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 事件の翌日、肉体的にも精神的にも特に何の異常もなかったために蘭や園子と共にひと晩入院しただけで済んだひじりは、昼前には3人一緒に退院することとなった。
 しかしこのまま東都へと帰るわけには行かず、昨夜のうちに済ませた小五郎とコナンを除き、3人は事件の事情聴取を受けるために小五郎が借りてきてくれたレンタカーに乗り込む。後部座席にひじりを挟んで左右に蘭と園子が、助手席にはコナンが座った。
 そして警察署へ向かう道すがら、ひじりは小五郎の運転する車内にて蘭との約束を果たしていた。


「ええっ、新一のお父さんに!?」


 目を見開いて驚く蘭にひとつ頷く。コナンも予想外だったようで驚愕を浮かべた顔で振り返り、ひじりの真顔を見て額を押さえる。何やらせてんだよ父さん、と呆れて目を眇めた。小五郎も運転中のためひじりに視線を向けないながらも話は聞いていたようでおいおいと頬を引き攣らせているし、ぽかんと口を開けたままの園子も蘭と同じように絶句していた。





□ 銀翼の奇術師 25 □





 ひじりと快斗に飛行機の操縦を教えてくれたのは新一の父、優作だ。どうしてひじりお姉ちゃんに、と蘭が首を傾げればひじりは「私がやってみたいって言ったから」と答えた。実際は興味など全くなかったし、そもそも操縦方法を教えるために呼ばれたのだけど、正直に話すと障りが出る。嘘も方便というやつだ。

 数日旅行するからといつだったか留守にしていたときのことをコナンは覚えていたようで、そのとき?と訊かれて隠さず頷くと、何やら怖い顔で携帯電話を取り出しメールを打ち始めた。どういうことだと父親を問い詰めるつもりなのだろう。のらりくらりとかわされる気しかしないが。


ひじり姉ちゃん、それってひじり姉ちゃんひとりだけ?」

「私だけだよ」


 携帯電話から顔を上げ、じっと見透かすように見つめてくるコナンに無表情のまま淀みなく嘘を返す。私以外の誰を優作さんが誘うと?そう静かな視線で問うが、コナンは無言のまま口を開くことはなかった。

 コナンとキッドがあのコックピット内で何を話したのかは、既に快斗から聞いて知っている。完全にバレました、と苦笑されたが仕方がない。
 キッドは快斗なのだ、キッドはひじりにアピールをしないという考えすらなかったし、ひじりがキッドに塩対応していたらまだ分からなかっただろうが、キッドの中身が快斗である以上ひじりにとって到底無理難題であるため、いずれコナンにバレてしまうことは最初から想定内だった。それを伸ばし伸ばしやってきて、今回ついにバレてしまった。それだけだ。
 しかし決定的な物的証拠はなく、コナンはキッドをあくまで現行犯で捕まえるつもりのようで、時折探るような視線が刺さるがこればかりは受け入れるしかないと納得している。やめろと言ってやめられるのなら、工藤新一が江戸川コナンになることなどなかったのだから。


(それにしても、私がキッドに協力していることも知ったのに新一は問い詰めてこないな)


 てっきり深夜にでもこっそり病院に来るか、それでなくとも退院までに2人きりで話す機会は何度もあったというのに、コナンは一度もそんな話をしてこなかった。今も、快斗と一緒に呼ばれたんだろうと疑いはしていても直接口にして問い詰めたりはしない。
 はてと内心首を傾げ、顔を引っ込めて座り直したために姿が見えなくなったコナンにシート越しの視線を向けるが、当然コナンがひじりの視線に気づくはずもなく。ふいに「あンの親父…!」と低い小さな唸りが聞こえてきたので優作から返ってきたメールに立腹していることを知り、優作が爽やかに食えない笑みを浮かべているのが脳裏によぎった。
 どうせ話せることなど殆どないし、コナンが問い詰めてこないならそれはそれでいいと思考を切り替えたひじりは雑談に興じる蘭と園子に意識を向けた。










 ひじりが女子高生2人の雑談に混ざったのをちらりと横目に見て、コナンは何の収穫も得られなかった─── それどころか「“彼”の正体にやっと気づいたのか、まだまだ半人前だな」と煽ってくる父親からのメールを恨みがましげに睨むと小さくため息をついて携帯電話をポケットに仕舞う。


ひじりはキッドの協力者アシスタント、か……手強すぎんだろ)


 快斗がどこまでひじりの実力を理解しているのかは分からないが、コナンからすればとんでもない奴と手を組みやがってと文句のひとつも言いたいところだ。
 彼女には、なろうと思えば組織の幹部になれるだけの実力はあることを教えてくれたのは哀で、コナンもそうだろうなと頷いてしまえるくらいにはひじりの力を知っている。だがまだこの目で見ていないものもあるだろうし、さらに彼女が帰って来てから自分の父親が教え込んだであろう能力もまだまだ未知数だ。

