181




 当事者である蘭、そして園子には固く口止めをした上でジョディがFBI捜査官だと教え、ひじりがあの場にいたのは、誘拐されたコナンと哀をジョディと共に追ったためだと説明した。
 もちろん、コナンと哀とも口裏を合わせて日本警察にも同じ説明を。多少は不自然な点があっても、筋は通っているから納得せざるを得ないだろう。

 ちなみに、蘭がジョディの車のトランクに隠れていたのは、ジョディのマンションでひじりや快斗、コナン、新一達の写真が鏡の裏に隠すように貼ってあったのを見つけてしまい、そのわけをジョディに訊きに行ったが留守で、仕方なく帰ろうとすればマンションの前に停車されたジョディの車のトランクが開いていたため、思わず忍び込んでしまったらしい。
 それを聞いて、さすがのひじりも呆れて蘭にデコピンを入れた。けれど蘭は、指弾された額を押さえ、痛みかそれとも別の何かか、薄っすらと涙の膜を張ってひじりに微笑んだ。


ひじりお姉ちゃんじゃなかったけど…わたし、今度はちゃんと護れたよね」


 そうだね、ありがとう。と、今度は優しく頭を撫でた。





□ 季節外れのハロウィンパーティ 8 □





 さて、ベルモットとの対決はひとまず幕を閉じたために阿笠邸につけられていた盗聴器を全て外し、哀が何やら電話をかけてきたジョディと話している間に、ひじりは正面のソファに座って睨むような視線を向けてくるコナンの目を真っ直ぐ見返した。


「…で、言いたいことは?」

「……色々ありすぎて、何から話したらいいのか分かんねーよ」

「ごもっとも」


 低い呟きに軽く頷き、訊きたいことからどうぞと質問を促すと、コナンは厳しい目をやめないまま口を開いた。


「5年前の事件。あれは組織の…ジンの仕業だった。違うか?」

「その通り」

「そしてオメーは、ジンに攫われてそのまま5年、行方不明になってた」

「事実はそうだね。でも新一、もう分かっているでしょ?真実から目を背けると言うのなら、私はそれでも構わないけど?」


 途端、コナンの視線が膝に落ちる。きゅっと眉を寄せて拳を固め、再びひじりを見上げた。
 今から言う、あってほしくなかった真実を否定してほしそうな顔だ。けれどひじりは、コナンが自分自身の声で断定する真実を、否定することはない。


「……オメーは…自分の意志で、5年間、ジンの傍にいた」

「……」

「“ドール”と、呼ばれながら」


 苦しげに言葉を紡ぐコナンをひたりと見据えながら、ひじりははっきりと頷いた。


「っ、何で!何で…何でジンのところに…!あいつは、オメーの家族を殺したんだろ!?それなのに…!……お前が、持っているはずのなかった銃の腕も、色んな知識も…組織で学んで、それでも自分の意志で逃げ出さなかったのは、何でだ!!」

「それが、ジンとの“取引”だったから」


 予想通り激昂したコナンに対し、ひじりは無表情を崩さないまま淡々と答えた。「取引?」とコナンが眉をきつく寄せる。一度頷いたひじりは、ゆっくりと“5年前の事件”を思い出しながら口を開く。

 5年前、ジンがひじりの継母である工藤レイコを殺した後。
 既に撃たれ動きを封じられていた優哉と異母弟の大和の命を助けてもらう代わりに、自ら首輪をはめ、檻に繋がることを選択した。
 取引は成立し、2人は生き延びて証人保護プログラムを受け外国に逃げている。そしてひじりはジンの“人形”として、ジンに従いあらゆる知識と技術を詰め込まれながら生きていた。


「愚かだと、間違っていると新一は言うだろうね。私もそう思うよ。けれど私は、ジンのものだったから。そう決めたから、5年間逃げ出さずに従い続けた」


 けれどある日、ひじりの檻へ赤井達FBIが乗り込み、ひじりを檻に繋ぐ鎖を引き千切って連れ出した。
 そこから先はコナンも知っての通りだ。ひじりは再び姿を現した。ジンを釣る“餌”として、だが。


「“餌”って…お前!」

「私は何でもよかった。どうせまた、ジンのもとへ戻るだけだったから。ジンが再び私を檻へ連れ戻しても、殺されても、FBIがジンを捕えても。どうでもよかった。いや…むしろ、連れ戻されることを望んですらいたよ」


