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「快斗君、君はXXXが何の意味か、知ってマスカー?」

「あ、はい。キスマークですよね、確か。ひじりさんがメールでよく最後につけているんで」

「有希子さんに教えてもらいました。愛情の印だと」

「2人共相変わらずラブラブですねー!とってもとっても良いことデース!」





□ 侵入 2 □





 今夜、ベルモットの部屋に潜入する。赤井にそう通達されたのが昨日。
 新出扮するベルモットは、新出としての所用で今夜出掛け、明日まで戻らないらしい。だが、念を入れてベルモットの監視にも僅かながら人を割いている。新出医院周辺にも組織の人間がいないことは確認済みだ。

 そして人も寝静まった深夜、新出医院から少し離れた場所へ1台のバンが停まり、快斗はその車内でゆっくりと深呼吸を繰り返した。
 運転席と助手席以外の座席を取り払い、代わりに様々な機械や道具類が置かれた後部座席。そこに腰を据えた快斗の格好は、全体的に黒い衣服の下に防弾チョッキを着込み、懐には実弾入りの銃。首には暗視ゴーグル。同じく黒い帽子を目深にかぶろうとしたところで、横からひじりが顔を覗きこんできた。


「快斗」

ひじりさん」


 今回、ひじりは赤井と共に待機兼指令組。
 ジョディが持ったデジカメと、快斗の暗視ゴーグルに仕込んだ小型カメラから送られてくる映像が車内に据えられたモニターへ送られ、ひじりが手に持つインカムから指示を飛ばしてもらうことになっている。さらに、見つからないよう室内へ盗聴器を仕掛けるのも彼の仕事だ。

 震えはない。少し緊張するが、大丈夫。
 いつもキッドをこなすように余裕をもって、けれど必要な緊張は解かず、腹を据える。
 相手はあの組織。失敗は許されない。


「…快斗。手を貸して」

「はい」


 突然手を差し出されて快斗が素直に右手を重ねると、ひじりは無言で右手ではなく左手を取って両手で包み、軽く力をこめた。
 ゆるりと手を引かれ、ひじりの顔が視界から沈み快斗は無意識にそれを追う。薬指に、やわらかい何かが触れた。


「大丈夫。…私達は、死すら共に」

「……」


 ふと、快斗の脳裏に以前ひじりに頼んだ“お願い”が蘇った。
 帝丹高校の学園祭。ひじりが蘭を励まし送り出したときの“おまじない”。それを、自分にもと。
 だが、今までキッドとしてひじりと協力し合うことはなく、また直前に一緒にいることもなかったため、その機会を逃していた。
 だから快斗でさえ、忘れていた。けれどひじりは覚えていて、それを違えることなく今叶えてくれている。


「…ひじり、さん」


 湧き上がる喜びが喉を詰まらせる。快斗の声に応じてひじりが顔を上げ、やわらかく目を細めて頬を緩ませた。
 今すぐ彼女を掻き抱きたい欲を抑え込む。代わりにひじりの左手を取って膝をついた。


「待っていてください。あなたのために、必ず成果を」


 ひたりと目を合わせて言葉を紡ぎ、同じように左手の薬指─── そのシンプルな指輪に唇を落とす。
 それは誓いだ。たかが侵入程度で大袈裟だと呆れられそうな、しかし2人にとって大真面目な約束。
 ひじりが待ってくれている。死は共にある。たとえ離れた場所にいようと、結末を同じく迎えられるのなら。
 何を恐れることがあるだろう。あるわけがない。恐れることは、ひじりが自分を置いていくことだけ。


「待ってるよ、快斗」

「…はい」


 ひじりがそう言って小さく微笑むから、快斗もひじりが好きだと言った笑みを返した。
 失敗はしない。全ては彼女のために。そして自身のために。大丈夫、彼女はここにいる。
 立ち上がり、帽子をかぶり直してひじりから受け取ったインカムをつける。暗視ゴーグルや他の道具に問題がないか確かめ、ゆっくりと息を吐き出した快斗は赤井とジョディを振り返った。


「……見ているこっちが恥ずかしいな」

「シュウ、2人は真面目なんだから茶化しちゃダメ」

「茶化したつもりはない」


 ばっちり見ていた赤井とジョディが口々に言い、今更気づいた快斗が照れて頬を掻いた。
 とにかく準備はできたので、快斗とジョディは車を降りて目的地へ向かう。
 暗視ゴーグルからモニターへ送られてくる映像を、車内に残ったひじりと赤井が見つめた。










