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怪盗キッドに告ぐ!!

貴殿が所望するビッグジュエル「大海の奇跡ブルー・ワンダー」を
潮留に在する我が大博物館の屋上に設置した
手中に収めたくば取りに来られたし

鈴木財閥相談役 鈴木次郎吉







□ 大海の奇跡 3 □





 次郎吉の言った通り、朝刊には見開き使っての挑戦状が載せられ、流石鈴木財閥、やることなすこと金に糸目をつけないと内心呆れたのは秘密だ。快斗は面白ぇじゃねぇか、と不敵に笑っていたが。


「坊ちゃまも、厄介な方に目をつけられましたなぁ」


 快斗が学校に行っており、そろそろ下校も近くなった時間。開店前のブルーパロット店内、カウンター席に座るひじりの向かいに立った寺井がため息をついた。
 昨日のうちに次郎吉からの挑戦状が翌日の朝刊に載る、とは教えておいたから昨日知らせたときほどの驚きはなかったようだが、それでもやはり万全の態勢で罠を仕掛け待ち構えているだろう次郎吉に、寺井は気が進まない様子だ。しかし快斗が決して譲らないことを分かって、大博物館についての下調べをきちんとこなすのだから流石と言える。


「相手は鈴木財閥の相談役。財力に物をいわせてどんな警備を敷いてくるか…」

「まぁ、今回は私も手伝いますから」

「おや、そうなのですか?」


 今までキッドの手伝いをすることがなかったひじりの言葉に、寺井がきょとりと目を瞬かせ、ひじりはひとつ頷きを返した。
 昨夜、ひじりが珍しい嫉妬を見せたあと。それじゃあオレに協力してくださいと快斗に言われた。そうすれば、黄金の女神像を盗りに行くのはキッドだとしても、2人は共犯となりそこに割って入る余地はなくなる。
 理由はどうあれ、ようやく快斗はひじりを“使う”気になった。期待しています、と瞳を煌かせて笑った快斗の顔を思い出してひじりは目を細める。


「あまり表立っての協力ではありませんが。次郎吉さん以上の厄介な探偵が、私の傍にいますからね」

「…あの少年ですか」


 すぐに思い当たった寺井が呟き、ええとひじりが答える。
 組織のことは隠しつつもコナンの正体は既に寺井に知らされているため、“あの少年”が工藤新一だと知っていて、要注意人物として認定されている。少し顔を固くした寺井を一瞥し、ひじりはカップに入った紅茶をすすった。


「大丈夫ですよ。あの子がキッドの裏を掻こうとしても、私はそれを止め、あるいはキッドに伝えることができる」


 コナンはまだキッドの正体に勘付いていない。だからキッドとひじりがコナンの思っている以上に繋がっていることも分からないはずだ。
 しかしコナンは鋭く聡いから、いずれキッドの正体にも辿り着くかもしれない。そうなるとまた修羅場かな、とつい最近コナンとの軽い修羅場を繰り広げたひじりは他人事のように内心で呟いた。
 コナンを騙すような形になることについて、罪悪感が微塵も無いと言えば嘘になる。けれどそれ以上に譲れないことがある。ただそれだけのことだ。


(キッドが快斗だってバレて、しかも私が協力してるって知ったら、今度は本気で怒られそうだな…)


 だが、快斗か新一か。天秤にかけるまでもなく、ひじりは迷い無く快斗を選ぶ。
 ごめんね、と届かない謝罪を内心でコナンに向け、吐息のようなため息をついた。










「邪魔するぜー、ジイちゃん!」


 学校を終え、快斗は学生服のまま店内へ入って来た。
 おかえり、と軽く手を挙げたひじりを見て嬉しそうに頬を緩め、カウンターに広げられたまま置かれている新聞に気づくと不敵な笑みへとすり替える。相変わらずころころと変わる表情が愛おしい。
 快斗がひじりの隣のスツールに腰かけると、おかえりなさいませと寺井がジュースを差し出した。


