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 快斗は不参加ということになり、通話を終えた携帯電話をポケットに仕舞い直すと、じゃあこれで全員ねと樹里が纏めようとしたところで、蘭が「あのー…」と控えめに成沢達へ声をかけた。


「他の役者さん達は来ないんですか?」

「当たり前じゃないの!端役の連中呼んだって何のメリットもないでしょ?」


 にこにこと朗らかに、何ひとつ自分を疑わず言い放った樹里の様子に、小五郎と蘭が少し顔をくもらせ、ひじりは無表情のままたくさんの敵を作ってしまう人だなと冷静に評価した。

 瞬間、心臓を刺すような不穏な気配を微かに感じ取る。
 殺気だ。殺気が誰のものかを割り出す前に霧散してしまったが、確かに感じたそれに小さく息を吐いて、ひじりはこの飛行機の旅が何事もなければいいと左手の薬指に鎮座する指輪を軽く撫でた。





□ 銀翼の奇術師 9 □





 スカイジャパン航空、函館行、18時15分発、865便。
 2階席スーパーシート─── ファーストクラスと言った方が分かりやすいかもしれない。
 招待してくれたことは喜ばしいが、ゲストと言えど全員分の航空チケットまで用意してくれて、しかもここを貸し切っていると聞いては、さぞかし儲かっているのだろうと下世話なことをひじりに思わせる。

 ひじりは後方、階段近くの席にひとりで腰を下ろした。
 本当は歩美に隣に座ろうと誘われたのだが、先程感じた殺気のこともあってなるべく身軽に動けるよう適当に断っていた。一応小五郎の隣があいてはいるが、蘭にそこはダメと理由と共に言われていたので座らない。


(…けど蘭、それはちょっと逆効果な気が)


 搭乗してからしきりに後ろ─── 階段の方を気にする蘭を見てぽつりと内心で呟く。するとふと客室乗務員の「いらっしゃいませ」の声が聞こえ、階段を上がって来た人物と顔を合わさないよう窓に顔を向けた。
 窓に映るのは見知った1人の女性。彼女はひじりの隣を一瞥したがそこに荷物があるのを見て別の席を探し、前方の小五郎の席の方へと歩いて行く。
 この席に座っているのがひじりだと知れば彼女は隣に座らせてもらえるよう頼んだだろうから、声もかけずにあっさり前へ行ったことに小さく安堵の息をついた。


「あのー、お隣の席…」

「ん?ああ、どうぞ…─── んなっ!英理!!

「あ、あなた…!」


 小五郎は声をかけられすぐに了解しようとしたが、己の妻の顔を見てぎょっと目を剥き驚愕の声を上げ、英理も同様に目を見開いて小五郎を見つめる。園子が「おば様?」と英理に声をかければ彼女が振り返り、タイミングを図っていた蘭が精一杯の演技ですっとぼけて声をかけた。


「あ、あれー?もしかしてお母さんも函館へ?すっごい偶然!やっぱりお父さんとお母さんって、縁があるんだねー?」

「何言ってるの?樹里さんから招待を受けたけど、お父さんが行けないから代わりに来てくれって、あなたが」

「蘭、またお前…」


 以前も何度か両親の仲を取り持とうとした前科のある蘭に小五郎が半眼になり、蘭が慌ててとにかく座ってよ2人共と促せば、2人は声を揃えて「冗談じゃない!」と声を上げた。何で隣になんか、まできっちり声を揃えて顔を見合わせ、同じタイミングで顔を背けるのだから相変わらず息が合っている。仲が良いのやら悪いのやら。


(素直じゃないね、相変わらず)


 別居してからは喧嘩ばかりだが、2人共内心憎み合っているわけでも嫌い合っているわけでもないことは確かだ。そうでなければ2人は婚姻関係を続けていないし、何より時折だが英理からも小五郎からも愚痴という名の惚気を聞かされることもある。
 しかしどうにもお互い素直になりきれず、蘭が2人仲良くしてほしいと思っているのも、蘭のためにも元に戻るのが正しいというのもちゃんと分かっているが、顔を合わせればこうして2人は喧嘩してしまう。
 いつだったか、英理にあなた達が羨ましいわと苦笑されたことを思い出した。


「ちょっと2人共…」


 仲良くどころか思いきり喧嘩してしまった両親に蘭が慌て、それを無視して小五郎がふいに歩き出し前方の席に座る樹里の方へと向かい、蘭の制止も聞かず樹里の隣に座ってもいいかと訊いて彼女の了承を得ていた。もー、と蘭が軽く眉を寄せる。すると今度は英理が動き出し、樹里に声をかけて挨拶を交わした。
 それだけで済めばよかったのだが、小五郎が何かしたのだろう、英理は「横に座っている下品な男」と自分の夫を強調して、不快な思いをされたらいつでもご相談をと名刺を渡す。樹里との会話を終え、最後の最後まで小五郎と顔をそっぽ向け合うことも忘れずに。


「はぁ…どうしてこうなっちゃうんだろ…」


 足早に戻って来て小五郎が座っていた席の隣に仏頂面で座り込んだ英理に、深いため息をついた蘭は脱力したように座り直して心底不思議そうに呟く。


(なるでしょう)

(なるって)

(なるよ)


 意図せず、ひじりと園子とコナンの心の呟きがかぶった。


「…あら。ひじりちゃん?あなただったのね」

「どうも」


 お役御免となった荷物を膝にのせるとひじりに気づいた英理から声がかかり、軽く頭を下げる。
 英理はあなただったら隣に座らせてもらえばよかったわと苦笑して、そうすればあの人と喧嘩もせずに済んだのに、という言外の言葉を読み取ったひじりがそうですねと小さく頷く。
 蘭の策とも言えないような企みは聞いたときからうまくいくはずがないと思ってはいたが、彼女の必死な願いを無下にするわけにもいかなかったから協力したのだが、敏い英理はそのことにすぐに気づいてごめんなさいねと困ったように微笑んだ。それに気にしていないと首を振る。


(ん?…来たか)


 ふと階段を上る足音が聞こえてちらりと振り返ると、体調不良でキャンセルしたはずの新庄が階段を上がって2階席へと顔を出した。


「どうも皆さん!お待たせしました」

「新庄さん!」

「あなた、体調が悪いから今日はキャンセルしたって…」


 矢口が驚き、田島の当然の言葉に、新庄はどう見ても体調が悪い素振りが皆無な様子で微笑み、「体調も戻ったし、ひとりでいても暇なんで…やっぱり僕も参加することにしたんです」と言いながら樹里へと歩み寄った。樹里の前に膝をついて手を取り、その指にキスを落とす。
 新庄と樹里が何やら顔を寄せてこそこそ話しているが、残念なことにひじりにまでは聞こえず、しかしひじりは特に興味もない様子でじっと窓の外を眺めていた。






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