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 ラスプーチンよりエッグ。白鳥はそう言うが、この広い城の中で小さなエッグを見つけるのは至難の業だ。
 小五郎は煙草に火を点けて吸って白い息を吐く。するとコナンがふいに小五郎の煙草を奪い取り、床の方に掲げた。慌てる小五郎に「下から風が来てる!」と鋭く言って言葉を遮り、確かに煙の動きを見てみると風が吹いているようだ。

 ひじりがコナンの手から煙草を取って灰皿に押しつける。
 コナンはどこかに地下室へ行く道を開くスイッチがあるはずだと床をくまなく探し、1枚の床の板に指をかけて蓋を外してロシア語のアルファベットが書かれたボタンをあらわにした。誰もが驚く中、すっと息を吸ってひじりがゆっくり目を瞬く。


(…さて)


 スコーピオンは判った。だがそれはひじりの感覚だけで、証拠はない。
 これから何もせずにエッグをそのままにして帰ってくれるのなら、証拠もないことだしひじりも一発“お礼”をするだけで特に何かをするつもりはない。
 だが、もし何かをするつもりなのなら─── 容赦の一切は、しない。





□ 世紀末の魔術師 8 □





 地下室への扉を開けるなら、当然パスワードが必要になる。そこでロシア人のセルゲイに頼み、ロシア語で入力してもらうことにした。
 小五郎は“思い出”。ボスポミナーニェと言うが反応はなく、どうやらはずれたようだ。乾がキイチ・コウサカと名前を挙げるが、これもまたはずれ。
 セルゲイが夏実に何か伝え聞いている言葉はないかと訊くが、彼女は首を横に振った。
 いや─── 彼女には、あるはずだ。そう、子供の頃から妙に耳に残って離れない、変な日本語が。


「「バルシェニクカッタベカ」」


 意図せずひじりとコナンの声がハモる。
 変な日本語は、日本語ではなくロシア語ではないのか。セルゲイは「バルシェニクカッタベカ」と繰り返して頭を悩ませる。そんなロシア語はないようだ。
 ならば、切るところが違うのかもしれない。コナンの言葉にセルゲイは何度か切るところを変えて呟く。しかしどうにも思い浮かばないようで頭を抱えると、青蘭がそれって、と口を開いた。


「ヴァルシェープニック カンツァー ベカじゃないかしら」

「そうか!ヴァルシェープニック カンツァー ベカだ!」


 すかさずコナンがどういう意味かを問う。
 英語に直すと The Last Wizard Of The Century。


(日本語で訳すと─── 世紀末の魔術師)


 成程、だからキッドは予告状で自身をそう名乗ったのか。
 小五郎はとんだ偶然と言うが、偶然であるはずがない。

 とにかく押してみましょうとセルゲイが言いボタンを押していく。
 ロシア語で「世紀末の魔術師」と入力すると、どこからか無数の歯車が回るような音が響いた。
 同時に、床がゆっくりと動いていく。セルゲイが慌てて飛びのき、ひじりはコナンの肩を引いて歯車の音に紛れさせ耳元で囁いた。


「スコーピオンは青蘭さん」

「!?」

「振り向くな。驚いてもいけない。慌てず何事もなかったかのように取り繕って聞いて」

「…無茶を言う」


 鈍い音と共に開いていく床を見ながらコナンが苦く笑うが、ひじりは構わず続けた。


「証拠はない。これは私の勘。信じる?」

「ああ。信じるよ」

「青蘭さんの名前はアナグラム。今はまだ動かないけど、エッグを見つけたら間違いなく奪おうとするだろうね。─── 気をつけて」


 返事は聞かず、立ち上がって完全に現れた地下への階段を見下ろす。
 懐中電灯を持った白鳥が先頭に立ってまず階段を降りて行き、続いてライターの火を灯した小五郎が降りる。その後ろに蘭とコナン、夏実、ひじり、セルゲイ、沢辺、青蘭、乾と続いた。

 階段を降り切って平淡な道を暫く無言で歩き、ふいにセルゲイがなぜパスワードが世紀末の魔術師であったのかと夏実に問い、夏実は曽祖父がそう呼ばれていたからかもしれないと答えた。
 喜市がからくり人形を出品しロシアに渡った頃が1900年頃。まさしく世紀末というわけだ。

 それからまた少し歩いて広い道に出ると、微かな物音をひじりの耳が捉え、同じくコナンも聞き取ったようで足を止めた。すぐにコナンが見て来ると駆け出して行き、蘭が後を追おうとするのを白鳥が制して追って行く。
 不安そうな蘭の肩を叩き、青蘭が気配を殺して立ち去って行くのを感じ取ったひじりは、青蘭を追おうとした乾に瞬時に近づいて腕を思い切り掴むと振り返らないまま囁いた。


「死にたくなければ追わないことをお勧めします」

「なっ…!」

「騒ぐな。声を上げるな。静かにしろ。動きを止めて、何も気づかなかったふりをして待て」


 ひじりが発した短い言葉での命令の羅列に人間のぬくもりは一切無く、切り捨てるような響きすらあって、温度のない黒曜の瞳を見た乾は冷や汗を流しながらごくりと唾を呑み込み動きを止めた。ひじりはそれを確認すると腕を離す。
 乾は忠告通りそれきり動かず、ひじりの方を見ることもなく、ただじっと白鳥とコナンが消えて行った通路を見ていた。
 やがて気配無く去って行った青蘭がまた気配無く何事もなかったかのように戻って来て、それに気づかなかったふりをしながらコナンと白鳥の帰りを待てば─── なぜか増えて帰って来た。


