93
ぴったりと合わさった緑のエッグを包む赤いエッグには、頭頂部とその下をぐるりと一周してガラスがはめられていた。
確か、緑のエッグにも赤いエッグと同じ位置の内側にガラスがはめられていたはず。それに加えて、喜市の部屋と王冠に組み込まれた光の仕掛け。
卵のような部屋の中を見回すと、中央に腰より低い高さの台があった。その中心に何かを入れられるだけの細い穴があいている。
(もしかすると、あのエッグには───)
ひじりが思いつくより早く、コナンがセルゲイのもとへと駆け出した。
□ 世紀末の魔術師 9 □
コナンがセルゲイからエッグを受け取り、白鳥が手伝いを申し出てコナンに言われた通り懐中電灯を用意する。
2人は
ひじりが佇む傍の台に近づき、白鳥がライトを細くして台の細い穴に入れてコナンはセルゲイと青蘭に蝋燭の火を消すよう指示を飛ばした。
戸惑いながらも2人が指示に従って蝋燭の火を消す。台の周りに全員が集まって来た。
「いったい、何をやろーってんだ…」
「まぁ見てて」
小五郎に短く返し、コナンは台にエッグを乗せて離れた。ライトの光に照らされ、エッグの外側の装飾に光が走る。そしてぼんやりと光り出したと思ったら赤と緑のエッグが透け、中の金の模型がネジも巻いていないのにせり上がった。あの王冠同様、エッグの中にも光度計が組み込まれているのだろう。
皇帝の模型が手元の本をめくる。するとエッグの足元から光が伸び、それは内部のガラスを通じて本へと集中した。そしてその光がまた反射して頭頂部へと伸びる。ガラスから飛び出た光は、一気に天井へとその光の手を何筋も伸ばした。
「何だぁ!?」
「これは!?」
飛び出た光に誰もが大きく目を見開き、驚きの声を上げる。
ひじりも声こそ上げなかったものの目を瞠り、光の先に写真のような像が浮かぶのを見て、この時ばかりは青蘭を警戒することを忘れた。
映し出されたのは、愛らしい顔で花のような笑みを浮かべる少女達。また、編み物をする母に寄り添い、あるいは両親と写り、そして姉妹で並んで笑っている。
模型が持つ本はアルバム。皇帝一家の思い出。メモリーズ・エッグはその名の通り、思い出を表していたのだ。
「もし、皇帝一家が殺害されずにこのエッグを手にしていたら、これほど素晴らしいプレゼントはなかったでしょう」
呆然とセルゲイが感激したような声を上げ、感嘆の息をつく。
それほどまでに素晴らしいものだ。夏実の曽祖父、香坂喜市はまさしく“世紀末の魔術師”の名に相応しい。
改めて写真を1枚1枚見つめていると、その中に椅子に腰掛ける喜市の姿があった。では、彼の隣に腰掛けているのが曾祖母か。
まじまじと見てみれば、どこか夏実に似ている気がする。写真の中の彼女は目許を和らげ、優しげな微笑みを浮かべている。
また別の写真を見てみれば、皇帝一家姉妹の中に夏実そっくりの女性がいた。
ああ、やはり。彼女は、皇帝の血を引いているのだ。
時間が過ぎたのか、ふいにエッグは光を放つのをやめ、ゆるやかに治まった。透き通っていたエッグが元の色を完全に取り戻すと、セルゲイは静かに歩み寄ってそれを手にし夏実を振り返る。
「このエッグは喜市さんの…いえ、日本の偉大な遺産のようだ。ロシアはこの所有権を、中のエッグ共々放棄します。あなたが持ってこそ、価値があるようです」
「…ありがとうございます」
セルゲイから手渡され、夏実が微笑んでエッグを受け取る。だが夏実があっと声を上げて「中のエッグは鈴木会長の…」と思い出すが、小五郎が気前良く自分から言っておくと笑って安心させた。きっと分かってくれますよと言う通り、あの人なら分かってくれる。
ひじりは歩美から手を離すと気づかれないよう離れ、胸ポケットからペン型スタンガンを取り出した。
エッグが光を失ったと同時に感じた殺気に鋭く目を細めると、蝋燭の火を消したために暗い中、視界ではなく気配を頼りに音もなく移動する。
