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 警察が到着し、目暮達が鑑識と共に寒川の部屋に向かって暫くして、透明な袋に入れたボールペンを手にラウンジへとやって来た。
 どうやら現場にM・NISHINOと名前が入ったそのボールペンが落ちていたらしい。だが西野は現場に入っていないし、落としてもいないことはそのとき一緒にいたひじりが証言できる。
 小五郎がならばなぜ現場にボールペンが入っているのかと訊くが、西野は分かりませんと答えた。


(……さて、誰に変装してるのやら)


 目暮にアリバイを訊かれて答えるのを半ば聞き流しながら、目暮と白鳥に目をやる。
 先程右目の上を怪我していた高木も見たが、じっくり観察する暇はなかった。まさか目暮は違うだろう。すぐに視線を移し、白鳥を見て目が合うと、彼はふっと口元を緩めてひとつウインクした。
 ひじりに隠すつもりはないらしい。無表情を揺るがさず瞬きをひとつ返して視線を逸らし、頬杖をつく。
 何となくコナンと蘭を見れば、顎に手を当てて難しい顔をしているコナンを蘭が疑わしげに見ていることに気づいて内心でため息をついた。





□ 世紀末の魔術師 6 □





(これは、何とかしないとダメかもしれないな…)


 快斗に頼んで新一のふりをしてもらうか。いや、それではコナンが新一だと話さなければならないだろう。
 どうしたものかと考えていると高木がラウンジへやって来て、現場からビデオテープが全部なくなっていると報告した。
 ビデオテープ。犯人は何か都合の悪いものでも寒川に撮られたために部屋を荒らしたのだろうか。となると、やはり犯人は外部犯ではなく彼らの中にいる可能性が高い。
 こちらを窺う青蘭達を一瞥すれば、ふいにイスから降りたコナンが走ってラウンジを出て行った。怒鳴りかけた小五郎を制して蘭がそれを追う。


「犯人がまだうろついているかもしれませんから、僕も行きますね」

「ああ、すまんな、頼む」


 白鳥は目暮にひと声かけてひじりを一瞥し、ラウンジを出て行った。
 目暮と高木、小五郎は現場にボールペンが落ちていたので西野の部屋を捜索するために西野を連れて部屋に向かい、それから少しして蘭が1人で戻って来た。コナンは白鳥が連れ戻してくれるらしい、が、どうだろう。何せ中身はキッドだ。

 思った通り、白鳥がコナンと戻って来たときには小五郎と目暮達も一緒にいた。
 指輪は西野の部屋から出てきたらしいが、西野が羽毛アレルギーであるなら犯人の線はなくなるとして、本当に羽毛アレルギーなのかと史郎へ訊ねに来たようだ。
 結果、確かに西野は羽毛アレルギーとのこと。


「成程。だから西野さん、昼間私達の部屋から逃げるように出て行ったんですね。部屋には鳩がいましたから」


 ああ、そういえば暫く放っているが大丈夫だろうか。まぁキッドの鳩だし大丈夫だろう。
 今更鳩のことを思い出してひじりが言えば目暮は納得したようだが、となるとまた犯人が判らなくなって悩む目暮をコナンが見上げる。


「ねぇ警部さん、スコーピオンって知ってる?」

「スコーピオン?」

「色んな国で、ロマノフ王朝の財宝を専門に盗み、いつも相手の右目を撃って殺してる、悪い人だよ」


 ─── スコーピオン。
 それが、キッドを撃ち、寒川を殺した人物。
 どうやら先程ラウンジを出て行ったのは、そのことを阿笠博士に調べてもらうためだったようだ。
 目暮はそんな名前の強盗が国際手配されておったなぁと呟き、すぐに目を見開くと驚いて「それじゃ今回の犯人も…!」と声を上げる。


「そのスコーピオンだと思うよ。たぶん、キッドを撃ったのも」


 目暮の言葉を引き継ぎ、不敵に微笑みながらコナンが続ければ、ラウンジがざわめいた。
 白鳥は驚かない。盗聴でもしてコナンと博士の会話でも聞いていたのか。となれば、コナン=新一が成り立ってしまった可能性がある。
 内心で額を押さえているとふいに白鳥の顔がひじりに向いて、コナンを一瞥しにっこり微笑まれた。確実にバレてる、あれ。


(まぁ前々から疑っていたから、時間の問題だとは思っていたけど…)


 今回のことで確信したということだろう。となると、やはり先程考えたキッドに新一のふりをしてもらう案が使える。
 そう思ったひじりは、使えるものは恋人だろうが怪盗だろうが躊躇いなく使う人間である。

 さて、思考を戻して今はスコーピオンだ。
 小五郎が何でお前スコーピオンなんて知ってんだよ、と当然の疑問をコナンにぶつけ、言い訳を考えてなかったせいで焦るコナンを阿笠博士から聞いたから、と答えてやった白鳥に目を見開いて別の意味で焦って冷や汗を流すコナンの様子よりもスコーピオンだ。
 殴ろうか、それともお返しに撃ってやろうか。とにかくキッドを撃った分の一発は何としてでも返さなければなるまい。


