188





 “前夜祭”を終え、キッドの衣装を脱いで闇に紛れてヘリから地上へと降り立った快斗は、黒羽快斗として未だ余韻を残して盛り上がる観客の波をすり抜けて走っていた。すると途中見慣れた小さな後ろ姿を見つけ、軽くその背に声をかける。


「工藤、お前ここで何してんだ?」


 知っていながら知らないふりで問う。勢いよく振り返ったコナンは、快斗を認めて僅かに視線を鋭くした。
 だがすぐにその鋭さは散る。普通の人間なら気づかなかったかもしれない変化を、しかし怪盗キッドである快斗は決して見逃さなかった。
 探るような視線。疑惑に満ちた目。そして唐突に思い出した、ひじりが言った「話しておかなきゃいけないこと」。

 ─── まさか。

 脳裏を嫌な予想が駆け抜けた。





□ 大海の奇跡 6 □





 コナンに加えて中森とも合流し、早速「快斗君もマジシャンだろう!?さっきのキッドの手品分かるか!?」と問い詰められたが、困った顔を貼りつけて「すみません…さすがに分かりません」と頬を掻くと、中森はがっくり肩を落とした。
 だが何か気づいたことがあったらすぐに教えてくれと言われ、それに頷きつつ、時折コナンから向けられる視線に気づかないふりをする。


(やべーな…オレがキッドだって疑ってやがる)


 思えばキッドと快斗が同じ場面にいたことはないし、ひじりは快斗一筋で他に目を向けるつもりはないと明言しているにも関わらずキッドに対してやぶさかではない対応をしている。怪しまれるのも当然だ。これは何かしらの対策を打たなければならない。

 以前、中森や探に疑われたときには何とか誤魔化せたが、厄介な名探偵の目はその程度じゃ誤魔化せないだろう。
 何か、決定的な手を打たなければ。しかし今日明日で練った急拵えの策では意味がないし、逆に疑いを強める可能性が高い。
 とにかく“大海の奇跡ブルー・ワンダー”の仕事を終えた後で、ひじりと相談しよう。それまでは絶対に決定的なボロを出してはならない。


(ポーカーフェイスを忘れるな…大丈夫だ、今のオレなら)


 内心で気を引き締め、快斗は中森とコナンと共にワゴンへと向かうと、その傍にひじりが見えて思わず頬を緩めた。


ひじりさん、お待たせしました」

「ん」

「揃ったな。言いたいことはあるだろうが、とりあえず中に入ってからにするとしよう」


 物言いたげに、おそらく文句のひとつでも言おうと口を開きかけた中森より先に次郎吉が制し、博物館へと促す。
 せっかく館内を見るチャンスを棒に振る理由もなく、快斗はコナンの視線を背中に感じて気づかないふりをしながら、ひじりの隣に並んで次郎吉を先頭に博物館へと足を踏み入れた。


「だから言ったでしょ!?キッドを侮ると痛い目に遭うと!」


 館内に入り、次郎吉がどこかへ歩いて行くのに従いながらようやく中森が文句を口にする。
 最初からヘリを張り込ませておけばこんなことには、と続けかけた言葉は、しかし次郎吉が「ならばうぬには予測できたかのぉ」と口を開いたことで遮られた。彼奴が中天を闊歩して来ると、と次郎吉が苦々しくも驚嘆を滲ませた声音で続ければ、やはり予測できていなかった中森が「そ、それは…」と言葉に詰まる。


「そういえば、うぬも彼奴と同じマジシャンだったな。彼奴の手口、読み解けるか?」


 ふいに次郎吉の視線が快斗に向き、快斗は苦く笑って首を振った。


「マジシャンってもオレ、学生でたまごですから」

「まぁ、確かに年端もいかぬボウズには無理か…」

(…んだと?)


 肩を落としてため息をつく次郎吉に思わずカチンときた、が何とか心を落ち着かせる。するとふいに手の平にやわらかいものが触れ、反射的に目を向ければひじりが前を向いたまま繋いだ手に軽く力をこめた。


「…それでも快斗は私にとって、世界一のマジシャンだから。誰が、何と言おうと」

ひじりさん…!」

「……あー、2人はいつも?」

「こんな感じよ、次郎吉おじ様」


 ひじりの手を両手で取って感激していると意識の外で呆れたように次郎吉が視線を逸らして園子がからからと笑う。
 ひとつ咳払いをした次郎吉は前を向いて再び口を開いた。


「それに今夜は下見、彼奴が予告したのは明日じゃ。彼奴のやり口が分かっただけでもよしとすればよかろう」

(その考えが甘ぇんだよ)


 ひじりと手を繋いだまま、快斗は内心で不敵に笑みを深める。
 だが、だからとここで気を抜いてはならない。まんまと狙い通り引っ掛かってくれそうな次郎吉だが、最も厄介な名探偵がこの場にいる。
 彼の推理力を何度も目にしてきた快斗は、緩みかけた気を引き締めた。


「なーに、盗らせやせんよ…。儂が世界中を駆け巡ってやっと手に入れた、あの“大海の奇跡ブルー・ワンダー”はな!」


 階段を上がった先。構造的には“大海の奇跡ブルー・ワンダー”が飾りつけられた屋上の裏側にあたる部屋に入ると、天井近くに逆さまになったもうひとつの“大海の奇跡ブルー・ワンダー”があった。
 あらかじめ寺井とひじりが調べてくれていたお陰で仕掛けのことは知っていたが、こうして中から改めて見ることができるというのはありがたい。


(まさかキッドがこの場にいるなんて思っちゃいねーだろーけどな…)


 約1名を除いて。
 ぴしぴしと途切れることなく背中に刺さる視線に、もう少し緩めちゃくれねーかなかと思いながらコナンを振り返り、睨みつつも何も言おうとしないコナンに不思議そうな顔を貼りつけて軽く首を傾け、快斗は再び女神像へと視線を戻した。

 小五郎がなぜ外にあるはずの“大海の奇跡ブルー・ワンダー”が館内にあって逆さになっているのかと疑問を口にして、次郎吉は「こういう仕掛けじゃよ」とポケットからリモコンを操作する。すると小さく鈍い音を立てて仕掛けが作動し、回転して本物と偽物がすり替わり、小さなベランダから小五郎がそれを確認して成程と呟いた。


「ふん…こんな小細工、キッドにすぐに見抜かれて…」


 半眼になって中森が言うが、次郎吉ももちろんこれで謀れるとは思っとらんよと返す。


「だったら、明日は我々警察に全て任せて、あんたんとこのヘリなんか飛ばさずに大人しく…」

「その逆じゃよ」

「逆?」

「彼奴は明晩、同じ場所で会おうとほざいて消え失せた」


 ならば待ち構えてくれようぞ、と次郎吉は不敵に笑う。博物館周辺一帯の建造物を全て借り切り、今夜の何倍ものヘリと警備員を張り込ませる、と。
 流石は鈴木財閥。それにかかる費用を考えたくない。どうやらキッド相手に一切の手を抜くつもりはないらしい。


(ほぉー…面白ぇじゃねーか)


 けど、こうして手の内を晒してくれてどうもありがとよ。殆ど無駄になるだろうけどな。
 次郎吉がこれ以上の策を練ろうと、元々の計画に支障はない。懸念すべきはコナンくらいだ。
 何せ次郎吉は、ひとつ忘れている。盲点とも言うべきか。
 いくら策を練ろうと手段を考えつこうと、それらの指示を出す者は、ただの・・・1人しか・・・・いない・・・






 top