202





 何とか心と顔を落ち着けた新庄が戻って来て、2人は並んで無言のまま座りながら、しかしそれぞれ内心は多弁だった。


(早く東京に帰って快斗に会いたい…触れたい…いちゃいちゃしたい)

(早く仕事終わらせてひじりさんといちゃいちゃしたい…いや待て、東京まで帰って来るの待たなくても、少し遅れて来ましたって装えば合流することもできるんじゃ…?)





□ 銀翼の奇術師 11 □





 宝石が偽物だと判った今、キッドとしての仕事はほぼ終わったようなものだ。そのため気を抜きかけていた2人は、しかし樹里が矢口から差し出されたチョコレートを食べて飲み込んだ瞬間、喉を掻き毟るように押さえて苦悶の声を上げたことで気を張り詰めた。 
 誰もがはっとして苦しむ樹里に驚いて視線を向け、コナンがいち早く席から立って駆け寄る。
 苦しんでいた樹里が助けを求めるように天井に左手を伸ばし、声が途切れると共に力無く床に落ちて、小五郎が脈を測り首を振るより前に彼女が事切れたことをひじりは察した。
 新庄と2人、立ち上がって樹里のもとへと歩いて行く。


(…状況から見ると、毒かな)


 ひじりの内心の呟きを肯定するかのように、冷静に樹里を覗きこんでいたコナンが小五郎にアーモンド臭がすることを伝える。
 ─── 青酸中毒。毒殺だ。


「チョコレートだ!チョコに毒が入ってたんだ!」


 毒殺と知り伴が声を上げる。確かにチョコレートに毒が入っていてもおかしくはないが、果たしてそうも簡単に犯人が割られかねない方法を選ぶだろうか。
 そう考えていると何かに気づいた小五郎が目を見開いて顔を真っ青にしてさらに緑色に変え、何事かと思えばどうやら小五郎も樹里と同じチョコレートを食べてしまっていたらしい。


「大丈夫だよ、もしおじさんが食べたチョコに毒が入ってたら、とっくに症状が出てるはずだもん」


 コナンのフォローに小五郎が冷や汗を浮かべながらも何とか顔色を戻す。
 さて、偶然小五郎の食べたチョコレートに毒が入っていなかったのか、それともチョコレートではないものに毒が入っていたのか。
 樹里が殺されたのは偶然ではなく狙ったものだろう。空港で感じた殺気がそれを裏付ける。

 とにかくこのまま彼女を床に転がしておくわけにはいかず、とりあえず全員を席に座らせた小五郎が樹里を席に座らせて英理が毛布を被せる。乗務員には機長へ樹里が亡くなったことを伝えさせた。
 そして返答は、事件のことは空港に着くまで他の客が動揺しないよう悟られないようにしてほしいとのことだった。分かりましたと小五郎が頷き、ぽつりと英理が呟く。


「…それにしても犯人は、いったいどうやって樹里さんに毒物を…」


 チョコレートを食べたあとに倒れたのだからチョコレートだろうと伴は言って小五郎も同感だと英理に言うと、それに「そんな!」と声を上げたのは矢口だった。
 樹里が食べたチョコレートを差し出したのは矢口。詳しく調べないと分からないが、毒がチョコレートに入っていたのだとしたら、それを持っていた矢口が犯人とされる可能性が非常に高く、彼女は何としても否定したいはずだ。


「チョコレートに毒…?」


 ぼそりと隣からチョコ好きの男の低い呟きが聞こえ、ひじりは先程も渡したチョコレートのひとつを包装を解いて新庄の口に突っ込み、黙って会話を聞く。
 矢口が言うには、チョコレートは銀座のいつもの店で買ったもの。そして開けたのは食べる直前。そうよねと確認のために矢口がなつきに水を向けるが、当の彼女はよく見ていなかったと返し、矢口が悲壮な声を上げた。


「工藤さん、もう1個」

「ん」


 真面目な顔でチョコレートをねだる新庄にまたひとつ渡すと、彼は包装を解いたチョコレートをまじまじと見つめ、軽く首をひねった。
 矢口の買ったチョコレートは、個別包装こそされていないがひと口サイズのものが十数個。毒を仕込んだとしても、どれを樹里が食べるかは完全にランダム。予測するのは難しい。しかも樹里に渡してすぐ小五郎も手に取ったらしいことも考えると、チョコレートそのものに毒が仕込まれていた可能性は低いと言える。
 しかし、ではチョコレートに毒が仕込まれていなかったのならいったいどこに。遅効性のものだったとしても、あんな急激な苦しみ方をするだろうか。


(まぁ、チョコレートに毒が入っているかどうかは、調べればすぐに判ることだし…あとは警察に任せるのが一番か)


 捜査道具も何もない以上、ここで犯人を割り出すのは難しい。
 とにかく現場の保存をするために、前方トイレは使用禁止、そして全員後ろの席へ移るよう小五郎に言われてそれぞれ動き出す。気づけば窓の外では陽が完全に沈んでいて、名残惜しげな赤が帯を描いていた。

 誰がどうして樹里を毒殺したか判らない今、それぞれ不安げな色を顔に浮かべて席を移る。
 元々後方に座っていたひじりと新庄はそのまま動かずにいたが、元太に見つかる前に新庄がチョコレートを口に含み、少し溶けて指についたチョコレートを舌で舐め取った。


「「……ん?」」


 そのとき、2人は同時に小さく声を上げて顔を見合わせる。
 何だろう今、何かが引っ掛かったような。


(チョコレート、を、指で、舐める…?)


 そういえば樹里も指についたココアパウダーを舐め取っていたことを思い出して、ひじりは飛行機に乗る前からの樹里の情報を時系列順に並べて整理すると、新庄の手首をがしりと掴んで先程彼が舐めた指を見下ろした。






 top