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 ダァン!


 先程聞いたものと違う銃声が、響いた。





□ 季節外れのハロウィンパーティ 5 □





 耳朶を強く打った銃声は、拳銃ではなくライフルのものだ。
 おそらく誰かが撃たれた。撃ったのはFBI側ではなく組織側だろう。だとすれば、ジョディの命が危ない。赤井と快斗はまだか。

 ひじりはコンテナの間を縫って哀の後ろを駆ける。追い抜いてもよかったが、哀に危険が迫ったときに素早く対応するには追走するのが一番だった。
 ジョディのことは心配だが、今のひじりの優先度は哀の方が高い。そしてジョディをすぐに殺すつもりなのなら組織の凶弾で既に事切れているはずだが─── それはコナンが許さない。


 ボン!!


 ひじりの予想を裏付けるかのように、銃声とは全く違う音が響く。
 ほら、やっぱり。ひじりは軽く目を細め、コンテナの隙間を哀に続いて飛び出した。


「さぁ…ジョディ先生の後に、車に乗ってもらおうか」


 哀の変装を解いたコナンが時計型麻酔銃を構えながらベルモットを睨み上げている。ジョディは脇腹を撃たれたのか血を流して自分の車に凭れ、コナンに庇われていた。
 3人共、まだこちらには気づいていない。ひじりはコナンを一瞥して新出の変装を解いたベルモットに視線を据えた。


「警察までドライブしようぜ!」


 ベルモットはコナンがこの場にいることが完全に想定外だったのか、コナンの言葉に目を瞠りつつ呆然と動きを止めている。
 彼女以外の組織の人間も近くにはいるのだろうが、状況から見るに撃てない状況だと察した。おそらく、ベルモットが盾になっているために。


「……!」


 コナンとベルモットが対峙しているのを見て哀は息を呑み、足音を立ててその場に躍り出た。それに、当然3人が気づく。コナンが追跡眼鏡をかけたままの哀を見て大きく目を見開き、ひじりも哀の後ろに現れると、限界まで目を見開いて顔色を変える。
 ベルモットが、うっそりと小さく嗤った。


ひじり、お前…!くそっ、逃げろひじり、灰原!!早くここか───」

「動くな」


 ドン!


 コナンの叫びを聞く素振りも見せず、ひじりはベルモットが動いたのを見て素早く懐から取り出した銃で牽制した。
 こめられた弾は実弾。サイレンサーがついていないため鈍い音が響き、ベルモットの足元を掠めたそれが地面を軽く抉る。同時にひじりの足元にも組織の人間が撃った銃弾が掠めたが、身じろぎもせずひじりは無表情にベルモットをただ見返していた。


「カルバドス、撃っちゃダメよ!この子は…フェアリー・・・・・は、生きて連れ戻さなきゃ」


 フェアリー。かつて、赤いジャケットを纏った男が呼んだひじりの呼称。
 深みを増した黒曜を静かに向けると、ベルモットはコナンを一瞥し、嘲笑うようについと目を細める。


「ああ…ドール・・・って呼んだ方が、ボウヤには分かりやすいかもね?」

「なっ…!」


 その、組織の─── ジンのキーパーソンを示す単語に、コナンが大きく目を見開いてひじりを振り返る。
 しかしひじりは表情を変えない。一切の表情も動揺も無く、ただ銃を構えたまま立っている。
 ベルモットは何がおかしいのか、くすくすと綺麗な笑みをもらした。


「帰りましょう、フェアリー。あなたのいるべき場所へ。もう十分、楽しんだでしょう?」

「……」

「あなたさえ戻って来てくれるなら、誰も殺さないであげる」

「……」


 ひじりは反応を示さない。構えも解かず、表情も変えない。
 けれどベルモットは、さらに綺麗に嗤う。


「何なら、ボーイフレンドの黒羽快斗君も一緒に迎えてあげてもいいのよ?」

「───」


 そこで初めて、ひじりは反応を示した。しかしそれはほんの僅かに見開かれた目と一瞬にも満たない隙と、瞬間的に沸き上がった殺気だ。
 躊躇いなくひじりの指が引き金にかかる。ベルモットはそれを見て薄く笑い、すっとひじりの足元にいる哀へと指を差した。


「Shot!」


 鋭い声に反応して、はっとしたひじりが素早く哀の襟首を引っ掴んでその場から下げさせる。刹那、銃声と共に哀がいた場所を一発の弾丸が掠めた。
 哀を背に庇い、ベルモットに視線を向けたときには、ベルモットは呆然としたままだったコナンの時計型麻酔銃を反転させ、麻酔針を撃ち出してコナンを眠らせていて思わずひじりの眉が寄る。


Good night,babyおやすみボウヤ…」


 組織の人間にしては優しくコナンを車に凭れさせ、痛む傷のせいで何もできなかったジョディが悔しそうに歯噛みする。
 ひじりはベルモットが右足首に隠し持っていた銃を取り出そうとしたのを見て銃口を向けようとしたが、それを妨げるように哀へと数発の銃弾が飛んで来たため、躱すことと銃弾が飛んで来た方へと威嚇のために数発撃ち返しただけで精一杯だった。


And welcomそしてようこそ─── Sherryシェリー!」


 ジャカ、と鈍い音が立って哀へベルモットの銃が向けられ、ひじりは庇うように哀の前に立ち銃口をベルモットへ向け返した。
 ベルモットが呆れたように肩をすくめて笑う。


「フェアリー、邪魔をしないでくれる?それとも、こちら側へ来てくれるのかしら?」

「…哀は殺させない。私もそちらへ行かない。あなたは、ここで捕まえる」

「あなた1人で?」


 できるわけがないとベルモットは鼻を鳴らして笑う。
 哀は丸腰、コナンは眠り、ジョディは手負い、FBIの捜査官は他におらず、まともに動けるのはひじりだけ。
 勝てるはずがない。ベルモットはひじりを殺さないのだろうが、殺さないだけで、傷を負わせて動けなくする可能性だって十分にある。
 それに、ベルモットを捕まえるには、何よりもまずカルバドスと呼ばれた組織の人間をどうにかしなければいけないだろう。


(快斗と赤井さんは、まだか)


 あの2人が来れば、この状況はいくらでも引っ繰り返せる。時計の通信器のスイッチは家を出る前から入れてあるから、こちらの状況は向こうに伝わっているはずだ。


「…ふふ。まぁいいわ。それよりも、シェリー。バカな女…このボウヤのカワイイ計画を台無しにして、わざわざ死にに来るなんて」


 ベルモットに冷笑されながら銃口を向けられ、哀は自分の前に立つひじりを一瞥し、追跡眼鏡を外しながら口を開いた。


「違うわ、私は死にに来たんじゃない…あなたに、挨拶・・に来たのよ」

「……?」


 ふと、ベルモットが眉をひそめる。
 哀は静かな決意に満ちた目をベルモットに据え、ふっと不敵に微笑んだ。


「私を殺したければ、私だけを狙いなさい。私だけを、殺しに来て。私は逃げない。私を護ろうとしてくれる人達がいるから、私は私のまま、あなた達を待ってる」


 阿笠邸の地下室で、あなたが教えたのよ、と哀はひじりに言った。
 面と向かって教えたつもりはなかったのだが、哀は哀なりに、ひじりから学んでしまったらしい。


「でも、私以外の誰も手に掛けてはダメ。そんなことをしたら、私は姿を消すわ」


 ベルモットの顔から、笑みが消えた。






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