暗闇の中、喋っていたためいち早く場所を特定された小五郎の腰から頭へと赤いレーザーサイトが進んでいるのを認め、
ひじりはロックを解除して躊躇いなく強のボタンに指を添えた。
まだだ。仕留める最適な瞬間は、青蘭が引き金を引く瞬間。それまで気配を殺し、機を待った。
小五郎の右目でレーザーサイトが止まる。瞬間
ひじりがボタンを押して飛びかかったのと、コナンが危ない!と叫んで懐中電灯を小五郎へぶん投げたのは同時だった。
「!」
ペン型スタンガンは青蘭の腕を掠めて外れた。コナンの声が青蘭を動かしてタイミングがずれ、弾は発射されなかったが仕留めることはできなかった。
何があったのか分からず小五郎が怒鳴り、転がった懐中電灯を蘭が拾おうと手を伸ばす。闇に紛れる
ひじりより狙いやすい蘭を狙って銃を向ける彼女に、
ひじりはもう一度強のボタンを押して飛びかかる。
「拾うな蘭!!!」
「やめなさい!」
コナンが叫んで蘭を制止させ、
ひじりが鋭い声を上げて気を向けさせてばちりと電気を弾けさせる金属部分を押し付けるより早く、振り返った蘭に向けて青蘭が発砲した。
痺れと
ひじりの妨害のせいかその照準は外れていたが、コナンが蘭を押し倒して地面に伏せさせる。
ひじりの一撃は確実に首を狙っていたが、相手はやはりプロ。素早く腕を掴んで逸らされ、スタンガンはばちりと鋭い音を立てて沈黙した。
「みんな伏せろ!」
響いた発砲音にコナンが叫び、パニックになりながら殆どの人間が逃げ惑う。
青蘭から銃が向けられているのが判った
ひじりは、しかし慌てることなく腰に手をやり引き抜いた銃のグリップで青蘭の銃を弾いた。カラカラと乾いた音を立てて地面に銃が転がる。
ひじりの腕を離してすぐさま銃を拾う青蘭に銃口を向けて闇に慣れつつある目で照準を合わせて撃つが、弾は殺傷力のないゴム弾。ものすごく痛いがプロ相手の動きを封じるには少し威力が足りない。
ひじりが撃った弾に当たって受けた鋭い痛みに呻きながらも銃を拾い、青蘭が素早く距離を取る。
「あっ!」
暗闇の中、夏実の小さな悲鳴と共にエッグが転がった固い音が響き、青蘭はすぐさまそちらを向くとエッグを拾って走り去って行った。
ひじりも駆け出してその後を追う。後ろからコナンと白鳥の追って来る気配もしたが、今気にしている暇はない。
「
ひじり!」
後ろからコナンが呼ぶ声がしたが、
ひじりは無視をして走り続けた。
痺れと痛みで、青蘭はだいぶ消耗しているはずだ。このままならば追いつける。
途中手榴弾を仕掛けて道を塞いだようだが、手榴弾が爆発するよりも早くそこを駆け抜け、少し離れたところに青蘭の背中が見えて不敵に目を細めた。
もう少し距離があれば足を撃って動きを止めさせることもできたが、残念なことに隠し扉へと続く階段へと差し掛かり、駆け上がるその背を全速力で追う。
青蘭は先に出て開閉スイッチを押したようで、走っても追いつけないと悟った
ひじりは、ブーツに仕込まれたターボエンジンのスイッチを入れた。練習以外で使うのは初めてだが、既に扱いは慣れたものなので問題はない。
キュゥウウウウウウゥ…
小さな機械音と共に厚底がローラーへと変わる。
瞬間
ひじりの体が弾丸のように勢いよく前へと押し出され、それをコントロールしながら階段脇の狭い平坦な坂を駆け上がると、最後の階段の前でジャンプをした。
「なっ…!」
扉が閉まり切る前に勢い余って空中に
ひじりの体が飛び出る。
天井を一瞬滑ってすぐさま体勢を整えて振り返り、驚愕して目を見開く青蘭と目を合わせてブーツのスイッチを切った
ひじりは軽やかに床へと着地した。
「逃がすわけがないでしょう?」
瞬時に銃を構えてゴム弾を放つ。連続で3発放った弾は一発当たり一発掠め一発が外れ、青蘭は舌を打つと手榴弾を投げて来た。
だがしかし、それでひるむ
ひじりではない。投げられた手榴弾をグリップで弾き返し、すぐさま部屋から飛び出て身を低くし耳を塞いだ。
ドォン!!!
