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 たとえ相手が、かつての父親の弟子だろうが関係ない。彼女が愛する人を眠らせる毒林檎になり得るのなら、口に運ばれる前に砕くだけ。


(だから、ひじりさんを殺そうとするのなら───)


 誰であろうと、許しはしない。





□ 季節外れのハロウィンパーティ 7 □





 コナンを連れてベルモットが去り、蘭が通報したのか、パトカーのサイレンが響き渡った。
 ベルモットを逃がした現状では本当のことを話しても誰も信じてはくれないだろうし、本命─── ジンも現れずじまいだったため、後は任せたと赤井はジョディに背を向ける。


「それに、俺はまだその茶髪の少女と顔を合わせるわけにはいかないんでな…」


 哀を一瞥し、次いで温度のない鋭い視線が向けられて、ひじりはひらりと手を振る。赤井のどうしてここへ連れて来たと言いたげな視線に、やはり無表情と無言を返した。


「…俺とあいつはベルモットとあのボウヤを追うが、期待はするな」

「頼みます」


 言って、ひじりが赤井に銃を渡す。それを赤井が懐に仕舞ったのを見届け、コンテナの上に身を潜めていた少年は体を起こした。


(さぁて、工藤は生きてるかどうか…)


 素早くゴム弾仕様ライフルをケースに仕舞いこみながら、たぶん死なないだろ、あいつ悪運強いしと内心で呟き、耳栓を外す。
 黒いつばのついた帽子に黒いジャケットとパンツ。皮手袋も靴も黒。全身を闇に溶かす黒を纏った快斗は、掠り傷ひとつ無いひじりにほっと息をついてその場を離れた。

 カルバドスは死んだ。
 赤井が足の骨を折って快斗が体中に仕込んだ武器を奪ったが、袖に仕込んだ小型銃にまでは気づかず、組織の情報漏洩を防ぐためか、止める間もなく先程それで自決した。自決してまで忠誠を捧げるべき存在なのか、その組織は。
 敵とはいえ間近で人が死んで、その呆気なさに奥歯を軋ませはしたがすぐに思考を切り替えたあたり、自分がだいぶ普通からずれてきていることを理解していて深くは考えない。

 ともかく、これで収穫は無しと言える。ベルモットには逃げられ、カルバドスには自殺された。
 ベルモットも暫く姿を隠すだろう。また一からやり直しとなると、赤井の頭は痛むかもしれない。


(ま、オレはオレで、それなりの収穫があったからいいか)


 ひょいひょいとコンテナの上を身軽に飛び越え、コンテナ同士の隙間に飛び降りて赤井が去って行った方向へと走る。
 ベルモットは確かに逃したが、彼女の言葉からそれなりの情報は得られた。

 ベルモット─── 組織は、ひじりを殺せない。

 そして、ひじりの存在を欲しがっている。生きたまま、連れ戻したがっている。

 “フェアリー”と呼ばれたひじり。あの赤いジャケットを纏った男が口にしたものと同じ呼称。
 そこに何の意味があるのかまでは分からないが、ジンはともかく、組織上層部はひじりを極力殺さない方針であると分かっただけ収穫だ。
 もしかしたら、“5年前の事件”は全て仕組まれたものだったのかもしれない。ひじりを手に入れるための。
 きっと彼女もそこに気づいている。ひじりの両親が、組織と何らかの関わりを持っていた可能性があることにも。


(そのあたりを、ひじりさんは知りたがらないだろうけど)


 知る必要はないと、ばっさり切り捨てるだろう。
 両親は死んだ。私は何も知らない。ジンを殺す。それでいいと。
 快斗もそれでいいと思っている。ひじりの生まれや彼女を取り巻く思惑など、彼女の傍にいるために知る必要はない。

 だが、ベルモットは快斗の名を挙げた。
 それは即ち、ひじり自身ではなく、快斗にすら黒の手が伸びる可能性が高いということ。快斗の命を秤にかけさせ、組織側へ手招くことだってありえる。
 考えられなかったことじゃない。可能性はいつだってあった。それが明確になっただけだ。

