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 今日は雪が降っていて寒い。
 猫はベッドの上で丸くなって惰眠を貪り、哀は風呂、ひじりと博士はひと仕事を終えてリビングで寛いでいた。
 新聞を広げてコーヒーをすする。熱い液体を嚥下してひと息ついたとき、外に小さな気配を感じて窓に目を向けた。
 外は暗く、雪が降っている。門を開けて阿笠邸へやって来るその小さな影はインターホンも鳴らさずに玄関を開けた。


「博士、いるか!?」

「おお新一君!ちょうどよかった!久々にワシの新発明できておるぞ!!」


 ソファから立ち上がった博士がコナンを出迎え、ついでに予備の追跡眼鏡も作っておいたという博士の言葉を遮り、コナンは雪を払いながらひじりと哀のことを尋ね、博士が哀は風呂、ひじりはリビングにいると答える。
 ひじりもその問答が聞こえていたので無言で目を向け、些か固い顔で振り向いたコナンと目を合わせた。





□ 暗黒の足跡 1 □





 哀は風呂で今この場にいないからちょうどいいらしいが、ひじりはここにいる。コナンは右ポケットに手を突っ込んだまま、ひじりから目を逸らして博士の方を向いた。


「博士、ちょっとこっち来てくれ」

「な、何なんじゃいったい」


 コナンのひじりに対するいつもとは違う態度と雰囲気に戸惑いながら、博士は腕を引かれるまま地下の研究室へと下りて行く。それを見送ることなく、視界から2人が消えるとコーヒーをすすり、ひじりは再び新聞に視線を落とした。


(…ま、そうなるだろうね)


 コナンの固い態度が悲しくないわけではない。けれどそれを覚悟して全てを押し黙っているのだ。植えつけられた猜疑心は完全には晴れていないだろう。
 そしてコナンがやって来てひじりを外させたとなったら、間違いなく組織関連。
 何か手掛かりのひとつでも掴んだか。盗み聞きしてもいいが、それはやめておこう。


「あら、博士は?」

「新一とこそこそ下に行ったよ」


 新聞を流し見しているうちに哀が風呂から上がり、そう、と答えてちらりと地下へ続く階段に目をやる。


「あなたのこと、疑ってるみたいね」

「むしろ今までよく疑わずにいたものだと思うけど」

「あら、大好きな弟分に疑われてても冷静なのね」

「悲しくはあるけど、譲れない気持ちの方が大きい」


 ひじりの淡々とした声音に哀が肩をすくめる。まったくそうは見えないんだけど、と呆れたように呟かれた。


「でもいずれ、工藤君はあなたの過去を知ることになるわ。そのとき、きっと彼は怒って、悲しんで、傷つくでしょうね」

「分かってるよ。それでも、私は決して口を開かない。“私の事件”に、それがたとえ新一でも安易な介入は許さない」

「…そう」


 ひじりはコナンを“こちら側”へ来させない代わりに、コナン側へも軽率に立ち入ろうとはしない。
 それはひじりが決めたルール。請われればできる限り力を貸す。そうでないなら、蚊帳の外で傍観者であろうとする。だから、今回も盗み聞きのような真似はせず、黙って新聞へ視線を落としている。
 ひじりから視線を外し、哀は無言で地下へと下りて行った。やはりそれを見送ることなく、新聞をたたんでソファから立ち上がったひじりは自室へと引っ込んだ。










 コナンと博士が出掛け、日付も変わって暫く。
 ひじりは微かに聞こえてくる電話のコール音で目を覚ました。哀を起こさないよう極力音を立てずに部屋を出て、トゥルルル、と鳴り続ける電話の受話器を取る。


「はい。阿笠です」

『あ、こちら群馬県警ですけど』


 群馬県警。コナンと博士が出掛けて、いったい何をやらかしたのか。
 山村と名乗った刑事に聞いてみると、博士の車がパンクしたため後でディーラーに取りに来てもらうことになっていたが、そのまま山の中に放置していては現在逃走中の強盗犯に悪用されかねないので、群馬県警にレッカー移動することになったらしい。なので、後程取りに来てもらうよう伝えてくれ、とのこと。


「分かりました、伝えておきます」


 電話を切り、いったいこんな遅くまでどこに、と考え、すぐに寝る前のコナンを思い出した。
 コナンが持って来た手掛かり。組織関連だとは思っていたが、もしやそれは、ジンとウォッカに繋がるものだったか。コナンはあの2人に関すると猪突猛進の如き行動力を発揮する。


「…ひじり?」

「ああ、起こした?」

「電話の音でね。それで、誰からだったの?」

「群馬県警の山村刑事。車を預かるから後で取りに来てくれって」


 背後に哀の気配は感じていたので驚かず振り返って簡潔に述べると、哀はふぅんと目を眇めた。


「どうせまた工藤君にそそのかされて、何かの事件に首を突っ込んでいるのね。まったく…寝る間を惜しんで人の粗探しとは、どこが面白いのかしら、探偵なんて…」

「組織関連だろうね」

「!」


 ひじりの淡々とした言葉に、目を見開いて哀が振り返る。ひじりは無表情を返し、予備の追跡眼鏡を手に取ると無言で歩き出して部屋へと戻った。


「朝になっても戻らなかったら、これで捜そう」

「いいの?こうしている間に彼らが危険な目に遭ってるかも…」

「夜中だから警察は簡単に動かないし、コナンは子供、博士は一般人。余程危険な目に遭うような真似はしないはず」


 たぶんね、と淡々と付け加える。
 FBI─── 赤井なら動いてくれるかもしれないが、今自分で言った通り、コナンはそうそう下手な真似はしないだろう。
 が、あの子は所々詰めが甘かったりするしなぁと内心で軽く撤回する。組織に殺されては困るので、連絡くらいはしておくか。


「哀は先に寝てていいよ」

「……」

「…起きててもいいけど」


 じっとこちらを見つめてくる目に言い直し、ひじりは追跡眼鏡のスイッチを入れる。現在位置は─── そう遠くない。東京へ戻って来ている。この速度は車か。


「はい、哀。新一が止まったら教えて」

「え、ちょっ…」

「ごめんね。今、ここから先には、哀を踏み込ませるわけにはいかない」


 追跡眼鏡を哀に渡し、頭を軽く撫でて携帯電話を手に部屋から出る。2階の窓から外を眺めながら、ひじりはある番号へと電話をかけた。


『……何だ。この夜中に』

「少し、お知らせしたいことがありまして」


 寝ていたのか少し掠れた不機嫌そうな声に、ひじりは常と変わらない声音で用件を述べるため、口を開いた。






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