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どこか不時着できる場所をコナンが地図から探していると、乗務員が新千歳空港はどうかと進言してきたが、「ギリギリだな」と新庄が言った通り途中で燃料切れになる可能性が高く、賭けるにはあまりにリスキーすぎる。
じゃあどこか別の空港はこの近くにないのかと園子が問うが、それをいつの間にやって来ていたのか、哀が「ないわ」とばっさり切り落とした。
□ 銀翼の奇術師 19 □
農場の離着陸場や自衛隊の基地ならあるかもしれないが、滑走路の長さが足りない。そう淡々と続けた哀に園子が息を呑んで絶望に顔を歪めかけたが、
ひじりが先程励ましたことを思い出したか、すぐにぶんぶんと頭を振って再び思考を巡らせる。すると今度は光彦が口を開いた。
「でしたら、いっそのこと道路に着陸させたらどうでしょう?北海道は広くて真っ直ぐな道が多いから…!」
「無理だ」
コナンが言う通り、それは無理だ。
この飛行機の両輪の幅は11m。12m以上の幅の道路には必ず中央分離帯と看板の設置が義務付けられていて、さらに周囲に民家や電柱もあり、道路に着陸するのは不可能だ。
じゃあ牧場は、と元太が言うがこれもまた哀が「ダメね」と却下した。牧場は地盤がやわらかすぎる。
「それより、近くの海に着水させた方が…」
「それもやめておいた方がいい。かえって波に機体を取られて引っくり返りかねないからね」
ひじりが静かに哀の案に首を振ると、ことごとくが却下され子供達も再び不安に顔をくもらせる。だがここで思考を止めるわけにはいかない。どこかに必ず着陸できる場所があるはずだ。
長く、真っ直ぐで周りに何もない所。考えろ、考えろ、考えろ。
思わず左手を包むように右手で握り締め、
ひじりは新庄を横目に見てふとある記憶が甦った。
─── あ、快斗。イルカ・クジラウォッチングだって。
─── げっ!…いやいやいやあれは魚じゃなくて哺乳類哺乳類魚じゃない哺乳類…
(あれは確か…)
以前、快斗と観ていたテレビのCMに映っていた場所は。
「─── 室蘭」
「何!?」
その地名を思い出して呟けば、すぐさまコナンが反応して食いついてきた。
室蘭にある、長く真っ直ぐで周囲に何もない場所と言えば。
「埠頭だ!」
ひじりが口を開くより先にコナンが思い至って新庄と目を合わせる。
すぐさま地図を開き、ひとつひとつの埠頭に指を這わせて見ていったコナンは、ある埠頭で指を止めて「あった!」と叫んだ。
「崎守埠頭!」
「長さはおよそ1,400m。幅は約30mはあると見ていいと思う」
縮尺からおおよその数字を
ひじりが弾き出すと、光彦がでもこの飛行機の幅は、と言いかけたのに「ああ」と頷いたコナンが60mはあると続けた。確かにそれでは不可能に思えるが、片方の翼を海の方に出せば何とかなるかもしれない。
「無理ね。距離が足りないわ」
しかし、一縷の望みは哀によって切り捨てられる。
この飛行機の着陸滑走距離は2,000mを越えていて、地盤の強度も問題だ。
確かにその指摘は正しいが、幸か不幸か、燃料はごく僅かで乗客も少ない。重量が少なければ、その分だけ着陸滑走距離は短くて済む。
「それに、天気予報だと今夜はひと晩中強い西風が吹くらしいから、さらに短くなるかもしれない」
「
ひじり、それ本当か!?」
「うん。この埠頭は大体東西に向かって伸びてるから…」
「西風に向かって、東からランディングすれば、ギリギリ着陸できるかも───」
「無理だ」
希望に満ちたコナンの声を、しかし今度は操縦桿を握る新庄が遮った。
全員の目が新庄に向く。彼は先程管制塔にぶつかったときに左腕を強打してしまったため、今は殆ど右手だけで操縦していると告げる。手動で着陸させるとなると両腕で操縦桿を握る必要があり、それを行うには新庄では不可能だと。
それを聞いて、
ひじりの目が僅かに見開かれ、そして静かに細められた。
「代わって」
機長席に手をかけてそう言うと振り返った新庄と目が合う。しかし口を開きかけた新庄の目が何かに気づいたかのように僅かに横にずれ、彼は薄っすらと微笑んだ。
その視線を辿って見てみれば、そこにいたのは蘭。新庄と目を合わせて戸惑う蘭に、新庄は笑みを深める。
ひじり以外の全員の視線が新庄から蘭へと向けられ、意図を察した
ひじりが口を開くより早く、新庄が笑みを浮かべたまま蘭に訊いた。
「君、視力は?」
「え…両目共1.5です」
「持病は?」
「ありませんけど…」
「工藤さんのことは大切?」
「それはもちろん、当たり前です」
「よーし、合格だ」
最後の問いに即答した蘭に目を細めた新庄は、身を乗り出しかけた
ひじりを無視してヘッドセットを外し席を立った。
ひじりが機長席に座って操縦桿を握れないよう、窓際に追いやり自分の体でブロックして。
「俺の代わりに、ここに座ってくれ」
「何言ってるんですか!?わたし飛行機の操縦なんて…!」
「新庄さん」
新庄の突然の打診に蘭が目を見開き、
ひじりが咎めるように新庄を呼ぶが、新庄は一瞥をくれただけで無視した。
いったい何を考えているのか。経験皆無な蘭より、
ひじりを代わりに機長席に座らせた方が良いことは明らかだ。当然そんなこと分かっているはずの新庄は、しかし蘭を選んで「操作は俺が後ろから教えてやるから」と促す。
「君は操縦桿を握っているだけでいいんだ」
突然のことに瞳を震わせ、縋るように
ひじりを向く蘭の肩に手を置いてさらに促す新庄に、さすがに
ひじりが身を乗り出そうとした瞬間、新庄から睨むような鋭い視線を受けて思わず動きを止めた。
それはキッドからも、ましてや快斗からも受けたことのない初めての─── そこで、
ひじりはいや、と思い直した。
あの視線には覚えがある。そう、まだ自分が“人形”であったとき。
最後の思い出として乗った遊園地の観覧車。そのゴンドラの中で快斗から受けたものとひどく似ていた。
睨むような、縋るような、懇願するような。強い想いが鋭さをもって
ひじりに突き刺さる。
(…快斗…?)
新庄の意図が読めない。そう思いながらも本当は、心のどこかで分かっている。
以前、
ひじりが蘭と園子、そして快斗を天秤にかけて快斗を選んだように。
彼もまた同じように
ひじりを選ぼうとしていることを、理解してしまった。
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