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「私がひじりちゃんにコンタクトを取ったのよ。寺井から快斗に可愛い彼女ができたって聞いてね!これはもう、母親としては会わないわけにいかないじゃない?」

「ジイちゃん…!」

「快斗が素直に紹介してくれるとも思わなかったし、実際彼女ができた素振りすら見せなかったんだから、その点はあっぱれだけど…あんまり母親を甘く見ないことね」


 にんまりと笑みを深めて語尾にハートマークがついてそうな声で言い切る母親に、快斗は苦虫を100匹は噛み潰したような顔で頬杖をつき、けれど結局何も言えなかった。





□ 甘やかし週間 6 □





 リビングのソファに千影が座り、ひじりが淹れた紅茶をおいしそうに飲む。その向かいにひじりと並んで座りながら快斗はため息をついた。

 千影にひじりを紹介しなかったのは、交際を反対されるから、という理由ではなかった。反対はしなかっただろう、快斗が怪盗キッドであるためにあまりいい顔はしなかったかもしれないが。
 しかしそれも、ひじりの事情を知らなかったらの話だ。ひじりを愛し、恋をして、彼女を取り巻くものに自分から巻き込まれに足を踏み出し、「怪盗キッド」に加えて更なる危険に身を投じたのだと知られれば無理やりにでも引き離される可能性があった。

 未だ自分は17歳のいち高校生。たとえ自分が頑として聞こうとしなくとも、大人には子供が抵抗できなくするための、あらゆる手段があるのだと快斗は知っている。今は許されて・・・・いる・・のだ、という自覚はあった。
 そして千影が自分の母親だからこそ、ひじりを紹介してその存在を明らかにしてしまえば決して隠し事は長く続かず、いずれ見抜かれてしまうことも、分かっていた。

 千影は愚鈍ではない。むしろ聡明だ。怪盗キッドを始めた頃に初めて聞いた彼女の経歴、その後夫の黒羽盗一を陰に日向に支え続けた彼女は、息子が隠し持つものを知らずとも、何かを隠しているということを簡単に察することくらいはできる。
 そして察してしまえば、あとは芋づる式だ。「母は強し」という言葉を、盗一が死んでからの8年間何度も噛み締めた。子を護るために親は何だってするだろう。だから快斗は千影に対してひじりの存在を秘し、固く口を閉ざしたのだ。


(ジイちゃんに紹介したのがまずかったか)


 そうは思うものの、千影には隠し通すよう気を張っていても寺井にはできなかったのは自分の落ち度だ。寺井が千影にリークするとは考えもしなかったし、寺井に紹介したからこそひじりと距離を詰めるきっかけのひとつになったことを否定できない。

 快斗は思考を切り替える。千影にひじりの存在がバレていた。まぁそれはいい。2人が仲が良さそうなのも、悪い仲であるよりはるかに良いことだ。全然構わない、自分の存在を忘れられなければ。別に玄関でのことを根に持ってない。持ってないったら持ってない。

 そして自分の事情に他者を巻き込むことを許さないひじりのことだ、快斗と交際しているという事実以外は口を噤んでいることが分かるから、あとは快斗次第なのでそれもいい。
 けれどただひとつ、不満なことは。


ひじりさん、何でオレに黙ってたんだよ…」


 思わずじとりとした目になったことは誤魔化しようがなく、また取り繕う余裕もなかった。
 快斗があなたについて知りたいと望めばひじりは隠すことなく簡単に口を開いてきたし、ふとしたときにも自身について話してくれて、何かあれば必ず報告をくれた。
 けれど、だからひじりのことは何でも知っている、とは言い切れない。そして快斗自身、何でも全て知りたいとは思っていない。知りたくないとすら思うことだってある。しかしそれ以外、特に自分が関わることであるのならば見逃せないのは、単なる独占欲だ。
 それはひじりだって分かっているはずのことで、2人の仲が良いのは悪いことではないけれど「ひじりさんはオレのなのに」とつい頬を膨らませたくなる。実際、むすっと唇をへの字に曲げていた。

