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 ※黒羽邸の構造は「怪盗キッド シークレットアーカイブス」を参考にしています。



 城は焼けてしまったが全員無事に脱出でき、エッグも夏実のもとへと戻った。
 ひじりは急に飛び出して行ったことで蘭にものすごく心配され、護るって言ったじゃない!と泣かれかけたが何とか宥めすかし事なきを得た。

 もう遅いため事情聴取はまた後日ということで解散となり、阿笠邸に戻ったひじりは、一度風呂に入って煤をきれいに落とすとパジャマではなく私服に着替えてこっそり家を抜け出した。
 博士は疲れて早々に寝てしまったからたぶん気づいていないが、同室の哀は気づいているだろう。それでも何も言わず寝たふりをして見送ってくれるのだから、彼女には感謝である。





□ 世紀末の魔術師 11 □





 阿笠邸を出ると小雨が降っており、傘を差して歩き出したひじりは電車に乗って江古田まで行き、とある一件の家に着くと門扉に寄りかかって家主の帰りを待った。この家には母親と少年が住んでいるが、現在母親は外国に行っていて不在なことを知っている。


「……ひじりさん?」


 どれだけ待っただろうか。ひじりは唐突にかかった声に顔を上げ、傘も差さずにいる新一の姿をした少年に目を細めた。
 門扉から背を離して正面から向かい合う。どうしてここに、と戸惑うように訊かれて、ひじりはにこりともせず答える。


「追いかけてほしいって、言われたから」

「あ…」


 そうだったと目を瞬く彼に歩み寄り、きちんとセットされた髪をぐしゃぐしゃに掻き回した。すると、雨でワックスが取れかけていたこともあり髪は元の癖毛を取り戻し、満足そうに頷くと傘を放り出して両腕で快斗に抱きつく。勢いのあるそれに、快斗は身を竦ませたが倒れるようなことはなかった。


「つかまえた」

「……やっぱり、ひじりさんには敵わない」


 笑み混じりのため息には、どんな意味があったのだろう。だがひじりがそれを訊くことはなく、快斗も無言で抱き返してくれた。
 小雨が2人を打ちつけるが、寒くはない。互いの体温に暫し酔いしれた。


「…体が冷えますから、家に入りませんか」

「うん、お言葉に甘えて。そういえば快斗の家に入るのは初めてだね」

「そういえばそうですね」


 工藤の家よりは狭いですよ、と言いながら快斗は門を開け、玄関の扉の鍵を開ける。
 促されてひじりが先に入ると、快斗が後から入って玄関の明かりを点けた。明るくなって目に入った家の中は、母子おやこ2人で住むにしては、そして一般家庭のものよりかはずっと広い。
 快斗が軽く説明するに、3階建ての黒羽邸は1階が快斗と母親の部屋、2階がキッチンやリビングに洗面所と風呂場と、どうやら少し変わった造りをしているようだ。

 ブーツを脱いで玄関を上がる。快斗は揃えて並べられたブーツを見て、すごい威力でしたねと初めて目の当たりにした性能に興味深そうだった。
 だが快斗は質問攻めにすることはなく2階の風呂場へ案内し脱衣所と浴室の電気を点けて、そこでひじりはくるりと振り返って小さく意地悪げに目を細めた。


「一緒に入る?」

「んなっ!い、いいいいいえ遠慮しますすみませんっ!!!」

「ほら、私が先に入ると快斗が冷えるから」

「むしろ今冷えさせてください!!」


 顔を真っ赤にしながらもタオルはここで着替えは後で置いときます!と言うとすぐさま脱衣所を出て行った。冗談でからかったわけではなく8割方本気だったのだが、やはりまだ快斗には刺激が強いか。
 服を脱いで浴室に入り、蛇口をひねって熱いシャワーを浴びて息をついてううんと無表情に大真面目に悩む。


(優しくしてくれてるのは分かってるんだけど、生娘でもないんだからもう少し積極的になってもいいのに)


 あ、快斗が童貞か。
 さらりと事実を内心で呟き、自分が年上なこともあるのでこちらからひと肌脱いでやろうと決意する。
 確か前に哀が読んでいた雑誌内に「ドキッ☆愛しの彼を悩殺しちゃう10の方法♡」という欄があって、彼シャツなるものが有効だったと書かれていたような。ただ着るのではなく、ズボンは穿かずに上だけだったか。


(快斗もキッドも、もうつかまえてしまったんだから)


 シャワーを頭から浴びながら、内心で笑う。
 四葉のクローバーの花言葉は「私のものになって」。
 快斗を受け入れたそのときから、ひじりは快斗のものだ。そして同時に快斗もまた、ひじりのものだ。

 優しい優しい王子様。真綿のようなやわらかいぬくもりに包んで大切にしてくれていることは分かっている。
 けれど快斗は物語の中の王子様ではなく、現実はただの17歳の男だ。どんなに大人びていても、そう繕っても、まだ大人になりきれていない子供。
 だから無理に我慢しなくていいのに。たまに乱暴に扱ったとしても、この体はそう簡単に壊れたりしない。
 そんなことは分かっていても大切にしてくれるのだろう。
 愛しい愛しい、愛する少年。けれど彼は忘れていやしないだろうか。

