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 哀が風邪をひいた。ここ最近、色々と気疲れが溜まっていたのだろう。
 有希子にコナンを含めた子供達と共に連れられて向かった現像所から帰って来た昨日の夜に突然熱が出て、その上咳が止まらず、市販の薬を飲ませたがあまり効いていないようで、病院に行かせようにも今日は日曜日で基本的に開いていないため、少し困った状況だ。
 朝食に軽くおかゆを食べさせ、ひじりが切らしていた冷えピタシートを買いに行って帰って来ると、出掛けている間に博士が連絡したのかコナンがいた。


「あ、悪いなひじり、勝手に部屋入って」

「いいよ。お見舞いありがとう、新一」






□ 4台のポルシェ 1 □





 応急処置で額に置いていたタオルを取って冷えピタシートを貼り、咳は軽いものの止まらないのを見て、やはり医者に診せた方がいいだろうかと思案する。


「そうじゃ!新出先生に頼もうか?」


 知り合いで診てくれそうなのは博士が提案した通り新出だが、彼は今ベルモットなのだ。簡単には頷けない─── が、しかし。ひじりの事情を話せない今、表立っての反対はできない。
 ベルモットと引き合わせるのもまた一手か、と無表情に考えていると、既にコナンが連絡していたようで、しかし幸か不幸か留守だったとのこと。新出家で起きた事件の裁判が近いから、それで忙しいのだろうとコナンはこぼす。


「そーいや杯戸町の東都デパートの中に病院があったから、そこに行ってみるか?確か休診日は木曜だったから」

「いいわよ、無理に行かなくても…」


 コナンの提案に咳をしながら哀が答えるが、昨夜からずっと哀を心配していた博士は「とにかく早めに治すに越したことはない」と行くように促す。内心の考えなど微塵も表に出すこともなく「風邪は万病の元だからね」と無表情にひじりがさらに続けた。


「…分かったわ」


 乗り気でないながらも頷き体を起こした哀を着替えさせ、4人は家を出てビートルに乗り込む。
 博士は運転席、コナンが助手席、そして後部座席にひじりと哀。哀に毛布をかけて膝枕で寝かせたひじりは、携帯電話で予約を取るために病院へかけた。


「─── すぐには診察できないんですか?」


 しかし、今日は患者が立て込んでおり、今からだと2時間待ちになるとのこと。運が悪いが、確かに今日は日曜日で、他の病院の多くは閉まっているため患者も多いだろう。それは仕方ない。
 とりあえず予約を入れ、時間までデパート内で暇を潰すことにしよう。


「ちょうど昼時だし、何か食べてから行こうか」

「そうじゃな。あそこのレストラン街には評判の玉子粥を出す店があるから、それを食べれば哀君も少しは元気になるかもしれんしな」


 電話を切って呟いたひじりに博士が同意する。
 寝返りを打って腹に顔をうずめてきた哀の頭を、ひじりが優しく撫でた。










 日曜日とあって、東都デパートには人が多い。当然駐車場は殆どが埋まっていた。それでも何とか空きを見つけ、コナンを先に降ろしてうまく駐車できるよう誘導してもらい、エンジンを止めた車からひじりが先に降りて哀に手を差し出した。


「行こう、哀」

「……」


 哀は何やら物言いたげな目でひじりを見上げたが、結局何も言わず素直に手を取る。コナンがそれを見て「ひじりには素直だな、オメー」と声をかけ、哀はコナンにじろりと一瞥をくれたが、やはり何も言わなかった。


「……!」

「哀?」


 手を引いて歩き出そうとすれば向かいに停められた車を見て哀が動きを止める。
 視線を追った先にはポルシェ356A。しかし、あれは黒ではなく緑。哀の脳裏をよぎっただろう男のものではない。
 だが哀が鋭い目で辺りを見回すとおいおいとコナンが呆れ、ひじりは腰を屈ませて哀にだけ聞こえるように囁く。


