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 そろそろ開演時間が迫ってきたため、一同はホールへと入った。
 博士の隣に並んで座った快斗とひじりは通路側へ座ったコナンをちらりと見て、お互い一瞬だけ目を合わせる。
 コナンは、チケットを取っておらずホールの出入口傍で立ち見する新一をすぐに追えるようにそこに座ったのだろうが、通路側へ座ることは予想できていたし、むしろ追ってもらわなければ困る。


 ビー…


 開演を示すブザーが鳴り、ホールから照明が落ちる。
 さて、今はただ、煌びやかなこの舞台を楽しむことにしよう。





□ 銀翼の奇術師 6 □





 以前下見も兼ねて一度舞台を観たことがあるため、そこまで大きな反応は見せず、2人は楽日とあって研鑽され深みを増した演技を楽しんだ。
 物語は中盤を終え、快斗がちらりと新一の方へ目をやれば、彼は退屈そうに欠伸をしていた。元々あまり興味がなかった上に、昨夜から今日の仕込み・・・の準備で忙しかったからなと内心で苦笑する。


(けど、見知った人間に化けるだけでもすっげぇ疲れるんだから…キッドの精神力と演技力には舌を巻くぜ)


 快斗として・・・・・内心で称賛し、博士に気づかれないよう静かに深く息を吐き出す。
 劇場に訪れてからまだほんの数時間。だというのに、ひどく疲れた気がする。


(…そろそろかな)


 物語が終盤を迎え、一度降りていた幕が上がると、華やかなドレスに身を包んだ樹里─── ジョゼフィーヌがゆっくりと舞台の袖から現れた。
 ナポレオンの王位即位式。これで「ジョゼフィーヌ」は終幕だ。

 そういえば小五郎の秘策とは何だったか。
 今更思い出した快斗が舞台を見渡すと、椅子に腰掛けた教皇の隣にいる、見覚えのある人物に乾いた笑みをもらした。
 他の司祭達に交じってその場にいたのは、司祭服に身を包んだ小五郎と中森。


(おいおい、秘策ってまさか…)


 確か、小五郎は拍手喝采を受けたとき─── 幕が下りたときに、ナポレオンに変装したキッドが現れると推理していたような。
 ということはつまり、今キッドはナポレオンに変装している、と思われている成沢に、幕が下りた瞬間飛びかかるつもりなのだろう。そうなると、小五郎と中森の後ろに連なって控えるのも警官か。よくよく見てみれば、加藤がいるのが判った。
 無駄な秘策ご苦労様、と快斗が内心で呟くと、ポケットに突っ込んでいたマナーモードの携帯電話が一度だけ震える。
 ワン切りは、キッドが動く合図。快斗は新一の方を見ることなく、左手で頬杖をつくふりをして薬指の指輪に口付けを落とした。
 それとほぼ同時にコナンが動く。ホールを出て行った新一を追いかけて行く小さな後ろ姿を一瞥して、快斗は再び舞台へ視線を戻した。
 快斗とひじり、そして直接声をかけられた哀以外にコナンが出て行ったことに気づいた者はいない。いよいよ大詰めとなった舞台に、観客の視線は釘付けだ。


「……?」


 ふと隣に座っていたひじりが軽く首を傾けてポケットから携帯電話を取り出す。マナーモードのため小さく震えただけのそれをできるだけ光が漏れないようカバンの中で開き、快斗が横から覗きこむと新着メール1件。差出人はコナン。
 ひじりがメールを開くと、そこには簡潔な文字が綴られていた。


(『灰原には言っといたが、ひじりもあとは頼んだ。オレはキッドを追う』…か)


 メールを確認したひじりが無表情に携帯電話をポケットに仕舞う。快斗も姿勢を戻し、舞台に目をやりながら頭の中では別のことを考えて内心でほくそ笑んだ。


(さぁ名探偵。ちゃぁんとキッドを追い詰めてくれよ?)


 そうでないと、「失敗した」と思われないだろう?









 舞台が終演を迎え、結局小五郎の“秘策”も不発に終わったが、キッドは警察が劇内に潜んでいることに気づいて逃げた、と結論付けられて一応事件もまた幕を閉じた。
 コナンがいなくなったことに関しては、あとは警察に任せることにしてひと足早く退場した新一とこっそり抜け出したと適当に誤魔化しておいた。蘭からまた黙っていなくなってと恨み言のひとつは呟かれるだろうが、そこは何とかコナンにフォローしてもらいたい。
 中森と小五郎はまだキッドが現れるかもしれないからとキャスト全員がホテルに戻るまで護衛を続けるようで、先に帰っているよう言われたため、快斗、ひじり、蘭、園子、博士、そして子供達は先に帰ることにした。
 全員で同じ電車に乗り、路線図で次の駅を見た快斗がふいにくるりと一同を振り返る。


「そうだ。悪ぃなみんな、オレとひじりさん、これから知り合いのバーに寄って帰るからよ」

「おやまぁ。ひじりお姉様はともかく、高校生がバーとは洒落てるわね」

「オレの知り合いだからいーの。今夜の舞台の感想も聞きたがってたしな」


 からかうように身を乗り出した園子を快斗がさらりとかわして笑い、ひじりは博士と哀に向かって「遅くなるかもしれないから先に寝てて」と告げる。


「ああ、分かった。あんまり遅くなるようじゃったら、黒羽君の家にでも泊めてもらいなさい。黒羽君がいいようだったら、じゃが」

「快斗君も、そっちの方が嬉しいんじゃない?」


 博士に続いて哀が目を細めて笑えば、快斗は「まぁな」とほのかに笑みを見せて頷く。それじゃそうさせてもらおうかなとひじりが頷いて、本当ですかと嬉しそうに快斗が顔を綻ばせた。

 目的の駅に着いて降りた快斗とひじりは手を振ってくるみんなに手を振り返して電車を見送った。
 電車が完全に見えなくなり、それぞれ不自然でない仕草で盗聴器の類が仕掛けられていないことを確認してから2人は無言で歩き出す。
 別のホームから出る電車を乗り継いで目的地の最寄駅で降り、ある一件のプールバーへと足を淀みなく動かした。

 「ブルーパロット」と看板が掲げられた建物。
 「Close」の札が下がる扉の前に立ち、ひじりがカバンに入れていた鍵を取り出して鍵穴に差し込んで回す。鍵を開けたドアを開き、ひじりが中へ促すと、快斗は軽く礼をして店内へ入った。


「…前にも変装したことはありましたが、今回はそれ以上に疲れました」


 無表情に快斗の顔と声のままぽつりと呟いて一番上まで留めていたシャツのボタンをふたつほど外すと、扉を閉めたひじりは店内の照明をつけながら苦笑して頷く。
 照明がついたことで店内が明るくなる。流れるような慣れた動きでひじりが空調を入れ音量を抑えた音楽をかけた。さらにカウンター内で早速紅茶を淹れ始めて、表情を消したまま快斗が何か手伝いを申し出ようとしたところで、ふいにポケットの中の携帯電話が震える。
 電話だ。すぐに通話ボタンを押して電話に出た。


「はい」

『……オレの声が返ってくるってのは、何とも妙な感じですね』


 第一声が言葉通り微妙な声音をしていて、快斗は小さく、ふっと唇を緩めた。






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