214
どうしてだろう。
今、どうしようもなくあなたに会いたくてたまらない。
□ 銀翼の奇術師 23 □
高度700フィート。速度140ノット。
ひじりはそのまま3度の降下率を保ち、コナンがギアレバーを下ろしてフラップレバーを引くと、同時にディスプレイにエラー音と共に警告が浮かび上がった。
「FUEL WUATITY LOW」─── 燃料がもうない。
「な、何!?」
「落ち着いて園子。燃料がもうないだけ」
「ないだけって…!」
淡々と告げる
ひじりに園子が頬を引き攣らせて絶句し、コナンが厳しい表情でエラー音を止めた。
燃料がないということは、本当に後がなくなったということだ。分かっていたこととは言え、
ひじりの頬にもさすがに冷や汗が滲む。
「しっかり掴まってなさい、3人共!」
高度を下げたために白鳥大橋をすれすれで飛び、機体が小刻みに揺れた。蘭と園子が体勢を崩しながらもしっかりと座席に掴まって耐えるが、それに意識を回している余裕はない。
ひじりは全神経を集中させパトカーの光でできた滑走路へ向けて飛行機を降下させた。機首を上げ、スラストレバーを限界まで引いてエンジンの出力を下げる。埠頭が眼前に迫った。
脳裏に浮かんだのは、愛しい者の笑みだ。
(─── 快斗!)
ガジャンッ!!
「きゃああ!!」
後車輪がパトカーに軽く引っ掛かったのだろう、嫌な音と共に機体が一度大きく揺れ、園子が悲鳴を上げた。しかしそれに構わず
ひじりは機首を下げて前車輪を地面に着けると、すぐさまリバースレバーを引いてエンジンの逆噴射を起こした。
腹の奥底に響く轟音を立てながら、それでも飛行機はすぐには止まらず進んで行く。
(止まって…!!)
祈るように内心で叫ぶも、現実は非情で飛行機は止まらず、目の前にクレーンが立ちはだかった。
このままではぶつかって大惨事になる。コナンがくそっと舌打ちして「ラダーだ!」と叫ぶが、分かっているとばかりに
ひじりはその瞬間には右足でラダーペダルを思い切り踏んでいた。同時に機体が右を向き、並んでいたパトカーを薙ぎ払いその衝撃で大きく揺れる。
クレーンへあわやぶつかる寸前に機首は躱したが、大きな翼までは躱しきれず左翼がぶつかる。だがそのことで勢いが削がれ、工事現場の機材を踏み潰しながらも進み、最後に砂山へと突っ込んだ。
すると今度は視界の端に左翼に薙がれたクレーンが鈍い轟音を立てながら崩れ落ちて倒れるのが見え、耳をつんざくほどの高い金属音が鳴り響いたが───
機体に届くことは、なかった。
「……止まった…」
衝撃の余韻で暫く揺れていたのが完全に治まった頃、
ひじりは深く安堵の息を吐き出す。
「やったな
ひじり、お疲れさん」
「…ん」
ヘッドセットを外しながら拳を突き出してくるコナンに軽く拳を合わせて
ひじりが怪我の有無を訊くが問題ないと返され、そういえば静かだなと後ろにいたはずの蘭と園子を振り返れば2人が床に崩れ落ちていて、血相を変えたコナンが慌ててシートベルトを外して駆け寄る。同じく
ひじりもシートベルトを外してすぐに2人の脈を測った。
「蘭!おい蘭大丈夫か!?園子!」
「……大丈夫、気を失ってるだけみたい」
「そ、そっか…」
他にも目につく怪我などがないことを確認し、ゆっくりと2人の頭を撫でる。特に蘭は、途中までとは言え飛行機を操縦してさぞ疲れただろう。
このあとに待っている事情聴取やら何やらがあることを考えると面倒で
ひじりもいっそ気絶してしまいたいが、そうすると面倒が長引くだけだと分かっているので、床に座り込み深い息を吐くだけに留めた。
警察がその場にいたことで救急車の出動などは比較的スムーズに行われ、コックピットへ入って来た救急隊員にまず機長と副操縦士を、そして気絶していた蘭と園子を運んでもらった
ひじりは、特に怪我もしていない自分は最後でいいですと言ったのだが、操縦していたのが
ひじりとあってそれは許されず、さっさと連れ出されて簡易検査を受けたあと、毛布をもらって体にかけ、救急隊員が淹れてくれたホットココアをゆっくりと飲んでいた。
ざっと辺りを見渡せば軽い怪我をした乗客が治療を受けたり一旦ホテルに送り届けられていたり、小五郎や英理がなつきを警官に引き渡している様子や、コナンや哀を入れた子供達と博士が集まる中、興奮冷めやらぬ様子で主に元太がはしゃいで先程のフライトを再現しているのが見えて、それらをぼんやりと眺める。
ひじりは蘭と園子とは別の救急車に割り振られ、園子は気を失ったままだが、少し遠目に見える蘭は既に目を覚ましていて同じように温かい飲み物を口にしている。あちらも大丈夫そうだ。
「血圧、脈拍…共に正常ですね。おそらく大丈夫だとは思いますが、念のため病院まで搬送します」
「はい。ありがとうございます」
「それではこちらに住所とお名前を」
バインダーに挟んだ紙に検査結果を書き込んでいた救急隊員に手渡され、
ひじりはマグカップを横に置いて受け取り、ペンを手に指定された場所へ淀みなく書いていく。書き終わってバインダーを渡すと救急隊員はそれを見ることなくタンカに置き、ヘルメットを深くかぶった彼がおもむろに口を開いた。
「こっち来て」
聞き慣れた声がしたと思ったらぐいと強く腕が引かれ、救急車内へ押し込まれて長椅子に座らされると同時にバックドアが閉められる。
まだ中身が残っていたカップは蹴倒さないよう隅へ押しやった彼は片手でヘルメットを外し、素顔を晒すと、そこにあったのはやはりと言うか快斗だった。
「快斗…」
「……」
救急隊員に化けていたらしい快斗は眉間に深いしわを刻み睨むように
ひじりを見て、それに何かを言おうと
ひじりが口を開くより早く、腕を引かれて抱きしめられた。
きつく、骨が軋みそうになるほど強く掻き抱く腕に力をこめて肩口に顔をうずめられる。快斗の癖毛が頬を撫でてくすぐったかった。
「
ひじりさん」
「…うん」
「
ひじりさん、
ひじりさん、
ひじりさん、
ひじりさん、
ひじりさん」
「うん」
ひたすらに名前を連呼してくる快斗の背に手を伸ばし、そっと撫でてやればさらにきつく腕に力がこもってさすがに息を詰めた。だが
ひじりは文句も不満も言わずにただ受け止める。
そして同じように
ひじりもまた快斗を強く抱きしめて、会いたくてたまらなかった存在が目の前にいることに、心を震わせた。
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