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 怪盗と言うにはキッドに失礼な気がするので強盗だとして、スコーピオンはロマノフ王朝の財宝を専門に盗む強盗だ。
 となれば、再びエッグを狙って香坂家の城へやって来る可能性が高く、今既に向かっているかもしれない。
 白鳥は東京に着き次第自分も夏実達と城に向かうと言い、目暮の許可を受けた。


「おい、聞いた通りだ。今度ばかりは絶対に連れて行かんからな」


 城に向かっている可能性のある殺人鬼。確かにそこに子供を連れて行くわけにはいかない。
 コナンに向けたもっともな小五郎の言葉を、しかし白鳥が笑顔で取り下げた。


「いえ、コナン君も連れて行きましょう。彼のユニークな発想が役に立つかもしれませんから」


 訝しげな小五郎に、白鳥が笑みを深める。悪い顔だ。
 でもものすごく楽しそうでもあるな、とひじりは白鳥を見て目を細めた。





□ 世紀末の魔術師 7 □





 翌日、船は東京へと着いた。
 乾は一度準備に戻ると言って一旦家に戻り、ひじりは白鳥が運転する車に青蘭、夏実、香坂家執事の沢辺と共に乗って横須賀の城まで届けてもらっていた。

 よくCMで使われ、ひじりもまたテレビの中で何度も見たことのある荘厳な城が見えてくる。
 車を降りて改めてよく見てみると、しっかりとした造りの綺麗な城だった。白鳥曰く、シンデレラ城のモデルにもなったドイツのノイシュバンシュタイン城に似ているらしい。
 だが、確か曾祖母はロシア人だったはず。なのになぜ、この城はドイツ風なのだろう。疑問に思うが答えが出るはずもなく、無意識に腰の後ろで手を組みそこにある感触に目を細める。
 昨夜、誰もが寝静まった頃に抜け出した先の甲板で白鳥から受け取ったもの。今は裾の長い上着を着ているので、誰にも気づかれていない。


「……?」


 遅れて来るはずの乾を待っていれば、聞き慣れたエンジン音と共に、博士のビートルが城の門をくぐって来た。すると車から降りたのは博士と哀、そしてなぜか元太に歩美、光彦の3人の子供達。コナンがげっと顔を歪めた。


「博士、どうしてここに?」

「いやぁ、コナン君から電話をもらってな。ドライブがてら来てみたんじゃよ」


 蘭の問いに博士が答え、こっそりとコナンに新しい眼鏡を渡した。おそらくスコーピオン対策仕様の眼鏡だろう。
 城を見て目を輝かせる子供達3人に、小五郎がこれ以上増えてはたまらないとばかりに「中へは絶対に入っちゃいかんぞ」と釘を刺す。3人は「はーい!」と元気良く素直に聞き分けの良い返事をするが、それが却って怪しい。どうせこっそりどこからか入ろうとでも考えているはずだ。
 だが、さすがに侵入者対策でどこも施錠されているだろうから深く考えなくともいいか。


「あれ、ひじりお姉さん!ひじりお姉さん、今日は快斗お兄さんは一緒じゃないの?」

「快斗は今、旅行中なの」

「えーそうなの?残念だね!」

「うん」


 残念だな、ではなく残念だねという言葉をチョイスするあたり、歩美はませているが分かってもいる。
 撫でることで褒めてやればえへへと嬉しそうに笑われた。スコーピオンも来るだろうし、城には入ってほしくはないのだけど。
 無駄に不安を煽ることもできずに結局何も言わず最後にぽんぽんと優しく叩いてやれば、歩美はコナンのもとへ行き、代わりに哀が近づいて来たのでそのまま待った。


「聞いたわよ。あなた、怪盗キッドとかいう泥棒に招待されていたそうね?」

「まぁ、“人形”時代にちょっと縁があってね」


 隠すことでもないかとさらりと言えば、そのことは知らなかったのか哀は大きく目を見開き、次いで深いため息をつくと「よく生きてたわね、その人」といっそ呆れたように言った。ひじりも頷いて同意する。代わりに私に撃たせたよと付け加えて。


