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 気づいたことをコナンにも伝えるべきかと顔を上げれば顔を赤くして身を固くする新庄が視界に入り、思わずきょとりと目を瞬くと、彼は蚊の鳴くような小さな声で抗議する。


「ち、近い…です」

「……すみません」


 握り締めた新庄の手首、顔が触れ合いかねないほど近い距離。
 小さな声に同じく小さな謝罪を返して手を離し、周囲を見渡して誰もこちらを向いていないことにゆるく安堵の息をついた。





□ 銀翼の奇術師 12 □





「分かったぁ!分かりましたよ犯人が!」


 ふいにそう声を響かせたのは小五郎で、彼は誰?誰?と答えを急かす園子を手で制し咳払いをひとつする。
 ひじりは期待せずにとりあえず推理を聞いた。この場には英理もいるし、とんちんかんな推理をしても上手く軌道修正してくれるだろう。

 小五郎は樹里が機内で2種類の食べ物─── つまりチョコレートと田島が渡したビタミン剤しか口にしていないと告げ、そうなると樹里を毒殺できたのは田島になると指を差した。


「じょ、冗談じゃないわ!とんだ言いがかりよ!」


 当然否定する田島は目を吊り上げて席から立ち上がる。
 ひじりもそれは違うだろうと内心で呟いた。田島が犯人だったとしても、調べられればすぐに判るからビタミン剤に毒を仕込むような真似はしないはずだ。


「第一、私には動機がないわ!」

「─── そうかしら」


 ふと、笑みを含んだ冷ややかな声を発したのはなつきだった。全員がなつきの方へ目をやると、彼女は「樹里さんを殺害する動機がない人は、この中にはいないんじゃない」と続ける。
 突然不穏なことを言い出すなつきに田島は頬を引き攣らせた。何言ってるのあなたと冷や汗を滲ませ、それを見て英理にどういうことかしらと問われたなつきがおもむろに立ち上がる。


「はい…私、樹里さんといる時間が長かったので、彼女を巡る人間関係は一番分かっていたつもりです」


 そう言ってまず伴を示す。伴は演出家も兼ねていたが実際は座長の樹里が仕切っていて、さらに元々樹里を女優として育てた経緯はあるものの、今では彼女に逆らうことはできないようだ。そんな伴を、妻である田島がきつくなじっているのを何度も見たことがあるらしい。
 小さく鼻を鳴らした田島が席に座り直すと、今度はなつきの目が成沢へと向いた。成沢は3年前、樹里に望まれて協議離婚をしたが、まだ未練があるらしく何度も復縁を迫っては断られていたとのこと。成程、だから空港で微妙な空気になっていたわけか。
 未練のある成沢、しかし元夫である彼から既に興味を失くしていた樹里は、新庄とそれなりの仲。当然成沢はそれが面白くないはずで。


「その樹里さんも、若い恋人の新庄さんに飽きてきた様子で、『誰か可愛い子はいないか』って私に聞いていました」


 ほぉ、と思わず新庄を横目に見やるが、彼は悪びれた様子もなく涼しい笑みを浮かべたまま。しかし、その横顔に氷柱のような4対の視線が突き刺さっていることは本人も当然気づいている。
 コナンに蘭、園子、そして哀。4人からは見えないところで頬が僅かに引き攣っていることにひじりだけが気づいた。


「そして、マネージャーの真佐代さん」


 なつきの目が矢口に向いたことで全員の視線が逸れ、新庄が小さくほっと息をつく。
 絶対零度の視線はさぞ居心地が悪かっただろう。しかしそれはひじりと快斗の仲がそれだけ認められているということでもあるため、ひじりが労わるような視線を向けると新庄は薄く苦笑するだけだった。

 なつきの話に意識を戻すと、矢口はいつも樹里に暗いだの気が利かないだのと言われて、みんなの前で恥を掻かされていたらしい。かく言うなつきも、わがままな樹里にいつも振り回され他の仕事をしたいと思っても邪魔をされ、嬉しい反面恨んでもいた、と。


「ね?みんな彼女を殺害しても不思議はないのよ」


 笑ってそう締め括ったなつきが席に座り直す。
 彼女の話をひと通り聞いて、ひじりはついと目を細めた。


(誰もが動機はある─── だからこそ、誰もが疑われかねない状況で彼女を殺害した)


 それは自分にも飛び火する可能性があるが、状況によっては自分は逃れることができる。
 だからこそ、おかしい。なぜ彼女は、まだ自分が疑われていない状況で、敢えて自分にも動機があると教えたのか。
 彼女は犯人ではなく、田島が動機がないと言い逃れしようとしたからそれを防ぐためか。それとも、自分が犯人だと分かるはずがないという絶対の自信があるからか。


「ちょっと元太君。こんなときによく食べられますねぇ」

「だってよ、もったいねぇだろ残しちゃ」


 相変わらず食い意地が張っている様子の元太にひじりは内心で呆れ、しかしコナンには良いヒントになっただろうと思い直す。
 ならばすぐに答えに辿り着く。そうでしょう、名探偵?そう、ほんの僅かに口角を上げて。


「あれれ~おじさん!あれ何だろう?」


 唐突に子供らしいコナンの声が響き、呼ばれた小五郎が訝りながらコナンが指し示す天井を見上げる。英理も気になったのか小五郎の傍に寄って見上げ、同じように全員が天井を見上げた。
 そのとき、機体が風に煽られたのか大きく右に揺れたが、ひじりは軽く新庄に支えられたことでバランスを崩すことはなかった。


「ありがとうございます」


 すぐに体を離した新庄に礼を言い、返答の代わりに静かな笑みを受ける。


「おい、何があるってんだ?」

「ボクの見間違いみたい!トイレ行ってくるー!」


 訝る小五郎の声に何やら慌てたコナンの声が聞こえ、もしかして麻酔針を外したのかとひじりが目を向けるとコナンの席に英理が座っていることが分かって、おそらく先程の揺れで撃ち間違えたのだろうと納得する。

 何はともあれ、推理が始まるわけだ。
 コナンが事件を解いておしまい─── と言うには、どうしてだか心がざわめきすぎていた。






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