「あーっ!ひじりお姉さーん!」

「……いったいどこから入って来たんだか…」


 思わず呆れたため息をついて脱力する。
 コナンと白鳥と共に合流したのは元太、歩美、光彦、そして哀。
 聞けば、博士が誤ってからくりを作動させ4人まとめて地下に滑り落ち、先へ進んでみたらばったり出会ってしまったと。
 夏実はころころと笑って大勢の方が楽しくていいですねなんて言うから、もしかしたらこの人は意外と大物なのかもしれない。

 ひじりが歩美に手を引かれて子供達に混ざりながら歩いて行くと、行き当たりに大きな壁があった。今まで通って来た通路の壁とは違い、鉄か何かでできて装飾のなされた、明らかに人工物の壁だ。
 道を間違えたかとも思うがここまでは一本道で、迷うはずもない。となると、ここにもまた何か仕掛けがあるはずだ。

 白鳥が懐中電灯で照らし、ひじりも腕時計のライトを点けて壁を照らして見た。
 たくさんの鳥。中央上部には大きな双頭の鳥が描かれ、双頭の間に小さな王冠が、そして背景には太陽の絵があった。


ひじりお姉さん、これなーに?」

「鳥が鷲なら、双頭の鷲…皇帝の紋章ということになるね」


 歩美の問いに答え、鷲を照らして見てみる。
 王冠の後ろには太陽。太陽はつまり、熱、あるいは光。


「白鳥さん!あの双頭の鷲の王冠に、ライトの光を細くして当ててみて!」

「あ、ああ…」


 コナンも何か思いついたようで、白鳥に指示を出す。ひじりは邪魔になるだろうと腕時計のライトを切った。
 白鳥が言われた通り懐中電灯の光を細くして王冠に当てる。すると王冠に埋め込まれた色つきのガラスが光り、また歯車が回る音がして今度は地面が沈んでいった。驚く歩美を抱えて下がる。


(成程、あの王冠には光度計が組み込まれているというわけか)


 地面が下がり、奥へ続く入口を見せるとさらに手前の地面が2つに割れて階段が現れた。
 とんでもない仕掛けだ、これは。思わず感嘆の息をつく。

 一同が階段を降りてさらに奥へと進むと、そこは縦に長い楕円形の形をしていて、まるで卵の中のようだった。
 部屋の隅に置かれた蝋燭に小五郎がそれぞれライターで火を灯す。明かりに照らされると一番奥に西洋造りの桐の棺が置かれているのが判った。棺には大きな錠がかかっており、とても人の手では外せそうにない。


「あっ、夏実さん!あの鍵!」

「え…あ、そっか」


 コナンに言われて鞄から大きめの鍵を取り出すと、夏実は棺に駆け寄る。
 大きな錠に、大きめの鍵。鍵を錠に差し込んで回せば、抵抗なく錠の閂が外れた。


「開けてもよろしいですか?」

「は、はい」


 夏実が頷いて身を引くと、小五郎が棺に手をかけて蓋を開ける。鈍い音を立てて開かれたそこには、遺骨と赤いエッグが収められていた。
 遺骨は間違いなく夏実の曾祖母のものだろう。横須賀の墓には喜市のものしかなかったようで、夏実は不思議に思っていたらしい。
 もしかすると曾祖母がロシア人であったから、先祖代々の墓に葬れなかったのかもしれないと呟く夏実へ、セルゲイと青蘭が歩み寄って「こんなときに何ですが、エッグを見せてもらえないでしょうか」と頼んだ。
 夏実は快く頷いてエッグを手に取りセルゲイに渡す。セルゲイが外観を見て中を開くと─── そこには何もなかった。そのことでひじりはやはりエッグが元は2つで1つだったのだと確信した。
 驚く小五郎達へ思ったことを話す。


「おそらくそれは、元々2つで1つのものだったのではありませんか?」

「え?」

「ロシア人形マトリョーシカのように、エッグの中にエッグが収められるようになっていたのだとしたら」

「あ!わたしの家にもあるよ、マトリョーシカ!お父さんのお友達が、ロシアからのお土産に買って来てくれたの!」


 ひじりの手を引いて笑う歩美の頭を撫でる。マトリョーシカを知らないのか、小五郎が不思議そうに首を傾げた。
 青蘭が小五郎に簡単に教え、セルゲイが確かにそうかもしれないとエッグを改めて見下ろす。どうやら赤いエッグの中には、中に入れるエッグを固定するための溝があるらしい。
 しかし、ひじりの言う通り2つで1つだとしても、もう片方は今手元にはない。


「くっそー!あのエッグがありゃー確かめられるんだが…」


 悔しそうに手の平に拳を打ちつける小五郎に、白鳥が笑みを浮かべて口を開いた。


「─── エッグならありますよ」


 その思ってもみなかった言葉に、誰もが驚いて白鳥を振り返る。
 白鳥はこんなこともあろうかとと言いながら肩にかけていたバッグを開き、「鈴木会長から借りて来たんです」と笑って中から緑のエッグを取り出した。黙って借りて来たんじゃねーだろなと白鳥に凄む小五郎に、白鳥はそんなはずないじゃありませんかと冷や汗を流す。


「とにかく、試してみましょう」


 もうひとつのエッグはここにあり、2つのエッグが揃った。
 セルゲイが手を差し出して受け取り、赤いエッグの中に緑のエッグをセットする。思った通り、エッグはぴったりと合った。だがこれだけでは終わらないだろう。

 それこそ─── “世紀末の魔術師”の名に相応しいだけの何かが、あるはずだ。






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