 絶句するコナンに、しかしひじりの無表情は揺るがない。


「…でもね」


 ぽつり、ひじりは僅かに声音を変える。感情の浮かばない黒曜の目をやわらかく細めて耳のピアスに指で触れ、かつてこの髪に咲いていた四葉のクローバーを脳裏に描く。


「快斗に出会ってしまったから、私はもう、ジンの“人形”ではいられなくなった」


 太陽のような笑顔。耳に心地良く響く声。優しく伸ばされて触れるあたたかな手。
 そのぬくもりを、知ってしまった。愛してしまった。


「新一がジンに薬を飲まされたちょうどそのとき、私がもう一度誘拐されたこと、憶えてる?」

「…たりめーだろ…」

「そのときに、私は“人形”を解放するか殺すかの選択を、ジンに迫った」


 “人形”ではもういられないから。いずれ逃げ出そうとするから。
 だから殺してと、ひじりは銃を自身に突きつけながら迫った。
 けれどジンはひじりを殺さず、僅かな情を覗かせて解放した。


「…いずれ、ジンは私の全てを奪いに来る。けど私はそれを許さない。だから、ジンを殺す」


 ひやりと黒曜の目を煌めかせるひじりから滲み出る確かな殺気に、コナンが息を呑む。それに気づいて殺気を散らすと、コナンが冷や汗を滲ませながら深く息を吐き出した。


「色々訊きてーが、とりあえずひとつだけ聞かせろ。…黒羽は、知ってんのか?」


 組織─── ジンの傍にいたこと。ひじりの過去。
 ひじりは首を横に振って嘘をついた。


「私は何も話さない。…でも察しの良い快斗だから、何となくくらいは気づいてるかもしれない」

「そういや、前にひじりの護衛をしてた人を助けたって言ってたな…それがFBI?」

「そう、ジョディさん。彼女は快斗に何も話していないよ。さすがに一般人を巻き込むわけにはいかないからね」


 確かにな、とコナンがため息混じりに頷く。
 そして2人の間に暫しの沈黙が降り、それを破ったのはやはりコナンだった。


「……なぁひじり

「なに?」

「オレさ、今まで何で黙ってたんだとか、騙してたのかとか…言うつもりだった」


 ひじりもそう言われると思っていた。失望されることも、軽蔑されることもとっくに覚悟して黙っていた。許されるとは思っていない。嫌われたって仕方がない。
 だがコナンはひじりを責めず、深く深くソファに沈み込み、ひじりを見て困ったように微笑んだ。
 でもよ、言えねーんだ。そう、ぽつりとこぼして。だってそうだろ、と小さく苦笑する。


ひじりはさ…オレの、姉ちゃん、だからよ」


 そう続けられて、ひじりは息を呑み大きく目を見開いた。
 唇が震えて小さく開く。何を言おうとしたのかも分からず、何度か開閉して、結局何も言えずただコナンを見つめた。そんなひじりを見て、コナンは軽く噴き出して笑う。


「何て顔してんだ、前にオメーが言ったんだろ。だからオレは、ひじりを信じてたんだぜ?」

「…憶えてたんだ」

「バーロ、当然だろーが」


 笑うコナンに手を伸ばし、ひじりは小さな頭をそっと撫でた。するりと細い髪の毛が指を通る。コナンはくすぐったそうに目を細め、子供らしく、やわらかな笑みを浮かべていた。向けられる眼差しはとてもやわらかく、負の感情などどこにも読み取れない。


「…ちょっとごめん」

「え?わっ!?」


 言うが早いか、ひじりは向かいに座るコナンを抱き上げ、ソファに座り直して膝に乗せたコナンを抱きしめた。
 突然の行動に顔を赤くしていたコナンは力一杯抱きしめられて苦しそうな声を上げ、けれど肩口に顔をうずめるひじりを見て動きを止める。涙は流していないけれど、無表情が常のひじりが、はっきり分かるほど眉を寄せて固く目を閉ざしていた。


「…ありがとう。黙ってて、ごめん」

「……いーよ。その分これから色々聞くし」

「ん」


 けれど話せないことはある。それでも、話せるだけのことを、全て話してしまおう。
 大切な幼馴染。可愛い弟分。きっとたくさん心配をかけて、散々振り回して、それでも信じてくれていた。



 ─── だって私は、新一のお姉ちゃん、だからね



 そんなひと言を、今までずっと胸に置いて。
 ありがとう。震える唇から絞り出した心からの言葉は、涙に濡れていなかっただろうか。






 top