまでとは違いそれなりの仕掛けはあったものの危険度は低く、さくっと躱して分かれ道の隠し通路を通り今度は普通の階段を上って一本道を行き、突き当たりの土を塗り壁に模した扉をくぐって2人は屋敷の1階へと戻って来た。背後で静かに閉ざされた扉は板張りの壁と同化し押しても引いても再度開く気配は全くなく、完全な一方通行のようだ。


「っと、早くしねーと夜が明けちまう」


 腕時計で時間を確かめた快斗に行きましょうと促されて頷く。命の石、パンドラは月の光に反応してその存在を示すために、夜が明け月が消えてしまうとまた次の晩まで待たなければならない。三水吉右衛門の宝を狙うトレジャーハンター達より先に盗ることができれば夜が明けても問題はないが、石灯籠に刻まれていた「万古よりの理を識得すべし」の部分がどうにも引っ掛かっているため、今回はできるだけ今夜中に終えてしまいたかった。

 ひじりは快斗の後を追って屋敷を出る。空を見上げて月の位置を探るとだいぶ低くなっており時間に余裕はないが、あとは宝石を手に月に翳すだけなのだ、そうそう慌てる必要もない。
 空から沼へと視線を移し、滝に近づくための飛び石を跳んで最後の石に足を着け、しゃがみこんで滝の裏を覗きこむ快斗の背中を見ながらひじりも飛び石へ跳び乗った。


「んー…滝の裏にはねーな」

「沼の中も暗くてよく見えないね」

「潜るしかねーか」


 ため息をついて上着に手をかける快斗にふと目を瞬かせ、そういえばとひじりが口を開く。


「この沼、鯉がたくさんいるんじゃなかった?」

ギョッ!!!」

「……私が行こうか?」


 心底嫌そうな顔をする快斗に申し出るも、やはりダイヤモンドを手にしたときに降りかかるであろう「万古よりの理」が気になるようで、固い顔をしつつ何があるか分かりませんからと断られる。こういったことに関しては快斗の方が向いているため、快斗がそう言うならとひじりも固執せずひとつ頷くことで身を引いた。
 バッグは沼のほとりに置き、懐中電灯だけを手に体をほぐす快斗の上着を預かったひじりは最後にぐいと背筋を伸ばした後姿に無表情のまま声をかける。


「無事に宝石が盗れたら、膝枕にプラス耳かき、それも快斗が好きな格好で」

「黒羽快斗、いっきまーす!!!」


 ザッパ───ン!!!


「…………」


 勢いよく沼に飛びこんで行った快斗をひじりは無言で見送り、さてどんな格好をねだられるのかなと遠い目をする。こうも分かりやすく応えられては撤回できるはずもないし、そして快斗はやると決めたら必ずやり遂げる男であることをよく知っている。白エプロンはちょっと勘弁してほしいのでそれ以外でお願いするよう後で頼もう。

 ひじりが腕時計の秒針を見ながら潜行時間を数えていると、数分も経たずに水面に気泡が立ち、ばしゃりと水飛沫を上げて快斗が顔を出した。その手にはしっかりと“仁王の石”ことダイヤモンドが握られており、「拳に溢るる」と書かれていた通り手の平に余るほどの大きさだ。


「おかえり。仕掛けはなかったみたいだね」

「いえ、台座がスイッチのようになってたので、確認してすぐに戻しに行きます。………ハズレ、と」


 ダイヤモンドを沈みかけた月に翳してぽつりと呟いた快斗を無言で見つめていれば、ふいに足元が揺れた気がして目を瞬き、しかし次いで鈍い地響きと共に揺れが大きくなってひじりは思わず屋敷を仰ぎ見た。どこかで歯車の回る音が聞こえる。


「万古よりの理…仁王の石ダイヤモンド、まさか!」


 さっと顔を青くした快斗が叫ぶと同時、地震と間違うような地揺れがいっそう大きくなり屋敷の壁がせり上がる。瞬間屋敷の玄関から鉄砲水が溢れて飛び出し、いつの間にか沼の水嵩も音もなく増していて、勢いよく迫りくる水にひじりの常の無表情もさすがに強張った。


