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 0858のプッシュ音に聞き覚えはあるか、とコナンに真剣な顔で訊かれたとき、ひじりは無表情のまま首を横に振って嘘をついた。「何それ」と今度はひじりが問えば、ベルモットが打ったメールアドレスの一部であり、そのアドレスはおそらく組織のボスのものだと返されて「ふぅん」と何の感情も興味も乗せない声を上げる。しかし、ひじりがジンの“人形ドール”であったことを知っているコナンは射抜くような視線を緩めなかった。


(知ってるよ)


 ひじりは静かにコナンを見つめ返して沈黙を続けながら内心で呟く。
 それは間違いなく組織のボスのメールアドレスだ。時折ジンが打っていたあの音─── どこか懐かしくなる曲は、まだ耳の奥にこびりついたまま。

 コナンはまだ辿り着けていない。だがそれも時間の問題だ。きっといずれ辿り着く。けれどそのときまで、ひじりは口を噤み続けると決めた。
 知らなくていい、知ってはダメ、それを知ってしまえばあなたはまた一歩踏みこもうとするでしょう。
 可愛い弟を護ろうとする姉の心情を分かっているのだろう、ため息ついてコナンは「そうか」と追及を諦めた。こういうとき、何があろうと絶対にひじりが口を割らないことなど、もうとっくに知ってしまっているのだから。

 けれど。


「─── 七つの子、だろ?」


 とある事件のあと、阿笠邸にて携帯電話を手にわざわざ目の前でひとつのフレーズと9桁の数字を突き出して回答を迫るコナンに、今度はひじりがため息をついた。





□ 絡繰屋敷 1 □





 突然帰って来たと思えば「それじゃ、2人共仲良くしてるのよ!」と翌日には外国へと飛び立っていった嵐のような千影を見送り、同時に甘やかし週間も強制終了してから少し経った頃。

 適当につけていた夜のニュース番組を眺めながら膝の上で丸くなる猫を撫でていたひじりは、『では次のニュースです。幕末の絡繰人形師、三水さみず吉右衛門きちえもんの倉から地図が見つかりました』と聞いて動きを止めた。向かいのソファに座った博士が地図?と首を傾げる。
 テレビ画面に映し出された地図は古ぼけていて、ある一点に印がつけられているのが判るが、それがどこを差しているのかは一見では判らない。

 そのままアナウンサーが三水吉右衛門について簡単な解説を始める。
 三水吉右衛門は幕末当時、佐幕派の浪人達に資金援助をしていた絡繰人形師であり、彼の作り出す絡繰人形はまるで生きているようだと大名や商人達に気に入られて一代で財を成したという、人呼んでカラクリ吉右衛門。
 彼が築き上げた資産は相当なもので、現代に至っても遺された隠し財産はいくらあってもおかしくはないほどと言われている。だから、あの地図も彼が隠した遺産の隠し場所を示すものなのかもしれない。つまりは所謂、宝の地図だ。


(幕末に生きた三水吉右衛門の“宝”…)


 ニュースは次の話題に移る。それをぼんやり聞き流しながら脳裏によぎるのは、あるひとつの可能性だ。
 時は幕末。日本は佐幕派と倒幕派に分かれて争ったが、結局は倒幕。だが江戸幕府が倒れて新政権へと移ってからも佐幕派の勢力は生き残っており、その後歴史に名を残す戊辰戦争が始まったが、それを今詳しく思い出す必要はない。
 重要なのはこのとき、佐幕派であった三水吉右衛門が何を遺したか、だ。どこまで関わっていたのかははっきりと判っていないが、倒幕派の勢いに押されて財産の没収くらいはされかけた、あるいは実際に没収されただろう。そんなとき、一部でも没収を逃れるために己の財産をできるだけ物理的に小さく且つ価値が半永久的に変わることのないものへと変えて隠しておこう、と考えるのは当然だ。

 即座に思いつくのは金塊。そして─── 宝石。当時では種類も限られているが、あの三水吉右衛門が遺したものとなれば、ここに思い至った者はみな目の色を変える。
 それをある場所に隠し、忘れないよう地図にして残して倉に仕舞った─── それが今、表に出たのだとしたら。


「にぅん」


 ふいに猫の声が聞こえて思考が中断される。ついと視線を落とせば猫は不満そうな顔で見上げ、ぺしりと尻尾でひじりの手を叩いた。撫でろ、ということらしい。
 要求に応えて止めていた手を再開させる。背中を撫でつけるように撫で、尻尾の付け根、耳の下、頬、顎と指を滑らせると猫は満足そうにゴロゴロと喉を鳴らす。


(…まぁ、あとは快斗次第かな)


 三水吉右衛門が遺したものについて、ひじり個人としてはあまり興味がない。あの地図が示す場所に宝石が眠っている可能性はあるものの、積極的に行こうとは思わないし、快斗が行かないと首を横に振ればその瞬間関心は完全に消える程度のものだ。
 だが、パンドラを追い続けている快斗のこと、宝石を狙う怪盗キッドとしても見逃せない案件であり、たとえ可能性が低かったとしても、ゼロでなければ間違いなく飛び込んでいく。だからあの地図が示す場所に向かうのは確定事項と言ってよかった。


(週末のキャンプ、断っててよかった)