 明らかに機嫌を損ねた快斗を見て「子供ねぇ」と向かいに座る千影が微笑ましそうに呟くが反論できない。快斗が無言で眉間のしわをもうひとつ増やしたのと同時、ふと左手にぬくもりが触れて思わず振り返った。


「快斗」


 そこにいたのは当然ひじりで、両手で快斗の左手をそっと力をこめて握った彼女が窺うように上目遣いで見上げてくる。肩につかないほどの長さしかない黒髪を揺らして首を傾け、流れる髪の合間から四葉のピアスが静かに煌いた。蛍光灯の光をきらりと反射する黒曜の目はしっとりと濡れていて、はくりと音もなく開いた唇が震え、僅かに下がった眉尻が端整な顔に儚さを滲ませた。怒らないで…と震えるかそけき副音声が聞こえた気がした。


「黙っていてごめんなさい。大好きだよ快斗、許してくれる?」

そんな演技オレに通用しませんからねくっそめちゃくちゃかわいいゆるす

本音ルビが隠しきれてないわよ」


 ひじりの手を握り返して項垂れるように崩れ落ちた快斗にすかさず千影のツッコミが飛ぶ。
 演技だと分かっていてもこれは可愛い、可愛いは正義、すなわち無罪、異論は認めない。いいね?
 語彙力を瞬時に溶かした快斗はオレだってひじりさんが好きですーとひじりをぎゅうぎゅうに抱きしめた。力を入れすぎて苦しそうに軽く背中を叩かれたがこれくらいは許してほしい。


ひじりちゃんを責めないであげてね。そうするようお願いしたのは私なんだから」

「…分かったよ。で?ひじりさんはそれを聞く代わりに母さんから何をもらうつもりだったんです?」

「快斗が小さい頃の生写真。うさ耳パーカー着て満面の笑みで無邪気にダブルピースしてるやつ」

「母さんそれよこせ。燃やす

「ネガはあるからいくらでも焼き増しできるわよ?」


 腕の中で無表情なままのくせに器用にもきらきらと目を輝かせるひじりの即答を聞いて目を据わらせる快斗に、千影がにっこり笑って諦めなさいと言外に囁いてくる。

 きつい。何がって、千影に促されるまま何の疑問も抱かずあっさり着てポーズを求められたから全力で応えた素直な幼少期の自分が今も形に残っていて、それを年上の恋人に見られるどころか所有されて愛でられることが確定していることが、だ。17歳のお年頃である男子高校生にはえげつない嫌がらせにも思えた。

 愛でるなら写真の中のオレじゃなくてそれを着るから今のオレを、とは口にできずぐっと呑み込む。この歳でうさ耳パーカーはさすがに着れないし第三者目線的にもきついだろう。否、ひじりはむしろ喜んで愛でてくれそうではあるが。……2人きりでなら、と妥協案が浮かんでしまったため、要検討のハンコを押しとりあえず頭の隅に追いやった。

 ため息をついてひじりの体を離す。快斗が関わるとだいぶちょろくなるひじりに喜べばいいのか心配すればいいのか、半々な気持ちを胸に抱いたところで、ふと首を傾げた。


「けど母さん、ひじりさんにオレが怪盗キッドだって教えてなかったんだな」

「あら、当たり前じゃない。あなたが話せずにいることを、どうして私が口にできるのよ」


 至極当然のことのように笑って言う千影に、勝てねぇなと苦笑する。


「それともうひとつ感謝しなさい。ひじりちゃんに色々教えてあげたの、私なんだから」

「へ?どういう…」

「指輪。プロポーズされたでしょう?」

「実はね、背中を押してくれたのは千影さんなんだ」

「………はぁ!?」


 もう驚くことはないだろうと思っていた快斗は不意を突かれて理解に数秒時を要し、大きく目を見開いてさらりと重大な事実を口にした2人を交互に見た。
 呆然と己の左手薬指にはまる指輪を見下ろす。きらりと光を反射して煌くそれに、「最近は逆もありだと聞いたけど」と言ったひじりを思い出した。
 そう、確かに最近は男女逆のパターンもある。だが、そのことをひじりがどこで仕入れたのかまでは聞かなかったし気にしなかった。どこからでも耳に入ってくるような話だったからだ。