「聖なる夜に、白い鳥を私の手で撃ち落とせってね」

「……生かしたの?」

「殺せとは言われてない」


 ただの屁理屈だと分かっているが、確かにジンは殺せとは言わなかった。そこに何の意図があったのか、もう考える意味はないけれど。
 哀が何かを言うために口を開きかけたが、響いた車のエンジン音に唇を閉ざして門の方を振り返った。ひじりも立ち上がって門を見る。赤い車が入って来て、降りてきたのは何やら詰まったリュックを持った乾だ。


「いやー、悪い悪い。準備に手間取ってな」


 悪びれずに笑う乾に、リュックの荷物を見咎めた小五郎が探検にでも行くつもりですかと嫌味を言うが、乾は気にも留めず笑って「備えあれば憂いなしってやつですよ」と返した。
 何はともあれ、メンバーが揃ったので城に入ることにして、沢辺が城の門を開いて促す。

 外見も荘厳であれば、中も同様だった。大理石でできた床に、あちこちの細かい装飾。手入れもしっかりしてあって埃ひとつない。
 一同は“騎士の間”と呼ばれる部屋に通され、左右に並ぶ甲冑とタペストリーに感心の声を上げた。
 ひじりは甲冑に目をやりながらも神経を鋭敏にさせて主に青蘭の様子を窺う。彼女はまだ何の動きも見せない。
 あの晩に撃ってきた犯人の顔は見ていないが、キッドもまた青蘭が危険だと警鐘を鳴らしていることは確認済みだ。

 “騎士の間”を通り、“貴婦人の間”へと案内されて部屋に足を踏み入れたひじりは、沢辺の説明を聞きながら絵画やソファを流し見た。
 そして次が、“皇帝の間”。名前の通り“貴婦人の間”と比べて少々物々しく、石膏像が静かな威厳をもって佇んでいた。
 白鳥と並んで石膏像を見ながら、指だけで素早くサインを交わす。動きなし。様子見。OK。ちなみに、乾は放っておいていいだろうと意見が一致している。


「なぁ、ちょっとトイレ行きたいんだが」


 オーソドックスな手だ。沢辺はすぐに答え、乾は部屋を出て行った。気配はトイレではなく先程の“貴婦人の間”へ。白鳥は踵を返して沢辺のもとへ行き乾について進言するが、沢辺はにこやかに笑みを湛えて焦るようなことはなかった。


「─── うぉおおおおおおお!!!!」


 唐突に響いた野太い悲鳴に、すわスコーピオンかと一同が悲鳴の元である“貴婦人の間”へと駆け込む。
 ひじりが最後尾をゆったり歩きながら続いて部屋を覗きこむと、そこには壁の隠し金庫に手を入れたまま床にしゃがみ、すれすれのところを天井から吊られたたくさんの刃物が掠めていた乾の姿があった。宝石を盗もうとしたら罠にかかってあわや串刺しになるところだった、といったところか。

 沢辺は冷や汗と脂汗を浮かべて荒い息をつく乾に静かに歩み寄り、乾がかかったのが夏実の曽祖父である喜市きいちが作った防犯装置だと言って、乾の腕を縫いとめる手枷を服の袖から取り出した鍵で外した。
 この城にはまだ他にもいくつか仕掛けがあるらしく、するつもりはないが迂闊なことはできなさそうだ。乾もこれで懲りただろう。


「つまり。抜け駆けは禁止ってことですよ、乾さん」


 にっこり笑いながら乾の荷物をあさって懐中電灯だけを投げて渡した白鳥に、乾はちっと舌打ちするが反論はない。
 ひじりは乾が持って来た道具を見下ろして、本当は美術商ではなく泥棒なのではないかと疑った。
 これらの道具は明らかに盗むための道具だ。出て行ってから悲鳴が上がるまでの時間も考えると、それなりに手が早い。
 だが今はやはり小物だった乾のことよりエッグだ。ひじりは一瞬で乾から関心を失くして少し考える。