 場所は変わり、とあるマンションのジョディの部屋。そこに4人はいた。
 既に快斗とジョディは私服へと着替えていて、部屋に据えられたローテーブルを囲み4人はそれぞれ難しい顔をしている。
 テーブルの上には5枚の写真。ジョディがデジカメで撮り、赤井とひじりのもとへと送られてきたそれをプリントしたものだ。


「…これ、毛利さんとコナン君よね。どうして彼女達が?それにこの人は…」


 ぽつり、ジョディが口を開く。
 そう、5枚の写真の内、2枚はひじりの大切な幼馴染。蘭とコナンだ。
 そして、大きく×印が書かれ、その中心─── 額にダーツの矢が刺さっていた女もまた、ジョディ以外の人間は見覚えがある者。
 宮野志保。コードネームはシェリー。組織の裏切り者だ。


「ベルモットは、きっとこの人を殺すつもりなんでしょうね。オレとひじりさんの写真もあったことは、不思議じゃないですけど」


 快斗が言う通り、残る2枚にはひじりと快斗が写っている。正確に言えば、1枚にはひじりが長い髪だった頃の姿が、もうひとつには隠し撮りだろう、最近のひじりが快斗と並んで写る写真だ。
 志保はともかく、それ以外に関してはただ写真を撮られていただけならば特に不思議ではない。ひじりの身辺調査の結果、ひじりの大切な者達と判断して撮っておいたものだと思っただろう。
 しかし、問題はそれぞれの写真に書かれている文字だ。蘭には「Angel」、コナンには「Cool guy」。そしてひじりには「Fairy」、快斗には「KID」と、それぞれ草書体で書かれていた。


「でも普通、コナン君が子供kidで快斗君がguyじゃないの?」

「……」


 ジョディの言葉に、誰も何も応えなかった。
 ベルモットは、気づいている。快斗が怪盗キッドであるということに。
 ひじりをフェアリーと称していることに関しては、あのルパンと名乗った赤いジャケットの男と通じているのかと勘繰ったが、ルパンの言うことを信じるならば、おそらくベルモットが─── あるいは、組織内部の一部が、元々ドールではなくフェアリーとひじりを称していたのだろう。


(ベルモットは…何を考えてる?)


 コナンをkidではなくguyとしているのなら、ベルモットはコナンの正体が工藤新一であると確信していることになる。
 だが、それならばどうしてジンやウォッカは現れない。ひじりが釘を刺したから?
 ─── 違う。ベルモットが、それを組織の人間に伝えていないからだ。


(予想以上に後手に回ってる。そして、ベルモットの意図がさらに読めなくなった。あなたはいったい何を考えている?)


 ひじりを狙っているのだという単純な意図だけではない。
 ベルモットは、哀が幼児化していることに気づいているのだろうか。
 以前のバスジャックのときは姿を隠していたようだし、学校の定期健診では休んでいた。
 おそらくまだ、ベルモットに見つかっていない。それも時間の問題だろうが。


「…今言えることは、ベルモットの狙いがこの女だということ」


 “この女”が哀だと分かっていながら、それを一切表に出さず赤井は淡々と写真を指で叩く。
 ひじりの件も快斗の件も、コナンや蘭についても、とりあえず今のところは横に置いといて問題ないだろう。もしベルモットが標的を変更してこちらに仕掛けるようなら、迎え撃つだけ。


「なら、何としてもベルモットより先にこの人を見つけなくちゃいけないわね」


 もう見つかってますけどね、とひじりと快斗の声が内心でかぶる。
 哀の安全のためにはベルモットに見つからないでいる方が良いことは明白だ。だが、ベルモットを確実に捕えるためには─── 一計を講じなければならない。
 そのために色々と話し合わなければならないだろう。主に哀について。


(……ごめんね、哀)


 護ると言った。それは違えるつもりのない約束だ。
 非情だとは分かっている。だが、たとえベルモットの銃口が哀に向けられたのだとしても。
 ひじりと、快斗と、赤井と。ジョディも他のFBI捜査官もいる。殺させたりはしない。
 面と向かって謝ることはないだろうから、ひじりはぽつり、心の中でもう一度だけ謝罪した。






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