手榴弾が爆発し、弾をこめ直して警戒しながら再び部屋に入ると、既にそこに青蘭の姿はなかった。訝しんで警戒を緩めることなく見渡せば、部屋の隅に隣の部屋へと続く隠し扉があって逃げられたことを知る。
ひじりは一度閉じられた床の隠し扉を見下ろし、開けるにしてもロシア語が分からずパスワードを入れられないので諦めることにした。中からでも開ける方法はあるだろうからこのまま放っておく。
(さて、どこに行ったのか……このまま去るような可愛い性格をしてくれてると助かるんだけど)
手榴弾を持ち歩くような人間にそれを求めるのは期待過剰かもしれない。
そういえばあの卵のような部屋にみんなを置いて来てしまったが、いい大人がたくさん揃っていることだし、逃げ道も子供達が落ちてきた所を行けば無事出られるだろうからやはり気にしないことにする。
ひじりが気配を探りながら油断なく銃を構えて城の中を探索していると、ふいに鼻をガソリンの臭いが掠めて頭を抱えたくなった。
確かにこのまま去るような可愛い性格はしていないだろうとは思っていたが、まさか火を放つつもりか。地下にまでは火は届かないにしても、そのうちコナンや白鳥が上がって来るのだ。止められるのなら止めなければ。
「おい、
ひじり!」
青蘭を捜していればふいに後ろから声がかかり、振り向けば思った通りコナンがいた。
追いついたコナンは
ひじりが銃を持っていることに驚いたようだが、ゴム弾だよと教えるとほっと息をつく。それを感情の無い目で見下ろし、先へ進みながら口を開く。
「せっかく青蘭さんがスコーピオンだって教えたのに、どうして無駄にするかな」
「悪かったよ!けど、
ひじりだっておっちゃんが撃たれそうになるまで動かなかっただろ!?」
「獲物を仕留める瞬間にこそ隙は生まれる。だから敢えてそのときを狙ったの」
「……お前、そんなことどこで」
「企業秘密。女は秘密を抱えるほど美しくなるものだからね」
コナンの追及をさらりとかわし、鼻で嗅ぎ取った通りガソリンが撒かれていることに眉をひそめると、どうやら火を点けたようで炎が燃え盛りながらこちらへ向かって来た。しかし慌てずコナンを抱えて“騎士の間”へと入る。
すると青蘭の姿が見えて、
ひじりが火の手が小さい方へ進んでコナンを下ろせば、コナンは蝶ネクタイ型変声機を手にかけた。
「ちょっと待ったぁ!!てめーだけ逃げようったって、そうは問屋が卸さねぇぜ!!」
ボリュームを上げ、小五郎の声で怒鳴ったコナンを置いてその場を離れる。
「あんたの正体は判っている。中国人のふりをしているが、実はロシア人。そう…怪僧ラスプーチンの末裔─── 青蘭さん」
今度は白鳥の声で断言すると、ゆっくり棚の陰から青蘭が姿を現した。その足を狙ってすかさず撃つ。敢えて外した隙にコナンが向かいの棚の陰へと走った。
コナンに銃口が向くが、
ひじりは今度は二度続けて青蘭の腕を撃って阻む。
「…っ、あの小娘っ!」
青蘭の忌々しそうな声を聞きながらすぐその場から離れて別の場所へ移動し、再び弾をこめ直して残弾数を数える。大丈夫、あと数発は撃ち込める。けれどその前にキッドと蘭を撃った分で二発ほど殴りたい。
青蘭の名前を中国語呼びで並び替えるとラスプーチンになると死んだはずの寒川の声で言われて動揺した青蘭の隙を突き、
ひじりは青蘭の銃を撃って弾くと棚の陰から飛び出して青蘭の前に迫り、目を見開く彼女ににっこりと作り笑顔を向けた。
「まずは蘭の分」
ゴヅッ!!
「……!」
グリップでこめかみを思い切り殴られ、転倒した青蘭が憎悪の目で
ひじりを射抜いて銃に手を伸ばして構えるが、そのときには既に棚の陰へと身を潜めていた。
苛立ちからか、二発ほど近くを撃たれたが冷静に青蘭の銃の残弾数を数えて慌てない。
さて、次は蹴ろうか。ブーツのエンジンはあと数分はもつ。
足首を捻って調子を見た
ひじりは、温度の無い目を鋭く細めると青蘭を射抜いた。
← top →