「私は盗一あのひとと出会ってすぐ結婚を決めたから、最近は逆も珍しくないし、ならひじりちゃんからプロポーズしちゃいなさいって言ったの」


 当時のことを思い出しているのか、嬉しそうに頬に手を当ててうふふと笑う千影に、両親の馴れ初めはそういえば今まで聞いたことなかったと思うが、どうせ惚気しか出てこない気がするのでここでつつくのはやめることにする。また機会があれば無理やりにでも聞かされるだろう。


「指輪を買ったまではよかったけど、プロポーズするにしてもなかなかタイミングが掴めなくて、そんなときに快斗が明日誕生日だって知って、千影さんと相談してそれを逃す手はないって決めた」

ひじりちゃんから連絡来たときは私も焦ったわよ。明日快斗の誕生日って本当ですか、何を贈れば喜んでもらえるでしょうかって、慌てているのが電話越しでも判ったくらいだったから」


 それくらい教えておきなさいよ、と呆れたようにため息をつく千影に何も言い返すことができない。実際、どうにか伝えようにも結局うだうだとしていて、青子が口を滑らせなければひじりは今も知らないままだったかもしれなかったのだ。
 だが指輪をもらってプロポーズを受け入れて、反省を元に些細なことでも伝えるようになったから、プラスなことの方が多かったのは僥倖と言えるだろう。


「というわけで、快斗。何か私に言うことは?」

「……イロイロトアリガトウゴザイマシタ」

「うふふ、心からの言葉だけど思春期で母親に素直になりきれなくて棒読みに繕うのが精一杯なのね、そういうところが可愛いのよ」


 息子の心情を見事に見抜いて慈しみつつ生温かい視線を器用に向けられ、思わず視線を逸らす。そうしてひじりの方を見たのはもはや無意識で、ばちりと目が合った。黒曜の瞳が優しく細められて反射的に笑みがこぼれる。
 意図せずほのぼのとした空気が流れ、しかし千影が紅茶を飲み干したところで快斗が目を据わらせて母親を振り返った。


「それはそうと母さん。ひじりさんから報告いってるんだろうけど、オレ今ひじりさんに甘やかされ週間なわけ」

「ええ、聞いてるわ」

「最後の2日間でせっかくの土日だっつーのに、何で邪魔するんだよ」


 まさかひじりと知り合いでしたとバラすためだけに帰って来たわけではあるまい。いつまで隠しておくつもりだったかは分からないが、今日でなければならない理由はないと言い切ってもよかった。
 快斗の顔を見に帰って来たついでにね、と言われたならばまだ納得できたが、千影は胡乱げな快斗とは対照的に真剣な面持ちで姿勢を正す。


「決まってるじゃない快斗…─── 人生そんな思い通りにいかないわよ、と教える母の愛の鞭よ!」

「本音は?」

疑似新婚生活に浮かれてる快斗をからかいに楽しそうね混ぜなさいよ

「明け透けがすぎる」


 甘い1週間は6日目にして強制終了したことを悟り、がっくりと落とした肩をひじりにぽんと叩かれる。千影の手前か両腕を広げて甘やかしてはくれないが、髪を梳くようにして撫でてくれたので少しだけ気持ちが上向いた。
 この母を相手に駄々をこねたところでどうしようもないことは分かっているため、快斗は大きなため息をつくだけに留めた。






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