 
 (操縦技術だけで満足するはずがねーだろ、あの工藤優作だぞ)


 思わず苦い顔をしたコナンの眉が寄った。
 コナンがひじりを問い詰めなかったのは、そういう気持ちがなかったわけではなく、むしろキッドの正体が黒羽快斗だと分かった瞬間絶対ェ問い詰めてやるとそのときは心に誓ったものの、ふと気づいてしまったからだ。


 工藤ひじりは、嘘つきだ。


 真実も、事実すら、彼女は容易く口にしない。だが必要なことははっきりと言うし、そもそも無口と言うわけではない。目に見えにくい彼女の感情は、しかしコナンには分かることが多い。けれど彼女はコナンに読み取らせないように嘘をついて、時にミスリードする。それが腹立たしくないかと訊かれればもちろん腹は立つが、幼馴染と言えるだけの時間を共に過ごしてひじりのことを知っているから納得もしてしまう。
 見ようとしなければ、ひじりは上手に隠し通してくれただろう。事実、コナンはひじりが組織と関わっていたことも、ジョディを始めとしたFBIと手を組んでいることも、キッドに協力していることにも全く気づかなかった。彼女のついた嘘に違和感を覚えながらも、それを信じようとしていたのだ。

 けれどコナン─── 工藤新一は、探偵であるからして。

 ひじりを問い詰めたところで意味がない。どうせひたすらに口を噤むか、ようやく聞き出せたそれも真実かは分からないし、事実ですらないことだってある。なのに、たまに真実も事実も混ぜて口にするのだからたちが悪い。
 彼女が自分に向けられる信用すら利用している自覚があるのかは分からないが、たとえ自覚したのだとしてもひじりはスタンスを変えないだろう。図太くてしたたかで、自分にできることをして、やると決めたからには貫き通す。そういう人間なのだ、工藤ひじりという女は。

 コナンは昨夜、ならばもう自分で探るしかないじゃないかとひとり脱力したように笑った。ひじりが胸の内に秘めているもの、彼女が抱えるその“謎”は、オレ自身の手で解き明かす。
 ひじりは確かに自ら話すことは少ないが、どんな過程があっても真実に辿り着きさえすればあっさりと口を開くこともコナンは知っている。ひじりが“ドール”としてジンの傍にいたのだと答え合わせをしたときのように。
 まぁそれだって、まだまだ話していないことの方が多いが。それを探るのが探偵の役目で、コナンが追い続ける限り目の前で揺れる難題だ。一度でも目を背ければ二度と見えなくなるもの。


(だからひじり、覚悟しておけよ)


 大切な“姉”であろうと、それとこれとは別問題だ。彼女という“謎”を前に、狩人の目をした探偵は興奮を抑えられず口元に笑みを刷く。
 知りたくなかったことは知った。絶望は味わった。けれど同時に、ひじりが自分や蘭の“姉”であることは絶対であることも知った。向ける信頼が裏切られることがないと確信した。ならばもう、恐れることはない。
 もちろん、コナンと言えど触れてはいけない部分もあるだろう。だがそのときはひじりの方から線を引いてくれるから、それに甘えることを決めたコナンは安心して純粋な好奇心に誘われるがまま真実へ手を伸ばす。


(オメーはいくらでも隠し事をしてろ。─── 絶対ェ暴いてやっからよ、何もかも)


 挑戦的に口角を吊り上げて笑うコナンを見た者は誰もおらず、ただ後部座席にてぞわりと背筋を寒くさせた女がひとり、何だかやばいものに目をつけられた気がする、と無言無表情の下で慄いていた。










 指定された警察署に着けば中がばたばたと慌ただしく、怪盗キッド、殺人事件、飛行機不時着と色々重なったからな、お疲れさまですと内心警察官を労わりながら、コナンは聴取を受けに別室へ案内されて行く3人を見送った。コナンと小五郎は昨夜のうちに済ませていたので彼女達が終わるまでフリーだ。

 さて、これから暫くは暇である。小五郎は外で煙草を吸ってくるとさっさと署を出て行き、置いて行かれたコナンは大人しくイスに座って待っていたが、ふと通路の向こうから聞こえてきた声に意識が向いた。