ひじりさん!」

「快斗は宝石を!」


 逃げて、と言いたかったのだろうと察しはしたが、一体どこへ逃げろと言うのか。水に呑まれてしまえばあとは抵抗を許されることはなく、そのまま水と一緒に屋敷の先の谷底に流されてしまう。今できることはただひとつ、あのダイヤモンドを元あった場所に戻して仕掛けを止めることだけだ。

 視界の端で快斗が水面に沈む。今はひじりよりも仕掛けの方だとダイヤモンドを戻しに行った快斗が水に潜る瞬間奥歯を噛み締めたのを見逃しはしなかったから、ひじりは何とか奔流に呑まれないようバランスを取り屋敷の方へと泳いで窓へとしがみついた。既に地面は遠く掴まった窓は2階のもので、呑まれていればどうなっていたことかと背筋が冷たくなる。

 水を吸って重くなった服を億劫に思いながら窓枠を伝い何とか屋根に上がる。屋根はぼろぼろで瓦も所々はげているが、快斗が調べた通り頑丈にできているようで足場が崩れるということはなさそうだ。

 屋根の上に落ち着き、防水加工のため壊れずに済んだ腕時計で時間を確かめる。快斗がもう少し経っても上がってこなかったら潜れるようにひじりも上着を脱いで腕に抱えていた快斗の上着と一緒に置いた。しかしそれは無用で、音を立てて水面から顔を出した快斗にひじりはほっと息をついた。


「聞いてねーぞ三水吉右衛門のジジイ!」


 言ってないけど忠告はしたじゃろが、と聞いたこともないひねくれ爺の笑い声が聞こえた気がしたが、気のせいだろうとひじりは自分に言い聞かせながら上着を着直した。
 快斗が深いため息をつき、屋根の上から自分を覗きこむひじりを見て安心したように息をつく。怪我はありませんか、と訊かれて頷き快斗も無事であることによかったと頬を緩めた。

 屋根に上がろうとする快斗に手を伸ばして引き上げ、「宝石はあったけど、最初から盗らせる気はなかった、と」と呟けば服の裾を手で絞りながら快斗が半眼になって徐々に引いていく水面を見下ろす。


「ダイヤモンドの別名を知ってますか?」

「世界一固い石ダイヤモンド、その硬さからギリシャ語でアダマス、『征服されざるもの』…だったかな」

「ええ。その古くからの謂われを悟れってことは絶対に盗らせないってことだとは分かってましたが…最後にこんな大仕掛けがあるとはさすがに予想してませんでした」


 確かに、屋敷をも水没させかねない仕掛けで侵入者を宝石ごと谷底に流してやろうなどと予想できるはずもない。わざわざ暗号とそのヒントまで残してダイヤモンドへ辿り着かせておいてのこの大仕掛けは、いくら倒幕派に財産を没収されることを嫌がった佐幕派だったからだとしても、伝え聞くより数倍ひねくれているし厄介極まりなかった。


「水が引いたらハンググライダーで下りましょう」


 下に置き忘れていたバッグもちゃんと回収してきたらしい快斗が笑い、その抜け目のなさに感心する。


「そうだひじりさん、宝石は無事盗れたと言っても過言ではないですよね?」


 ふと快斗に問われる。大仕掛けは作動させてしまったものの予想外のものであったから仕方ないとして、宝石の確認も済み、怪我は双方なく、水さえ引けば次誰かが忍び込んでも既に盗られたあとのように偽装すれば後は帰るだけ。ひじりはいいよと頷いた。
 やった!とガッツポーズを決めた快斗が楽しそうに顔を綻ばせているが、既に彼の頭の中では何を着てもらおうか衣装を厳選しているだろうから「白エプロン以外でね」と早めに釘を刺す。快斗が眉を下げて心底残念そうな顔をした。しかし、それだけはダメだよとさらに言葉を重ねて、ひじりはぐらついた自分にも言い聞かせた。






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