 エッグを造ったとされる喜市は、からくりが好きだった。だからこの城には数多の仕掛けがある。
 コナンが沢辺に地下室の有無を訊くがないと言われ、じゃあ1階に喜市の部屋はあるかと問い、沢辺はそれなら執務室があると答えた。


(成程。執務室になら地下へ行く道があるかもしれない、か)


 執務室へ案内されながら内心で呟くと、喜市がからくり好きであったことをもう一度思い出し、となれば、もしかするとエッグにも何かしらの仕掛けがあるのではないかと思い当たった。
 2つのエッグ。今探しているもうひとつのエッグは、おそらく鈴木家の蔵で見つかったものよりひと回り大きい。
 敢えて大きさの差を出した理由。からくり。2つで1つ。


(……何にせよ、もうひとつのエッグを見つけて実際に見ない限り答えは出そうにないな)


 それに、まだどうしてキッドが香坂家─── 夏実にエッグを返したかったのか、その理由も分かっていない。
 夏実の曽祖父がエッグを作っていたから?だが贈り先はロマノフ王朝の皇帝一家だ。
 そういえば、彼女の曾祖母は確かロシア人。ニコライ皇帝三女マリアの遺体は、まだ見つかっていない。


(─── まさか、夏実さんが皇帝一家の血を引いているのだとしたら)


 点と点が頭の中で繋がり、思わず夏実を見る。
 まだ確証はない。けれどもしこの仮説が正しければ、確かにエッグは夏実のものだ。
 つらつらとひじりが考えている間に執務室に着き、部屋の明かりを点けた沢辺はどうぞと一同の入室を促した。
 一番最後に部屋に入り、壁一面の本棚に収まる本を流し見して写真を眺める。そして夏実の曽祖父である喜市の写真はあるのに、曾祖母の写真が1枚もないことに気づいた。
 仮説が信憑性を増していく。残さなかったのではなく、残せなかったのだとしたら。


「おい、この男ラスプーチンじゃねぇか」


 ふいに乾が声を上げ、振り返ったひじりは乾の見る写真へと目を移した。
 喜市と共に映る、イスに座った男。ゲー・ラスプーチンのサインが示す通り、この男がラスプーチンなのだろう。
 蘭が小五郎にラスプーチンって?と問うが、よくは知らないのか、世紀の大悪党だったとしか知らないと答える。すると乾がより詳しくラスプーチンについて語ってくれた。

 怪僧ラスプーチン。皇帝に取り入り、皇帝一家と繋がりが深かった男。同時に、ロマノフ王朝滅亡の原因を作った。一時権勢を欲しいままにしたが、最後は皇帝親戚筋にあたる男に殺された。川から発見された遺体は頭蓋骨が陥没し、片方の目が潰れていたらしい。


(……ああ、これは…間違いない、彼女だ)


 気づかないふりをしているが、心臓を刺す冷たい針のような感覚─── 殺気が乾が口を開くたびに感じ取れた。しかし殺気はすぐに鳴りを潜め、消えてからようやくひじりは細く息を吐いた。

 ラスプーチンの悪口とも取れる言葉を聞いて湧き上がった殺気。
 もしや彼女─── スコーピオンは、ラスプーチンの末裔なのか。
 そう考えれば辻褄が合う。ラスプーチンが片方の目が潰れた状態で発見されたから、祖先の無念を晴らすために同じ方法で殺害した。
 ロマノフ王朝の財宝だけを専門に盗んでいたのは、おそらくそれらが本来自分のものになるはずだったと思っているから。キッドのエッグや寒川の指輪を狙ったのも同様だ。


(……見つけた)


 考えれてみれば、彼女の名前、中国語読みでのプース・チンランは並び替えるとラスプーチンになる。
 彼女の行動には彼女なりの理由があるのだろうが、そんなことひじりにとって知ったことではない。
 キッドを撃った、そのお返しはきっちりとさせてもらう。ひじりは冷たい光を宿した黒曜の瞳を鋭く細めた。






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