「キッドが現れたってマジかよ?」

「ああ。証拠品を持って行かれたから警部がすげぇ勢いで激怒してるよ」

「中森警部だったっけ、確か警視庁の。証拠品って宝石か?」

「違ぇよ、宝石は今回盗ってねぇって話だ」


 どうやら警察官が2人、歩きながら話をしているようだ。
 キッドと聞いてはじっとしていられないコナンは立ち上がり、宝石以外の証拠品?と片方の警察官と同じように内心首を傾げながら2人の後をこっそりと追う。
 成程、署内が騒がしいのは宝石以外の件でキッドが現れたせいか。確かにあのスター・サファイアは偽物だったと言っていたからキッドが盗る理由はない。だが、宝石以外とはいったい何を。

 通路の陰から警官2人を窺う。どうやらコナンには気づいていないようで、特に声を潜めることもなく話をしている。だが署内が騒がしいためよく聞こえず、もう少し近づくかと思案した、その瞬間。


「ブラックボックス。航空機における、フライトデータレコーダーとコックピットボイスレコーダーのこと。最近は複合型もあるみてーだが、あれはそれぞれ個別だったぜ」

「!?」


 突然後ろから声がかかり、全く気配を感じなかったためにぎょっとして振り返れば、そこにはカジュアルな服装に身を包み、軽く帽子を被った素顔の快斗が静かな笑みを湛えて立っていた。


「キッ…!」

「おっと、大声は出さないでもらおうか」


 反射的に叫びそうになったコナンの口を素早くふさぎ、こう騒がしくちゃ大して目立ちはしねぇだろうがな、と元々の騒がしさをさらに助長した張本人であるキッドの正体は悪戯っぽく笑う。
 コナンは眉間に深いしわを寄せて快斗の手を振りほどき、数歩分距離を取ると肩をすくめる快斗をじろりと睨み上げる。
 キッドが盗んだのは宝石ではなくブラックボックス。その中でもボイスレコーダー。コックピット内の会話が録音されたもののことで、つまり自分が口にすべきは悪態ではないことはコナンも分かっている。


「……礼は言わねーぞ」

「必要ねーよ。互いに聞かれちゃ困っただろ、お互い様ってやつだ。一応記録は残さねぇよう仕掛けはしといたが…ま、オレは完璧主義者なんでね」


 にやりと笑う快斗にコナンは気づく。こいつ、コックピットでオレを工藤新一だと言外にほのめかすことすらしなかったのは分かっていたからか。なのにコナンはキッドと2人だけのチャンスを逃すことなく追い詰め、認めさせ、それだけではなくひじりの名前も出してしまっていた。
 少し軽率すぎたかもしれない。礼は言わないと言ったのだから言うつもりはないし、キッドにとっても第三者に知られたらまずいものだったから盗んだのだろうと分かってはいても、結局コナンではできない後処理をしてくれたことには変わりはなかった。


「……パトカーを連れて来てくれたことには感謝しておく。あと、ひじりだけでも助けようとしてくれたことも」

「それこそ必要ねーよ。あの飛行機には死なせるわけにはいかない人がいた。オレはオレのために動いたんだ」


 それでもきっと、たとえひじりがあの飛行機に乗っていなくともキッドは同じように動いただろう。この男はそういう奴だ、と言えるくらいには付き合いを深めてしまっていた。だから「それでも、ありがとよ」と礼を口にすると、快斗は眉を下げてむずがゆそうに笑い「受け取っとく」と表情を帽子の下に隠した。


「で、オメー何でここにいんだ?ひじりに会いに来たのか?」


 ズボンのポケットに手を入れ、改めて向き合いながら問う。ブラックボックスを盗み、その報告をするためにコナンを捜して声をかけたわけではないはずだ。警官2人の後を追うコナンを見なければブラックボックスの件に触れることすらしなかっただろう。
 かと言ってひじりに会いに来た、というのも訊きながら違うだろうなと外れることを予想している。会いに来たのなら昨夜のうちにとっくに会っているはずだ。そういうところは抜かりがない。キッドも快斗も。
 ひじりを迎えに来た、も無理がある。新庄に扮し、キッドとして北海道には来たが黒羽快斗は今も東都にいるはずで、事件を知って飛んで来るには距離がありすぎる。
 てっとり早く答えを求めるコナンに、にんまりと快斗が笑みを深める。心底嬉しくてしょうがないと言わんばかりの笑顔に、何だか無性にイラッときた。


ひじりさん、今度1週間泊まりでオレの家に来ることになったからな!自慢だ!」

「そこに直れ中森警部に突き出してやる」


 腕時計型麻酔銃を構えて凄むコナンも何のその、笑顔のままひらひらと手を振り、コナンが麻酔針を撃つ前に軽い音と共に煙を上げて快斗が姿を消す。
 完全に煙が晴れてから辺りを見回しても小憎たらしい標的の姿はどこにもなく。
 本当に自慢しに来ただけだったのかよ、とコナンは心の底から呆れて深いため息をついた。



 銀翼の奇術師編 end.



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