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 ノアズ・アークの一件が片付き、少し時間ができたからと、工藤邸にて優作と有希子は快斗との対面を果たした。
 内容は特筆すべきものでもなく、有希子と快斗で盗一との思い出話に花が咲いたり、優作がにこにこと笑いながら世間話程度の会話をしたりと、予想外にも終始和やかなお茶会だった。

 最後に、優作は「ひじり君をよろしく頼む」と快斗の肩を叩き、ひじりの方を向いて「何かあったら連絡するといい」と笑顔を残した。
 それがどこか意味深に聞こえたのは勘繰りすぎだろうか。
 しかし相手は工藤優作。かつて初代怪盗キッドと相対していた男だ。侮れない。


「私は君達の仲を反対するつもりはない。たとえ君達が何者であっても、私達は出来得る限り君達の力になると約束しよう」


 訂正。やわらかに微笑みながらも不敵な光をその目に宿してそう言った優作は、おそらくひじりと快斗を取り巻く殆どを把握している。
 それでも明確なことは何も口にしない優作に内心で感謝しながら、2人は工藤夫妻を乗せた車を見えなくなるまで見送った。





□ 侵入 1 □





 さて、一難去ってまた一難とはこのことだろうか。
 正確に言えば、それに関しては新たな進展─── 動きが見られた、ということだが。


「事件の調書が?」

「ああ、ほぼ間違いなくベルモットだ」


 3人での鍛練を終え、赤井と共にジョディのマンションへとやって来た2人は、警視庁から毛利小五郎が手掛けた都内の事件の調書全てが盗まれ、先日送り返されていたことを赤井から聞かされた。
 消えたのはバスジャックが起こった日。何のために盗んだのかは分からないが、これから暫く護衛や監視も兼ねて毛利探偵事務所の周りに張り込むことになると言う。


「ベルモットが調書を盗んだのは…」

「…新出医師になりすまし続けるため」


 ベルモットの意図をひじりと快斗が予想して呟き、おそらくなと赤井がため息混じりに返して頷く。
 新出には裁判が控えているから、それを乗り切るためには新出が関わった事件の詳細が必要となる。しかし、それに関する調書だけを盗んでは不審に思われたりといらぬ目が向く。だから全てを盗み出したのだろう。木を隠すには森の中、と言うのは少し違うだろうか。
 だが、わざわざ調書を送り返した理由は何だ。なぜ送り返す必要があった?もう調書が必要なくなったのなら、燃やすなり何なりで処分してしまえばいい。そうすれば足がつく恐れもない。


「…後手に回らざるを得ない状況か」


 快斗の呟きに、赤井とジョディが頷く。
 ベルモットの意図がはっきりと見えない以上、先手を取ることは難しい。
 しかし、その中でぽつり、ひじりが口を開いた。


「私を、おびき出そうとでもしているのかな」

「…ひじり、さん?」


 ひじりは顔を上げ、正面に座る赤井とジョディ、その2人の方を向き─── けれどそこではないどこか遠くを見るような目で再び口を開く。


「新出医師とは面と向かって話したことはないけど、私も何度か小五郎さんの事件に関わったことがある。だからベルモットは当然私の…“人形ドール”の存在に気づいている。ジンには私以外に手を出さないよう釘を刺したし、向こうもウォッカあたりが根回ししてるだろうけど…ベルモットは、簡単に他人の言うことを聞くような人じゃあ、ない」


 ひじりの黒曜の目が、その深みを増す。
 ベルモットはまさか、ひじりを殺そうというのか。毛利小五郎が関わった事件の調書を盗んで送り返したのは、いつでも手を出せるという暗黙のメッセージか。


「ありえるだろうな」

「そんなこと、させません」


 赤井がひじりの言葉に頷き、快斗が拳を固める。普通の、いち男子高校生がするべきでない鋭い光を目に宿す快斗に、赤井が忠告を投げつけた。


「忘れるな。ひじりの存在が向こうに気取られているということは、当然お前のことも分かっているということだ。常にひじりの傍にいるお前とて、殺される可能性がゼロというわけではない」

