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準備は全て整った。
さぁ、全力で探偵の目を欺こう。
□ 銀翼の奇術師 2 □
潮留ビュータワー内の劇場
宇宙、「ジョゼフィーヌ」開演の約1時間前。
待ち合わせ時間より数分早くに足を踏み入れた
ひじりと快斗は軽く辺りを見渡し、受付の近くにいた蘭達を見つけると快斗が軽く手を挙げて声をかけた。
「悪ぃなみんな、待たせたか?」
「ううん。わたし達も今来たとこ」
快斗の言葉に蘭が首を振る。コナンの探るような鋭い視線を無視して、2人は最後尾の博士の後ろについた。
開演1時間前に集合したのは、樹里の計らいで楽屋に入らせてもらうためだ。マネージャーである矢口が迎えに来る手筈となっているので、それまではもう少しここで待たなければならない。
その間、園子が「ジョゼフィーヌ」を実は観たかったようで楽しみだと蘭と話し、ふと元太がコナンが背負うリュックを気になっていったい何だと問い、コナンは「ちょっとな」と笑って誤魔化した。しかし光彦が「ちょっと…何ですか?」と追及し、元太がまさか自分だけ食べ物を持って来たのではないかと半眼になれば、コナンは「オメーじゃあるまいし」と苦笑する。
「…あれ、博士が用意したやつか?」
コナンのリュックを見て快斗が問いかけると、博士はそうじゃよと頷く。何でも、今朝急に用意してくれと頼まれて準備した、キッド対策のための仕込みらしい。
「それはそれは…あの子もよくやる」
「でもキッド対策って…いったい何なんだ?」
ひじりの呟きに続いて快斗が問いかけると、博士はあっさりとあの中身がパラグライダーなのだと教えてくれた。
成程、ハンググライダーに対抗してのパラグライダーか。空を滑るキッドを追うために。
「はー…オレにはそうしてまで追う感覚が分かんねぇ。探偵ってのはみんなああも執念深いのかね」
情報ありがとよ、と内心で呟きながらその様子を欠片も見せずに呟いた快斗がコナンを呆れたように見やる。博士が「相手はキッドじゃからのう」と苦笑して返した。
「キッドと言えば、
ひじり、あなた今回はあのキザな泥棒さんからラブレターはもらってないの?」
「……そういえば、まだもらってない」
哀の問いかけに、
ひじりは無表情に首を振る。
快斗は
ひじりがキッドからラブレターと言う名の手紙を毎回贈られていたことを
ひじりから聞いて知っていたため驚かず、しかしほんの少し眉間にしわを刻んで不愉快そうな感情を示した。
すると、その眉間にとんと指が触れる。見てみれば
ひじりがやわらかく目を細めていた。
「しわ、できてる」
「…嫉妬くらいしますよ。何せ相手は怪盗キッド。あなたの心が奪われる心配はしていませんが、オレ以外の男があなたにラブレターを贈ったり、あまつさえ触れたり…」
「私は快斗しか見てないよ」
「でもあなたは、毎回キッドの誘いに乗って会いに行ってる」
「だって、快斗が嫉妬してくれるから」
淡々とした、けれど優しい意地悪さを含んだ声音に、快斗は数度目を瞬き、敵わないとばかりに俯いて両手で顔を覆った。
楽しそうに
ひじりが快斗の顔を覗きこむ。見ないでください、と弱々しく懇願したのに、
ひじりは小さな笑みを浮かべて「見せて」と快斗の両手に触れる。
「…こういうのを、爆発しろって言うのかしら」
「ハハハ…」
2人のいちゃつきぶりに、博士と哀は2人から視線を外して小さくため息をついていた。
するとふいに「毛利先生!」と女性の声が小五郎を呼んで、一同の視線が音源へと向く。快斗も顔を上げて振り返った。眼鏡をかけた髪の長い女性─── 矢口がやや早足で歩み寄って来る。
「すみません、お待たせしてしまって…」
確かに少し待ちはしたが、探偵と言えど部外者が立ち入らせてもらえるのに文句があるはずもない。