「大丈夫、彼らはいない」


 繋いでいた手を離してぽんと軽く肩を叩くと、俯くように頷いた哀がひじりの服の裾を掴んだ。その手と自分の手を繋ぎ直し、ひじりは腰を伸ばしてちらりと向かいの駐車スペースに目をやった。
 ポルシェは1台だけでなく、ひとつ空いてさらに2台。型こそ違うが、どれもポルシェだ。


「こんな近くにポルシェが3台も停まっているところを見ると、きっとポルシェ好きの仲間が集まって、デパートで飯でも食べてんだよ」


 コナンも哀を安心させるように言い、博士と共に入口へと歩き出そうとすれば、先の方からもう1台ポルシェがやって来て空いたスペースに停まった。
 停まったポルシェは911。その車から男2人、女1人が降りて会話しながらそれぞれ自分のものらしきポルシェへと向かう。
 ポルシェ所有者の集団に、物珍しさからかコナンが「ねぇ」と声をかけた。


「ひょっとして、ここに停めてある4台のポルシェ、おじさん達の?」

「あ、ああ…」


 突然声をかけられた小太りの男は、相手が子供であったからか、特に警戒心も抱かず丁寧に教えてくれる。
 緑のポルシェ356Aがいかつい顔をした男、布袋ほていの車。右端のポルシェボクスターが泰山たいやまという女性の車。そして今4人が乗って来たのが、暮木くれこと名乗った小太りの男の車。最後に赤いポルシェ928が、助手席で酔い潰れて寝ている伴場ばんばの車。


「でも何で4人がおじさんの車に乗ってたの?」

「ああ、それはね…」

「俺達はポルシェ仲間でもあり、ゴルフ仲間でもあるからな」

「4人でゴルフに行くときは一旦ここに集まって、暮木さんの車で一緒に行くのよ」


 コナンの問いに暮木が答えようとすれば布袋と泰山がそれぞれ教えてくれた。さらに4人で移動した方が楽しいし高速代も1台で済むと泰山が続け、ここの駐車代もこのデパートである程度買い物すればタダになるしねと布袋が笑う。
 もっとも、伴場はいつもハーフを回るとビールを飲みだして終わる頃には酔い潰れているため、酔いが覚めるまでは買い物せざるを得なくなるとのことだが。


「まぁ日曜はこの駐車場混んでて空いたスペース探すの大変だから、場所取りも兼ねているんだけどね…」

「場所取り?」


 最後に泰山がこぼした言葉に博士が首を傾げるが、3人は答えず談笑しながら歩いて行った。代わりに、高級車であるポルシェとポルシェの間に停める度胸のある者は滅多にいないとコナンが教える。
 利用する側としてはデパートを使わない間は遠慮してもらいたいものだが、今それをわざわざ彼らに言って険悪になる必要もあるまい。


「じゃあ哀君、ワシらも行くと…」

「……」

「哀?」


 デパートへ入ろうと博士が促すも哀は何やらじっと暮木達の背を見つめ、訝ったひじりが声をかけると小さく息をついた。


「私パス。何か気分が悪いから、診察の時間まで車の中で待ってるわ…もちろんひじりも一緒にいてくれるわよね?」

「いいよ」


 踵を返してビートルのドアを開けた哀に手を引かれたひじりは、どうしても玉子粥を食べたいわけでもないしと頷く。
 ひじりが先に乗り込み、哀が続いて乗り込んだところで博士が哀を呼ぶが、哀はそれを無視してドアを閉めた。そのまま、博士とコナンの視線を避けるように毛布にもぐりこんでひじりの膝に頭を置く。ぎゅっと服を掴んでくる哀の頭を撫でて毛布を掛け直すと、小さな声が聞こえた。


「傍に、いて」


 それはたぶん、風邪をひいて弱っているから出た、哀の心の叫びだったのかもしれない。






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