 いつもの博士と少年探偵団メンバーとのキャンプは今週末。ひじり個人に依頼された仕事が複数重なり余裕をもたせるために今回は同行はしないと決め、ひじりが行かないのならば快斗も行かないと言って2人はパスすることになっていた。

 さて、と頭の中でスケジュールを組み立て直す。仕事については8割方終わってはいるが、最終確認等の詰め作業も残っている。
 食事の用意を哀に手伝ってもらうことになるだろうが、彼女はむしろもっと頼りなさいよとため息をついて手を貸してくれるのだからありがたい。最近は博士に食器洗いと簡単な掃除くらいは哀がビシバシ仕込んでいるから、その方面の負担も軽いだろう。
 一応助手兼家政婦として少ないながら博士に給料をもらっている身としては阿笠邸にいるのにと心苦しく思うところもあるが、以前別口の仕事が立て続けに舞い込んできて似た状況になったときも、当の雇い主はひじりが申し訳なく思っているのが無表情からでも読み取ったのだろう、気にするでないと朗らかに笑った。


「雇用主と被雇用者ではあるが、ひじり君には別に仕事があるし、何よりそれ以前にもうワシもひじり君も哀君も家族みたいなもんじゃろう、手伝うのは当然じゃ」


 哀が中心になって行う博士のメタボ対策を緩めさせようとひじりは誓った。博士には病気もせず健やかに長生きしてもらいたいところなので、ほんのちょっとだけだが。

 今日明日と少し無理をすれば何とかなる。博士の言葉に甘えて、今回も手を貸してもらえれば問題ない。
 博士と哀には後で頼むとして、まずは快斗の連絡を待ちそれから軽い打ち合わせをと考えていれば、ふいにポケットの携帯電話が震えてメールの着信を知らせる。このタイミングなら快斗だろう。そう当たりをつけてメール画面を開くと、予想通りの差出人だった。





 From:快斗
 To:工藤ひじり
 Subject:no title
 本文:

 今週末、あいてますか?






 もちろん、とすぐに返事を送る。それから何度かやり取りしたメールでは、快斗も同じニュースを見ており、やはり宝石が眠っている可能性は捨てきれず、ネット上でも話題になってトレジャーハンター達が盛り上がっているからできるだけ早く確認に行きたい、一緒に来てほしいとのこと。
 OKとすぐさま返事を送り、ニュースで流れた地図の解析と場所の特定は寺井がしてくれるということで、三水吉右衛門の詳しい情報をひじりが集めることとなった。快斗は2人が持ち寄った情報を元にプランを組み立てる、つまりは最優先にしなければならない仕事が新しく舞い込んだ形となる。
 だがひじりが忙しくしてるのは快斗も承知の上で頼んできて、それにひじりは自ら応と答えた。元より断る理由などない、快斗が望むならいくらでも使っていいと言ったのはひじりなのだから。


「博士、新しい仕事が入ったから暫く地下にこもるよ。部屋に戻れるか分からないから、哀に伝えといて」

「それなら、家のことはひじり君の仕事が落ち着くまでワシと哀君で何とかしよう。…週末は子供達とキャンプの約束があるから手伝えんが…」

「十分だよ、ありがとう。ごめんね、明後日までには終わらせるから」

「あまり根を詰めんようにの」

「うん」


 心配そうに見つめてくる博士に目許をやわらげて頷き、ソファから立ち上がり地下室へと向かう。突然立ち上がって猫が不服そうな顔をしたから最後にひと撫でしてなだめた。
 階段を下りている途中でもう一度携帯電話が震え、快斗からのメールを開く。

 今夜は徹夜決定だ。明日はせめて仮眠のひとつは取りたいところだが。
 まぁ赤井さんとの3日間ぶっ通し寝ずの模擬サバイバルよりマシかなと、割と本気で死ぬかと思った地獄の鍛錬を思い出したひじりが遠い目をする。

 思い出したくない、逃げ切ったかと思えば木の上から次の瞬間飛び降りてきたり死角に隠れたと思えば後ろからゴム弾銃を突きつけられたり普通に投げ飛ばされたり叩きつけられたり距離を取ってるはずなのに的確に足を撃たれたり快斗と一緒に転がされたりついに取ったと背中に飛びかかれば避けられて掴まれて投げ飛ばされたことなど思い出したくない。
 歩いて迫ってくるところがター〇ネーターみたいだなんて思ってません、デデンデンデデンなんてBGMは聞こえないふりです、快斗が悲鳴を上げて「こうなったら溶鉱炉に落とすしか…!?」と切羽詰まりつい口から滑り出た言葉に全力同意して協力して湖に落とそうとしたけど結局返り討ちで2人まとめて湖に落とされこのまま逃げてしまいたいとか思ってませんから泳いでまで追ってこないでください。追われたら逃げるのが人間です。当然のように捕まったけれど。


「赤井さんが死ぬときは親指立てて死にます?」

「その親指を下に向けてからだな」

「ひゅーさっすがアメリカーン」

「無駄話するくらいには体力が余ってるらしいな2人共?」


 このあとめちゃくちゃ逃げたけど捕まった。


「………あれと比べたら何でもマシな気がしてきた」


 あのときのことを思い返し、地下室に入ったひじりは死んだ目のままぼそりと呟いた。






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