 快斗が男であるのなら、ひじりもまた、1人の女であることを。






 借りた服に着替え、ここで待っててくださいと1階の快斗の自室に案内されたひじりは、快斗が風呂に行ったため1人でベッドに腰掛けていた。
 身に纏っているのは男物のシャツで当然快斗のものである。ズボンはジャージ。
 ひじりは小柄ではないが身長差や体格の違いのせいでやはり少し大きく、快斗が出て行って少しすると雑誌の通りにズボンを脱いだ。それでもシャツが少し大きめであるため超ミニスカ状態でギリギリ下着は見えない。
 すらりと伸びた足をベッドに寝転がりながらぱたぱたと動かし、枕に顔をうずめたひじりは肺一杯に快斗の匂いを吸い込んだ。


(あー…落ち着く)


 安心できる快斗の匂いが詰まった自室でまったりしていると、疲れもあって眠気すら漂ってくる。
 横になりながらぼんやりと部屋の中を見渡してみると、ベッド、勉強机、本棚にはマジックについての本だらけ、そして壁に盗一の写真が大きく引き伸ばされて収めるパネル。それを見て、古い記憶の中の盗一が鮮やかな姿を取り戻した。


「あなたは…お父さんと、いったいどんな関係だったんですか」


 小さなひとり言に、盗一は微笑んだまま。当然答えは返って来ない。
 答えを期待もしていなかったから、ひじりは壁の方を向いて瞼を閉ざした。
 うとうとと意識が微睡む。暫く心地好い微睡みに身を任せているとふいに包みこむように頬に何かが触れ、唇にやわらかいものが触れる。それは二度、三度と小さくリップ音を立てて続けられ、薄っすら目を開くとぼやける視界で快斗が笑った、気がした。


ひじりさん」

「…、…っ」


 やわらかく熱のこもった声が耳朶を打ったと思えば、今度はやや乱暴に口付けられる。
 力の入ってない唇をすんなり割り、ぬるりとしたものが口内に滑り込んできた。それは歯列をなぞってひじりの舌を絡め取り、口内で小さく粘着音を立てる。
 自分の体を閉じ込めるようにベッドについた快斗の腕に指をかければ、快斗は優しく指を絡めてベッドに縫いつけた。
 舌が引きずり出されて甘噛みされ、こんなときも優しいんだと頬を緩めると、唇を離した快斗が少し溢れた唾液を舐め取りむすっと眉をひそめて見下ろしてくる。


ひじりさん、あんまりオレを煽んないでくれませんか」

「…どうして?」

「せっかく我慢してるのに、歯止め利かなくなる。というか、何でズボン脱いでるんです」

「うん、前見た雑誌で彼氏を悩殺する方法ってのを見て」

「もういいです」


 素直に答えるひじりに頬を赤くして遮り、快斗は頭を抱えた。
 シャワーを浴びて戻ってくればひじりはベッドで枕に顔をうずめて目を閉じながらもどこか幸せそうな顔をしているし、きちんと揃えたはずのズボンは脱がれて白く無駄な肉のない足はあらわになって目のやりどころに困るし、横になっているせいで大きくあいた襟ぐりからはそこそこの大きさをもった胸の谷間は見えるしで、くらくらと眩暈を感じたと同時に湧き上がった情欲に従って今までしたことのないキスをしてやったのだが、当のひじりはむしろしてやったりと目を細めて満足そうだ。

 深呼吸して冷静を取り戻そうとする快斗を見上げ、ひじりはそれではつまらないと快斗の頬に手を伸ばす。
 シャワー上がりだからか、少し湿り気を帯びた頬をゆっくりと撫でてやると、だから、と制止の声を絞り出された。しかしひじりはやめない。片方の手はまだ縫いとめられているが、もう片方は自由なのだ。
 目許から顎へ、つぅっと指を滑らせる。赤い顔で眉間にしわを1本増やした快斗に、ひじりは小さく笑った。


「欲しいって、快斗言ったでしょう」

「え…」

「全部欲しいって言ったくせにいつまで経っても取りに来ないから、私からあげようと思って」


 ひじりはつかまえたのだ。だから逃がしてやらない。
 あの日、快斗の誕生日。指輪を渡して、我慢しなくていいとひじりは言って、快斗は欲しいと本音を吐露した。なのに快斗は変わらず優しいままで、たまに強く抱きしめたりするけれどそれくらいで。
 じれったいのだ。ひじりはいつだって受け入れる覚悟はあるのに、欲はあっても快斗は動こうとしないから。“人形”だったひじりを追って来たときのようになりふりかまわずにいたって、全然構わないのに。
 快斗はぽかんと口を開けていたが、ひじりの言葉を理解するとじわじわと耳まで真っ赤にし、絡めた指を強く握って上目遣いに覗きこんできた。


「……いいん、ですか」

「ここまでさせといて、これ以上何を言わせる気?」


 据え膳どころではない。自らまな板に飛び乗ってびちびちと活き良くうまそうに跳ねてやったのに、手をつけなければいっそ怒る。
 俯いて髪で表情を隠す快斗の頬を愛おしそうに撫でる。ゆっくり上げられた顔は赤みが差したままだが、ひじりを真っ直ぐに見つめてくるその目には、確かな情欲が灯っていた。


「優しく、します」

「うん」


 やっぱりどこまでも優しくて、ひじりは電気を消すということにまで気が回らない快斗にしかし指摘することなく、降ってくる唇を微笑みながら受け入れた。
 外では雨が降りしきる音がするけれど、2人の耳には届かなかった。



 世紀末の魔術師編 end.



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