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 音なき悲鳴を上げて飛び起きた快斗に起こされる形で目を覚ましたひじりは、予想通り顔を真っ赤にする快斗をもう一度腕を広げることで呼び寄せ、躊躇いつつも素直に身を寄せてきた彼と触れるだけのキスをした。快斗が顔を離すがその間は僅か数ミリ、口を開けば再び触れ合うだろう至近距離で2人は暫し無言で見つめ合う。


「…おはようございます、ひじりさん」

「おはよう、快斗」


 掠めるように触れ合った唇が名残惜しくて、どちらからともなく2人は再び唇を重ねた。





□ 甘やかし週間 5 □





 ひじりが身に纏うシャツの下に半ば無意識で手を差し込もうとしたところで快斗が自分の行動に気づき、さすがに昨日の今日ではやめた方がいいと考え直したらしく、苦笑して体を離す。止まってもらえなくては腰が一日ダメになりそうだったためにひじりは内心ほっと息をつき、先にシャワーを勧められてありがたくいただくことにした。
 その後快斗も入り、身支度を整えたあと、快斗がシャワーを浴びている間に作った簡単な食事を朝食にして2人で食べる。

 起きてから食卓につくまでの動きが鈍くなっていることに気づいたのだろう、昨日無理をさせたことを申し訳なさそうに謝られたが気にすることはないと横に首を振り、「快斗にたくさん愛された証拠なのだから、嬉しいくらい」と微かに頬を緩めて言えば、スンッと快斗が真顔になって表情を消した。
 晴れた青空のような目が欲を宿して獰猛に光る。ぞくりと背筋が甘く震えたのは余韻だ、けして期待ではない。そう自分に言い聞かせ、「ひじりさんは言葉に気をつけた方がいい」と据わった目と真顔のまま忠告をもらって素直に頷く。さすがに朝から抱き潰されてはたまらない。何より間違いなく腰がさよならしてしまう、それは避けたかった。

 そうして何とか危機を脱し、朝食を終えて片付けは快斗が申し出たのでありがたくお願いして済ませ暫く経った頃。

 快斗に頼まれ、リビングでマジックの練習をする姿にビデオを向けて撮影するひじりのもとに1通のメールが届いたことをポケットの中で短く震えた携帯電話が教えた。
 メールということは緊急ではないのだろうと判断してそのまま昼まで撮影を続け、真剣な顔で映像チェックをする快斗を置いて昼食の準備を整え、それを終えると今度は快斗がひじりだけを観客にしたマジックショーで楽しませてくれた。

 トランプの空箱に1枚だけカードを入れ、箱をしっかりとひじりが手に持っていたはずなのに、指をひとつ鳴らしただけで箱の中からカードが消え、代わりに入っていたキッドカードに思わず頬を緩めて撫でれば、「その目はオレだけに向けてください」と何とも理不尽で可愛い嫉妬と共にキッドカードを取り上げられた。
 握り潰されたカードは快斗の手の中で真っ赤なバラに。しっかりトゲ抜きがされたバラとショーのお礼に、快斗の頬を撫でて自分から口付ける。「快斗だけだよ」と、心からの言葉を甘く囁いた。
 快斗が嬉しそうに頬を赤く染めて微笑み、男らしい、しかしマジシャンらしく爪の先までしっかり手入れされた指がひじりの首の後ろへ回って軽く引き寄せられ、それに抵抗することなく身を寄せたひじりは目を閉じた。
 唇が触れ合うまであと───


 ピンポーン


「……」


 ぴたり、快斗が動きを止める。


「…快斗」

「配達はないはずなので勧誘でしょう」


 早口がどこか冷たい。


 ピンポーン ピンポーン ピンポーン


「……快斗」

「いやです」


 即答だった。


 ピンポーンピンポンピンポンピンポンピンピンピンピンピンッ ポーン


「っだー!しつっけーな!誰だよせっかくいいところだったのに!」


 突然の来訪者からの止まないチャイムに眦を吊り上げ、体を離した快斗があと3cm!と心底悔しそうな声を上げて荒い足音を立てながら玄関へと向かう。
 怒る背中を見送り、青子ちゃんかなと思うがすぐに違うだろうと内心否定する。彼女はひじりが黒羽邸に滞在していることを知っているから、何か用があれば必ず事前にメールをくれるはずだ。
 そういえばメールが先程来ていたことを思い出して携帯電話の画面を開く。画面に表示されたメールの送信者の名前に目を瞬き、本文を読んだひじりが来訪者の正体を確信すると同時、


「たっだいまー!快斗、元気にしてた?」

「か、母さん!?」


 帰宅を告げる女性の陽気な声と、驚きと困惑の混じった快斗の声を聞いて携帯電話を閉じた。
 送られてきたメールにはただひと言、「出迎えてくれるわよね?」。だからひじりもまた玄関へと彼女と対面するために向かい、今日帰って来るなんて聞いてねーよ!言ってないわよ、驚いた?驚いたし何でよりにもよって今日なんだよ!と和やかな母子おやこのコミュニケーションの輪に足を踏み入れた。片方はものすごく楽しそうで片方は頭を抱えているが和やかであると言い切ったらそうなのだ、細かいことは気にするな。


「快斗」


 呼べば、はっと我に返った快斗が振り返る。快斗にはひじりと自分の母親を引き合わせるつもりはなかったようで、しかもひじりが家に滞在している今、まさかの突然の帰宅に慌てふためいているのが手に取るように分かる。それは彼女も同じなのだろう、息子を驚かせることに成功して満足そうに笑い、さらにもうひとつ息子の度肝を抜こうとにんまりと笑ったのは、向かい合っているひじりにしか見えなかった。


ひじりちゃん、久しぶりね!元気にしてた?」

「は!?」

「暫くぶりです、千影さん。快斗のお陰で元気にやっています、千影さんも息災のようで何よりです」

「はぁ!?」


 ぎょっと目を剥き、愕然とした表情で自分の母親と恋人を交互に見た快斗の視線が3往復はした頃、ようやく自分の知らないところで2人が交流を持っていたことを理解した快斗が「はぁあああ!?!?!」ともうひとつ盛大な声を上げる。近所迷惑よー、と耳をふさぎながら千影がころころと笑った。


「いっ…どっ…なっ…!」

「『いつの間に、どうやって、何で2人が』…かな?」

「ま、詳しい話はとりあえず座ってからにしましょ。ひじりちゃん、お茶淹れてくれる?」

「はい。この間、千影さんが好きそうなお茶を見つけたんです。悪くなる前に飲んでいただきたいと思っていたところで」

「あらあら、それは楽しみだわ」


 相変わらず抑揚のない淡々とした声音に無表情なひじりを慣れた様子でまったく気にした素振りもなく、仲が良さそうに並んで階段を上りリビングへと消えていく母親と恋人を、快斗は暫く呆然と口を開けたまま見送った。






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