一同が軽く礼をすると矢口も礼を返してくれ、彼女は早々にこちらですと笑顔で促した。
矢口の案内で向かったのは、樹里がいる楽屋。ネームプレートが樹里1人であるため、彼女専用の個室なのだろう。
ドアを3回ノックをした矢口が自分の名前を告げて「毛利先生がお見えになりました」と告げると、中からどうぞと返事があった。
矢口がドアを開け、一同の先頭にいた小五郎を促す。小五郎が失礼しますと言って楽屋に入ると、ヘアメイクを受けながら雑誌を読んでいた樹里は「ようこそ毛利さん」と小五郎を歓迎した。
「こんな格好で失礼します。なつきちゃん、こちらはあの有名な毛利小五郎さん。あなたも知ってるでしょ?」
樹里から小五郎を紹介され、酒井なつきですと名乗って軽く頭を下げた彼女に、小五郎もどうもと礼を返す。
そして握手をするためか歩み寄ろうとすれば、待ちきれなくなった子供達3人がはしゃいだ声を上げて小五郎を押しのけ楽屋へ飛び込んだ。快斗や
ひじりが止める暇もない。
「ひろーい!」
「花がいっぱいですね!」
「すっげー!」
「コラお前達!まずは挨拶からだろが!行儀良くしてろって小五郎さんも言ってただろ?」
後を追うように楽屋に入った快斗が樹里そっちのけで楽屋を見渡す子供達の頭を軽く叩き、すみませんと樹里へ頭を下げて非礼を詫びる。
ひじりもまた子供達の背中を軽く叩いて頭を下げると、子供達も2人につられるように樹里へ向かって頭を下げた。
樹里はやはり気を害していたのか、些か厳しい目で子供達を睨んでいたが、快斗と
ひじりの2人と子供達に謝られ、小五郎もまた非礼を詫びて「お言葉に甘えて子供達まで連れて来てしまいました」と言えば、気を取り直したらしく構いませんわと笑みを返す。
そのときふと、小五郎が樹里の前にある鏡前のテーブルに飾られた写真に気づいた。
「樹里さん…ダイビングおやりになるんですか?」
「ええ、まだ始めたばかりですけど。今度ご一緒しません?」
「いいっスなぁ、是非」
樹里の社交辞令に、小五郎が笑みを浮かべて頷く。それを見て、蘭が「ダイビングなんかやったことないくせに」と半眼で呟き、園子やコナンが呆れた笑みを浮かべていた。
まったく、本当に美人に目がないとはこのことだ。快斗が内心で呟いて苦笑すると、コナンの横に立っていた哀がふと何かに気づいて動き出した。
思わず目で追えば、哀が向かった先には鏡前テーブルに広げられた化粧道具。それに歩美が気づいて駆け寄る。やはり女の子、化粧道具が気になるのだろう。
「わー!お化粧道具がいっぱーい!」
何となく
ひじりと共に寄ってみれば、歓声を上げた歩美にそうねと哀が返す。
テーブルの上にある化粧道具のひとつを手に取り、
ひじりを振り返った歩美が「これって、ファンデーションって言うんだよね!」と問いかけ、
ひじりは軽く頷いた。
同じく
ひじりを振り返っていた哀がテーブルの上に視線を戻し、そこにあるファンデーションの数を数えると、何と5種類もあった。流石有名な舞台女優ともなればこれくらい必要なのかもしれない。
「コラ!」
ふいに叱る声がかかり、びくりと歩美が身を竦ませる。哀と歩美が振り返り、
ひじりと快斗もまた目を向けると、笑みを浮かべたなつきが歩美の手からファンデーションを取った。
「お嬢ちゃん達…お化粧に興味を持つのは、まだ早いぞ」
確かに、小学生一年生である歩美や、精神年齢はともかく見た目は同じく小学一年生の哀にはまだ早い。
商売道具とも言えるものを勝手に触らせたことに対して軽く詫びると、なつきはいいのよと朗らかに笑った。
広げていた化粧道具をケースに仕舞い、笑みを浮かべながら哀と歩美の方を向いて腰に手を当てる。
「子供は子供らしく。ね?」
「はぁーい…」
渋々ながら頷いた歩美の背を、快斗が優しく叩いた。
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