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 電話を終え、時計に仕込んだ盗聴器のスイッチを入れたひじりが素知らぬ顔でワゴンに入らせてもらうと、中では無数のモニターがヘリと館内の監視カメラから送られてくる映像を映していた。事前に調べていた通りだ。


「あ…来たみたいだよ」


 ふいにひとつのモニターに映る影を見てコナンが呟く。
 満月を背に白い翼を広げ、不敵な微笑みを浮かべるキッドを見るコナンの目が決して逮捕だけに燃えて煌めいているわけではないことが読み取れ、ひじりはそっとコナンから視線を外した。





□ 大海の奇跡 5 □





 キッドが現れたのは博物館の裏手。映しているのは7番機。それを聞き、中森とコナンがワゴンを飛び出してその場所へと向かった。
 キッドは今回「歩いて」来る。そして誰もが「地上を」歩いて来るのだと疑っていない。だから、たとえコナンと言えど、その先入観がある限りキッドを捕えることはできない。
 なので心配することなくひじりはワゴン車内に留まり、腕時計の盗聴器から車内の会話をキッド側へと送っていた。


「相談役!どうします?念のため、例の仕掛けを作動させて女神像を中へ…」

「ええいうろたえるな!今夜はただの下見、盗られやせん!それに彼奴は歩いて来ると予告した…拝見しようじゃないか、月下の奇術師と謳われた大泥棒の出方を」


 不敵な笑みを浮かべる次郎吉の背中を一瞥し、ひじりはモニターへと視線を戻す。
 キッドは一度ビルの間を横切ってその姿を消し、出て来ない。しかし唐突に空中に軽い音と共に煙幕が立ち、そこから白い怪盗が姿を現した。
 ─── 空中に・・・足をつけて・・・・・


「キッド、浮いてるよ!」

「嘘ー!」


 園子と蘭が驚愕の声を上げる。
 キッドを映した映像がすぐさま車内で一番大きなモニターへと映され、それを見る限り、確かにキッドはポケットに手を入れたまま空中に浮いていた。
 モニター越しのため現場の声は届かないが、おそらく観客達はその事実に沸き立っているのだろう。しかし次郎吉は慌てず、すぐさま無線機を手に声を張った。


「騙されるな!これはまやかしじゃ!!キッドは黒いアドバルーンか何かで、上空からワイヤーで体を吊っているだけにすぎん!!」


 近くのヘリはキッドの頭上を撮って確認しろと指示を飛ばし、それに7番機が了解しましたと応える。
 ヘリの操縦士がキッドの頭上へと移動すると告げ、園子が本当にキッドが吊られているのなら、ワイヤーがプロペラに絡まって大変なことになると慌てるが、やはり次郎吉は動じない。キッドとてそのぐらいのことは想定しておるよ、と言った通り、もちろん想定済みだ。口にはしないが。

 ひじりはただ、無表情に無言のままモニターを見つめ続ける。空中に立つキッド─── 闇に佇む、その白を。
 次郎吉はヘリが近づいたらワイヤーを切って得意のハンググライダーで飛ぶつもりだろうと不敵な笑みを湛えたまま呟いたが、ヘリがキッドの頭上を捉えた瞬間、さすがに目を見開くこととなった。


「─── な!?」


 キッドの頭上には、何もない。


『こ、こちら7番機!キッドの頭上には何も…』

「な、何じゃと!?」


 驚愕の声を上げる次郎吉。だが確かに、送られてくる映像には何も映っておらず、キッドは涼やかな笑みを浮かべたまま。では横か、と現場の警備員がキッドの左右のビルを確認するが、やはりそこにも何も無いとの報告を受けた。
 呆然とした次郎吉が息を呑む。モニターの映像が空ではなく地上のからのものへと切り替わり、同時に音声も入ってくる。


『Ladies and Gentlemen!!さぁ、今宵の前夜祭…我が肢体が繰り出す奇跡を、とくとご覧あれ』


 両腕を広げてその場にいる者全てに語りかけたキッドに応えるように、観客が歓声を上げてどっと沸く。しかしその余韻を残した歓声は、キッドが一歩・・踏み出した・・・・・ことでぴたりと止まり、ひじりもタネと仕掛けを知っていながら、思わずキッドのマジックに見入った。


 コツ

 コツ

 コツ


 響く、足音・・


「空中を…」

「す、すごい!」


 文字通り空中を歩くキッドに園子と蘭が驚きのあまり呆然と呟き、小五郎が成程と驚きを隠せないまま「歩いて盗りに来るとはこういうことか」と呟いた。


「そんなことより、教えてくれぬか毛利探偵…天地の定めを蔑ろにする、このからくりを…」


 さしもの次郎吉も苦々しく小五郎へ問う。
 ありえない現象をさも当然のように起こされ、誰もが息を呑んでキッドに見入っていた。
 普通、生身の人間が何の仕掛けもなく重力に逆らうことなどできない。それを世界の真理として分かっているからこそ、ありえないはずがありえている現実に目を奪われる。


『こちら3番機!キッドは現在、潮留公園上空を…ほ、歩行中…このままですと1分足らずで鈴木大博物館屋上に設置された、“大海の奇跡ブルー・ワンダー”のもとへ…』


 歩くキッドに戸惑いを隠せぬままの報告を受け、ワゴン車内の監視員が例の仕掛けを作動させた方がよろしいのではと進言する。
 確かに、このままではまんまと盗られてしまう。次郎吉はやむを得んなと頷いた。


『…さて、前夜祭はここまで…明晩20時、再び同じ場所でお会いしましょう』


 “大海の奇跡ブルー・ワンダー”を目前に、キッドは下見と言っていた通り盗ることなく煙幕を張ってその姿を隠し、空中から消えた。
 モニター越しにそれを見届け、暫く中森とコナンが戻って来るのを待っていると、再びひじりの携帯電話が鳴ったためワゴン車を出て電話に出る。


「はい」

ひじりさん、今コナンと合流したんで、一緒にそちらへ向かいますね』

「うん、待ってる」


 短い通話を終え、ひじりは携帯電話をポケットに仕舞って盗聴器のスイッチを切った。






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