 コンテナ郡を抜け、離れた所に停められていた赤井の車へと駆け寄って助手席へと素早く乗り込む。既にエンジンをかけて待っていた赤井は、すぐにアクセルを踏み込んで発進した。


「…ジェイ、あのボウヤにつけた発信機は」

「……」


 快斗をJと呼び、Jと呼ばれた快斗はやや俯き加減に無言で小型のモニターを渡す。ひじりに頼んでコナンの上着につけてもらった発信機は、モニター上でちかちかと点滅させながら離れて行く。案内しろ、と言われて快斗は無言で頷き、ライフルが入ったケースを後部座席へ置いた。

 赤井は、黒羽快斗という存在を秘すために、今後快斗のことを名ではなく“J”と呼ぶ。
 全身に黒を纏い、帽子を深く被って顔を隠した無口な青年。名前は不詳。今回初めて、他の捜査官にそう紹介された。
 当然捜査官達は訝しがったが、ボスであるジェイムズと赤井が直々に拾って鍛えたという話を聞いて何とか受け入れたようだ。

 Jは架空の人間。これから、“快斗”ではなく“J”として、快斗は協力していく。
 ジョディは最初から快斗が協力していることを知っているから、今後FBIに協力する快斗のことは“J”として扱い、たとえコナン相手といえど誰にも話してはならないと固く口止めをして。


『Joker─── 使い方次第でどう転ぶか分からない、切り札だ』


 何に対しての切り札なのか、そう言って薄く笑む赤井に快斗は訊かなかった。
 どうでもいい、が本音かもしれない。ひじりを護れるのならば、どう呼ばれようが扱われようが、構わなかった。





■   ■   ■






 結局、コナンは殺されずに済んだ。本当に悪運が強いと言うか何と言うか。
 乗り捨てられた車の近くに来たときにはベルモットは既におらず、どうやら眠らされていたらしいコナンも、目が覚めると阿笠博士の車に乗ってその場から離れたのを見届けたと快斗にメールをもらったひじりは、米花総合病院内の手術室前で安堵のため息をついた。
 手術室にいるのはジョディ。傷は深くはないが、治療し塞ぐために縫わなければならなかった。彼女は暫く入院だろう。


(盗聴器は仕掛けてなかったから、2人が何の会話をしたかまでは判らないけど…どうせ新一は全てを聞きに来る。そのときに訊けばいいか)


 コナンは、ベルモットの口から“ドール”という言葉を聞いて分かってしまったはずだ。
 ひじりはジンのキーパーソン。聡い彼のことだから、以前哀の手助けに入った人間がひじりであることも既に分かっているだろう。

 交わるはずのなかった道が重なった以上、色々と話しても構わない。コナンが組織の深みに足を入れた今、これ以上無言を貫き隠し続ける意味はない。
 だがそれでも、絶対に話せないことはある。快斗のことだ。快斗がこちら側に身を置いていることだけは、いかなコナンと言えども口にできることではない。いずれ勘付かれたとしても、彼の存在は隠し通さなければ。


(…快斗)


 組織は快斗にも手を伸ばす。予想はしていたことだ。だから何度も突き放した。
 けれどひじりのために死ぬと決めて受け入れた快斗を、やすやすと敵の手に落とすわけにはいかない。

 ─── そう、敵。組織はひじりの敵だ。
 快斗をひじりの隣から奪おうとするのなら、容赦はしない。

 組織はどうしてか、ひじりを欲しがっている。何のためか。そんなものに興味はないし知らなくていい。
 快斗が狙われるかもしれない。ならば迎え撃つ。徹底的に叩き潰す。ひじりの目的がひとつ増えた。もっとも、組織はひじりを欲しがっている間は快斗を殺すことはないだろう。
 快斗はひじりの弱みであり楔であるとも言える。それを殺してしまえば、ひじりを縛りつけるものは何もなくなる。幼馴染2人や哀では力不足だと、ベルモットも分かっているはずだ。


(ま、組織に関してはコナンと赤井さん達に任せようかな)


 目的が増えはしたものの、優先順位は変わらない。
 ジンを殺す。いずれ確実に奪いに来るあの男を殺す。
 それだけは、揺るぎない絶対だ。






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