「分かってます。だからオレは、簡単に殺されないために今まで鍛練を積んできたんです」

「……」

「オレは簡単に殺されてやらないし、ひじりさんに手出しもさせない」

「……間違っても殺すなよ」


 ともすれば殺意すら滲ませそうな快斗に赤井が釘を刺し、彼女は標的ではありませんからと頷かれる。淡々と言い切り、迷いや躊躇いの欠片も見せないそこが恐ろしいのだと、快斗を直に鍛えて育てた赤井は僅かに眉を寄せ、表情に出さないよう内心で肝を冷やす。
 時折、赤井は思う。もしかしたら自分は、とんだ怪物を育ててしまっているのではないかと。
 赤井でも今は制御できている方だが、一番の手綱とも言うべきひじりを喪ったとき、快斗は確実に暴走するだろう。そしてそれは、ひじりとて例外ではない。むしろ今一番恐ろしいのがひじりだ。
 多少は2人を可愛く思っている赤井は、そうさせないためにひっそりと腹の奥に力をこめた。


「ああそうだ。毛利探偵といえば、その家に居候している…江戸川コナンとかいうボウヤだが」


 ふいに赤井が話題を変え、鋭い視線を向けられたひじりと快斗はしかし表情を一片も変えなかった。その様子に目を細め、以前、ジェイムズを迎えたときにもちらりと話題に上った子供について赤井は改めて問う。


「訊いておこう。何者だ?あのボウヤは」

「…新一の遠い親戚。私の弟分、ですかね」

「ほぉ」


 コナンがイコール新一であるというところまでは赤井は気づいていないが、哀が宮野志保が組織の薬で幼児化した姿だと知っている。新一が消えた時期とコナンが現れた時期は一致するため、可能性のひとつとしては考えているはずだ。そう考えた2人だが、その答えを口にすることはない。


「お前の弟分は、たった1人だと思っていたがな」

「……」


 確信を突きかける言葉に、やはりひじりは無言を返す。快斗もポーカーフェイスで応えない。
 ジョディは、静かに腹を探り合う3人を見て首を傾げた。


「あの子がどうかしたの、シュウ?確かにひじりと仲が良くて、頭が切れる子だけど…」

「…いや。何でもない」


 そのやり取りで、ひじりと快斗の2人は、赤井がジョディへ哀の幼児化について話していないことを察した。
 快斗がキッドであるということを赤井とジェイムズの2人だけで秘しているように、情報をあまり多く開示しないようにしているようだ。
 情報を多くの人間が共有すれば、それは必ずどこからか漏れ出る。どれだけ気を張り巡らせ、箝口令を敷き、固く口を閉ざさせても、共有する人間が多ければ多いほど、第三者へ漏れる可能性は高くなる。だからこそ、赤井は現時点での必要な情報しか仲間にさえ知らせていないのだろう。
 薄情なのか賢いのか。ひじりが評するならば後者だ。赤井同様、今も口を閉ざしているように。


「とにかく。ベルモットの意図がどこにあるのかが読めない以上、一層身の回りに気をつけておけ」

「毛利探偵繋がりで、蘭さんやコナン君達については私の方でも気を配っておくわ」

「お願いします」


 軽く頭を下げるひじりに、任せてとジョディが笑みを見せる。
 赤井がコップのお茶をひと口飲んで唇を湿らせ、それと、と別の用件を口にした。


「今度、ベルモットが不在のときを狙って部屋に忍び込む。そのときはお前達にも手伝ってもらうぞ」

「じゃあ、侵入は快斗で」

「そうだな、お前が適任だ。ジョディと組め」


 キッド業で侵入など慣れたものだろう。
 口にはしなかったひじりと赤井の言葉の裏側も容易に読み取った快斗はすぐに頷き、快斗がキッドとは知らないジョディは少し不安そうにしたものの、赤井が推したこともあり、そういう訓練もしたのだろうと自己解決したようで「よろしくね」と微笑んだ。






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