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 ピリリリ


 携帯電話が鳴り、届いたメールの差出人を一瞥して開く。





 From:ジョディ先生
 To:工藤ひじり
 Subject:no title
 本文:


 Who's that girl?






 返信は、しない。





□ 4台のポルシェ 3 □





 博士は哀が心配でたまらないらしく、コナンにすぐに事件を解くから動くなと言われたにも関わらず新出へと電話をかけた。
 それにひじりが気づいたのは博士が「新出先生か?」と携帯電話を片手に声を上げたときで、ほんの一瞬ぴくりと指を震わせたひじりはしかし、無言で哀の顔を見つめる。


「こりゃーラッキーじゃ!コナン君が電話したときは留守だったそうじゃから」


 ゆっくり、努めてひじりは呼吸を繰り返す。誰にも悟られないよう、静かに。
 博士は新出に「実は病気の女の子を1人抱えておってのぉ…」と困った声で言い、少し会話をすると電話を切った。


ひじり君、ワシはちょっと警察の人と話をしてくるから、少し待っとってくれ。哀君を新出先生が診てくれるそうじゃ」


 分かった、とひじりが頷くと同時、博士は車を降りて行った。それを見送り、携帯電話を操作して赤井へとメールを送る。新出─── ベルモットが来るのならば、万が一に備えて近くに赤井を置いておきたい。
 同じく快斗にもメールを送る。内容は「哀が風邪をひいて看病することになるから、夜は電話できないかもしれない。知り合いの新出先生に診てもらうつもりだから心配はしないで」。
 2人からはすぐに返信があった。赤井は「了解」の短文。快斗からは、「それでも哀が気になるのですぐに行きますね」。
 赤井の送受信メールをすぐに消して携帯電話を閉じる。元々赤井の名前では登録していないが、念のためだ。


「…ひじり…」

「どうしたの、哀」

「……ここに、いるの…?」


 ぽそぽそと虚ろに呟く哀の手を軽く握る。大丈夫、ここにいるよ。そう呟いて。
 すると哀の呼吸が僅かに落ち着き、博士はまだかと窓の外を見ると警官の1人を連れて戻って来た。


ひじり君、外に出れるぞ。哀君は…寝ておるのかの」

「大丈夫、私がおぶるから」


 ちょっとごめんねと哀に声をかけて背負い車を降りる。警官は哀の具合が悪そうな様子に、やや慌てながらこちらですと促した。


「現場にあった車は動かせんということじゃから、パトカーで送ってもらえることになったぞ」

「それはよかった」


 博士が笑みを浮かべて言い、ひじりも小さく安堵の息をつく。
 少し歩いて離れた場所に停めていたパトカーの助手席に博士が、後部座席にひじりが座り、半ば意識を失っている哀を凭れかけさせる。
 パトカーが発進し、ゲートをくぐって外に出たところで、1台の車が通りかかった。


「Hi!ひじり、何か悪いことでもしましたかー?」


 窓を開けて手を振りにっこりと笑うジョディに、ああいや、と慌てて首を振った博士が事情を説明した。すると、ジョディがそういうことなら自分が送ると笑う。警察も事件があって暇ではないため、知り合いが送ってくれると言うのなら、ということでお言葉に甘えてジョディの車に移ることになった。


「この子がアイちゃんですねー?……ひじりの大切な人、ですかー?」

「はい」


 眼鏡の奥でその瞳を煌めかせるジョディに即答して頷く。
 ジョディはにっこり笑って「では急ぎまショウ!」と促して後部座席のドアを開けてくれた。礼を言って遠慮なく乗り込み、博士も頭を下げながら助手席へと座る。


「送るのは家で構いませんねー?」

「はい。新出先生…知り合いのお医者さんが来ますので」

「OK。道案内をお願いしまーす!」


 博士に道案内を頼み、指示された通りジョディが車を動かす。
 流れていく景色を見ていると、無意識か、何かを探るように哀の手がもぞりと動いて服の裾を掴んできた。ひじりは上着を脱いで哀にかけ、ゆっくりと頭を撫でる。


(大丈夫、大丈夫。何も怖くないよ、だから今はただ、おやすみなさい)










 阿笠邸に戻ると門の前に快斗が立っていて、博士とジョディは驚いていたが、快斗がひじりから連絡をもらって哀が心配で見に来たのだと言うと納得したように頷き5人で家へと入った。
 哀を部屋へと運んでベッドに寝かせる。するとちょうど新出が着いたようで、インターホンが鳴り博士が返事をして部屋から出て行った。
 ジョディも後を追うように部屋を出て行く。ひじりも続こうとしたが、やはり服をがっしりと掴まれて足を止めざるを得なかった。


「お。哀、甘えん坊モード?」

「不安なんだろうね」


 そしてこれから、さらに不安な目に陥らせることになる。分かっていながらそれを阻むことはしようとしない2人は、目を合わせて胸の内で謝罪する。だから決して死なせはしないと、やはり無言で誓って。


ひじり!私哀ちゃんのためにフルーツいっぱいいっぱい切りまーす!なので、キッチン借りますネー?」

「ありがとうございます。好きに使ってください」

「あ、包丁の場所とかオレ教えるんで」


 ふいに部屋へ戻って来たジョディが笑顔で許可を求め、頷いたひじりに続いて快斗が案内を務める。
 他人の家のキッチン事情を知っているとは、さては通い妻ですネー?とジョディにからかわれ、慌てて否定した快斗が顔を赤くしながらキッチンへと下りて行く。そして入れ替わるように、博士と新出が部屋へ入って来た。


ひじり君は会ったことがあったかのう?こちらが新出先生じゃ」

「学園祭のときにちらりと見たけど、面と向かい合うのは初めてかな。初めまして、工藤ひじりです。お噂はかねがね」

「初めまして、新出 智明です。こちらこそ、毛利蘭さんから何度か」


 ひじりは無表情、新出は人好きする笑顔で軽く頭を下げ合う。顔を上げて目を合わせ、博士には見えないよう、ほんの一瞬新出は口角を吊り上げた。


「ええと、確かこの子を診てほしいと…」


 しかしすぐにひじりから哀へ視線を移し、哀がひじりの服の裾を掴んでいるのを見て微笑ましげに目元をやわらげた。それから優しく哀に触れて診ていく。
 元々新出を知らなかったということもあるが、その一瞬もブレない気配では、正体を知らず、匂い・・も感じずにいればひじりは確実に騙されていただろう。


(……ん?)


 ふと、ひじりはどこか既視感を覚えた。
 新出になりすますベルモットに、抱くはずのない既視感を。


(何だろう、この感じどこかで…)


 しかし考えても分からないため、とりあえず頭の片隅に置きながら哀へ危害を加えないかどうか、その一挙手一投足を無言で見つめていた。






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