「ところで坊ちゃま、この件ですが」

「ん?」

「こちらは先手を取られております。盗むとしてもせめて、予告状はお控えになった方が…」


 寺井が控えめに進言すると、ジュースをすすっていた快斗は「そりゃ逆だろ、ジイちゃん!」と即座に反論した。天下の怪盗キッドが正面切って喧嘩を売られたのだから、こちらからも予告状を出さなければ納まらない、と。
 負けず嫌いを発揮する快斗の言葉を聞いて、寺井は困ったように眉を寄せた。ちらりと視線を向けられたひじりは無言で顔を逸らす。快斗を止める気がないのを見て取って、寺井がひとつため息をついた。


「いやはや、盗一様もひとたびこうと決めたらどんなに危険な状況でも恐れず、お勤めをやり通す方でしたが…」


 やはり親子らしく、快斗の負けず嫌いは盗一譲りらしい。
 ひじりは盗一のことを詳しくは知らないので物珍しそうに聞き、快斗はとにかくやるからなと頑なに譲らない。快斗の味方ではあるが寺井の気苦労を察し、寺井さんも大変ですねと呟いたが内心だったため寺井に届くことはなかった。あとで労わっておこう、まぁこれからも快斗の決めたことを止める気はないけども。

 快斗にこれ以上の説得は無駄と悟って寺井は諦めたようで、代わりに「坊ちゃまのために徹底的に調べ上げますぞー!」と気合いを入れる。それに快斗が口の端を吊り上げて笑い、ひじりと快斗は顔を見合わせた。


「それでは、予告状はいかが致しましょう」

「ああ、もちろん考えてるぜ」


 寺井が紙とペンを差し出し、不敵な笑みを湛えた快斗がくるりと指でペンを回す。
 現場である大博物館の下調べは寺井にひじりが協力したこともあって快斗が学校に行っている間に終わっており、既にその情報は快斗へと伝えられている。

 次郎吉は精鋭揃いの警備チームを雇用していて、それにはヘリコプター部隊も含まれている。
 表向きは自伝映画用の撮影ヘリと謳ってはいるが、その数は20機。今も尚増員募集をかけているため、当日はさらに増えると見ていいだろう。それだけのヘリが飛んでいれば、気流が乱れてハンググライダーは使い物にならない。

 さらに、大博物館にある厄介な仕掛け。
 “大海の奇跡ブルー・ワンダー”は博物館屋上に設置されてあるが、そのある仕掛けのため、別の足を使うにしても難しい。加えて、館内には100台もの監視カメラが全域を捉えていて死角はない。
 誰かに変装しようにも、館内に警備の人間は1人も置かないらしいので変装して侵入することもできない。しかも監視カメラはヘリにも備えつけられ、それらの映像は1ヶ所に集められてすぐに異変を察知することができる。
 そして、当然として。


「あいつも絡んでくるだろうし…初のひじりさんとの“仕事”だ。最高のマジックを見せなきゃならねーな」


 ひじりに向けてきれいなウインクをする快斗には、下校までに策を練る時間は十分にあった。
 学生の本分として学業に励んでもらいたいところだが、キッド業もこなす快斗の頭脳なら授業を聞かずとも問題は無い。
 鉄壁に見える警備を前に快斗が一切ひるむ様子がないのを見て、しかしどうやって、と訊いてくる寺井へ切り口は見つけてあると軽く返し、回していたペンを持ち直した快斗はさらさらと紙にペンを走らせた。


「ブルー・ワンダー…大海の奇跡か。海の上を歩くのが有名な奇跡だろ?じゃー怪盗キッドは、その上をいく奇跡を起こさねーと、な」


 不敵ながら楽しそうに笑った快斗は、ペンを止めてひじりと寺井に紙を見せた。これは、と寺井が驚き、ひじりも顔に出ないまでも内心でへぇと呟く。
 怪盗キッドはマジシャンでありエンターテイナー。常に観客を楽しませる存在。それに一切の手抜きも妥協も許されない。
 改めはマジックの基本。ペンを手の内で回して軽く消してみせた快斗は、これと同じもんだよと紙を見て背筋を伸ばす。


「ジイちゃん、道具の準備と段取りに、どれぐらいかかる?」

「はい。土曜日までいただければ」


 寺井の答えに、「じゃ、決まりだな」と挑戦を受ける日時を指定する。
 次の日曜日、20時。しかしその日は下見として。

 着々と立てられていく計画に、ひと言も口を挟まずじっと見ていたひじりは、初めて知った怪盗キッドの裏側に終始興味深そうな目をしていた。






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