「しかし、スコーピオンが犯人だったとして…どうして寒川さんから奪った指輪を、西野さんの部屋に隠したんだ?」


 物騒なことを大真面目に考えていると、当然疑問となる点を目暮が挙げる。それを聞いたひじりは、特に何も考えずに口を開いた。


「別物なんじゃないですか?」

「は?」

「別?」


 小五郎と目暮が目を瞬かせてひじりを見る。


「指輪の件と、寒川さん殺害の件。2つの事件が偶然重なってしまったと考えたら筋が通りますよね」

「しかし、だとしたら指輪は誰が…」


 やはり、西野か。目暮が西野を見るが、西野は大きく首を横に振った。
 指輪の件と寒川殺害の件は別物。となれば、指輪を盗んだのは誰だ。いや、そもそも本当に盗まれたものなのか。
 そういえば西野と寒川は知り合いだったのではないだろうかと美術館の会長室での出来事を思い出すと、コナンがせっつくように膝を叩いて顎で示す。白鳥がいるから、迂闊に時計型麻酔銃を使えないのだろう。
 代わりに説明しろと言いたいのだろうが、私は探偵ではないんだけどなぁと内心でぼやきながらも西野の方を向いた。


「西野さん、寒川さんと知り合いではありませんか?昨日、美術館で寒川さんが西野さんを見たとき、大変驚いていたようでしたので」

「本当ですか?」

「西野さんは長く海外を旅して回っていたと聞きます。そのときにどこかで会っていたのでは?」


 ほら、これでいい?コナンに目を向ければ上出来だと言わんばかりに頷かれ、こっそりため息をついた。
 西野は暫く記憶を掘り出すように唸っていたが、ふいに「あーっ!」と大きく声を上げ、思い出したようだった。
 曰く、西野が3年前にアジアを旅行していたとき、寒川が内戦で家を焼かれた少女をビデオに撮っていて、注意したが一向にやめなかったので、思わず殴ってしまった、とのこと。
 となると、そのことを根に持っていてもおかしくはない。ひとり納得していれば、また膝を叩かれてしまった。


「……それでは寒川さん、西野さんのことを恨んでいてもおかしくはありませんね」


 ひじりがそう言うと、小五郎が「分かったぁ!」と手の平を拳で叩き、あろうことか西野を指差してあんたがスコーピオンだなどと言い出したので、ひじりは無言でペン型スタンガンのロックを外すと弱のボタンを押して小五郎の腕に押しつけた。


「んぎゃっ!」

「小五郎さん、少し黙っててください」

「は、はひ…」


 ビリビリと体中を巡る電流に体を跳ねさせて床に崩れ落ちた小五郎を視界から外し、コナンへと目を向ける。次はコナンの番、と背中をつつくと電気を食らわせられたらたまらないと思ったのか、素直に西野の方を向いた。


「でも西野さん、助かったね!」

「え?」

「だって、もし寒川さんがスコーピオンに殺されてなかったら、西野さん指輪泥棒にされてたよ」

「成程…だからさっきひじり君は2つの事件が偶然重なったと…」


 納得したように目暮が呟き、そうか!と小五郎が意外にも予想より早い復活をして立ち上がった。スタンガンを押しつけた時間はほんの一瞬だったこともあるだろうが。
 少々怯えながらひじりからそろそろと距離を取った小五郎は意気揚々と口を開く。


ひじりの言う通りこの事件、2つのエッグならぬ2つの事件が重なっていたんですよ!」


 それから先は、小五郎が代弁してくれた。
 ひとつめの事件は、寒川が西野を指輪泥棒に仕立ててはめようとしたもの。そのために夕方甲板に出たときにわざとみんなに指輪を見せ、西野がシャワーを浴びている間に西野の部屋に忍び込んで自分の指輪を隠し、ボールペンを盗んで部屋に持ち帰った。
 しかしそれが明るみになる前に、第2の事件─── スコーピオンによる寒川殺害事件が起こった。目的はおそらくビデオテープと指輪。しかし指輪は見つからなかったため、やむを得ず部屋中を荒らして探したが、当然見つかるはずもない。


「ということは、スコーピオンはまだ、この船のどこかに潜んでいるということか」

「そのことなんですが…救命艇が一艘、なくなっていました」

「何ぃ!?」


 目暮の言葉を聞いて報告する白鳥の言う通りならば、スコーピオンはその救命艇で逃げた可能性がある。緊急手配はしてくれたようだが、発見は難しいだろう。取り逃がしたか、と苦い顔をする目暮を横目に、ひじりはフェイク、と音にせず小さく唇だけを動かした。この船で殺気を感じてから、殺気は消えても嫌な予感が消えていない。
 まだ、この船の中にいる。


(…まさか警察がいる中で事は起こさないとは思うけど)


 スコーピオンが誰なのかはまだ特定できていない。直感で危険だと警鐘を鳴らしているのは青蘭だが、証拠が何もないのでは断定できない。
 コナンに伝えるのはいたずらに動揺させるだけだろうが、白鳥に扮したキッドには言っておいた方がいいかもしれない。何せ、直接殺気を浴びた本人だ。それにたとえ判らずとも、警戒するに越したことはない。
 もうひとつ、良くない気配を纏わせているのは乾だが、あれは小物なので放っておいていい。
 ひじりにそう思わせるだけの力量があるのなら、それはひじりが敵う相手ではない。それだけのことだ。






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