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「インペリアル・イースター・エッグ…ですか」


 警察署のとある一室で、1枚のカードを見ながら呟くと中森は大きく頷いた。
 先月鈴木財閥の蔵で発見された、51個目のエッグ。ロマノフ王朝の秘宝とされるそれを、キッドが狙うと予告状が出された。しかしひじりは快斗からそのことを聞かされていたので特に驚かず、なぜ自分が中森に呼ばれたのか首を傾げて見上げると、部屋の隅で佇立する加藤は苦虫を100匹は噛み潰した顔、中森は呆れたような顔をして白い封筒を差し出す。
 宛先も差出人もない封筒。封は既に切られており、中には1枚白いカードが入っていた。


「……ああ、成程」


 カードに書かれていた文字を読んだひじりは、中森と加藤の表情の意味が分かると同時に、キッドが迷惑をかけて申し訳ないと無表情の下で苦笑した。





□ 世紀末の魔術師 1 □





 8月22日、鈴木近代美術館。
 後で合流するコナン達より早くやって来たひじりは、会長室でソファに座りながら窓の外を眺めていた。

 コナン達はひじりが大阪にいることを知らない。
 園子に誘われていたが中森達警察と共に来る予定だったため断っていたし、博士と哀には大阪に行くとだけ言っていたが口止めしておいた。
 単に驚かせようと思ってのお茶目な行動だが、果たしてみんなは驚いてくれるだろうか。


「会長、お嬢様と毛利さん達がお着きになりました」

「うむ。通してくれ」


 どうやら着いたらしい。するとふいに携帯電話が短く鳴り、メールの受信を知らせる。蘭からで、メールを開くと美術館の前に平次と和葉がいたのだと書かれていた。
 平次の父親が大阪府警本部長であるから、その繋がりでキッド関連だと知って駆けつけてみたというところか。そういえば、キッドと平次は初めて相対することになるのだろうか。
 西と東。両名の名探偵相手では苦戦しそうだが、果たしてキッドはどう出るか。
 せっかく警察宛にカードを届けてひじりを大阪まで呼んだのだ。楽しませてもらうよ、と内心でほくそ笑んでいると、会長室の扉が開かれて見知った顔が入って来た。


「おぉ、これは毛利さん!遠いところをよくおいでくださいました。蘭さんとコナン君もよく来てくれたね」


 史郎が立ち上がって挨拶をし、ふと後ろにいる平次と和葉に気づいて園子にどちら様か問うと、園子は平次と和葉の名前を言って平次が西の高校生探偵と有名なのだと付け加えた。
 それはそれは頼りにしてますよと朗らかな笑みで平次を向き、平次は「任せといておっちゃん」と笑顔で応え、それに小五郎が鈴木財閥会長に向かっておっちゃんとはと非礼を窘めようとすれば、史郎本人がまぁまぁと手で制す。
 相変わらず大らかで懐の広い人だ、とひじりは感心してソファから立ち上がり声をかけた。


「や」

ひじり!?何でオメーがここに!?」

「え、何でひじりお姉ちゃんがここにいるの!?」

ひじりお姉様!?」


 短い声掛けにすぐさま気づいて振り返り、一同が驚きの声を上げる。驚きすぎて思わず呼び捨てにしたコナンの額を軽く指弾し、思った通り驚いてくれたことに満足して目許を緩めた。


「キッドから招待状が届いたから、中森警部達と一緒に来たの」

「招待状…?」

「これ」


 訝しげに眉を寄せるコナンにポケットから出した白い封筒を渡す。コナンはすぐさま受け取って中のカードを取り出し、蘭や園子達も気になったのか全員で覗き込んだ。




Dear Sleeping Beauty.
私の大切な眠り姫

あなたを近日開かれる
盛大なショーに招待致します
願わくばあなたの黒曜石に
私の白を捉えて離さぬよう…

        怪盗キッド




「んなっ…!」

「ええー!これ、どういうことなんですかひじりお姉様!」

「どういうこともそういうこと。私への招待を無視してキッドがへそ曲げて来なくなったら困るから、ご丁寧に新幹線のチケットも同封されてたこともあって来たってわけ」


 園子に詰め寄られながら淡々と返すが、真実は少し違う。
 本当は無視することもできた。だが以前加藤がひじりを突き落としたという事実があったため、公表されたくなくば、と暗黙の脅しがあったのだ。それで先日予告状と共に届いた招待状を渡すために中森に呼ばれ、そんなわけで同行してほしいと言われて頷き大阪までやって来た。
 中森が呆れたような顔をしていたのは、これがまたラブレターもどきであったからだろう。

 コナンは目を見開いて食い入るようにひじりへの招待状を見つめ、あの野郎、と低い声で呟くと半眼で睨みつけた。
 平次が後ろでほーと感心した声を上げ、にやりと笑みを浮かべてひじりを向く。


「姉さんモテるなぁ。黒羽が妬くで?」

「大丈夫私快斗ひと筋だから」

「アカンあっさり惚気られた」


 平次がつまらなさそうな顔でため息をつくが、事実なのだからしょうがない。
 「ずるーい!」と言いながらがっくんがっくん揺さぶってくる園子と、何だか視界の隅で拳を固めている蘭は敢えて無視しておく。小五郎にはお前も大変だなと気遣うように肩を叩かれた。和葉はキッドがぴんとこず不思議そうにしている。
 コナンは、と視線を落とせば、ぐしゃりと招待状を握り潰した。


「今度こそぜってー捕まえてやる…!」


 青い目にめらめらと燃え盛る炎が宿り不穏な響きで決意する様子に、変に煽ってしまったひじりはキッドの無事を祈る。
 コナンはひじり宛のカードを握り潰してしまったことに気づいて慌てだしたが、構わないよと言ってしわを伸ばして封筒に戻す。
 ポケットに仕舞い直して頑張れとコナンの肩を叩くと、史郎は話が一段落ついたと察して「紹介しましょう」とソファに座る面々を示した。


「こちらロシア大使館の一等書記官、セルゲイ・オフチンニコフさんです」

「よろしく」

「お隣が、早くも商談でいらした美術商のいぬい 将一しょういちさん。彼女はロマノフ王朝研究家の、浦思ほし 青蘭せいらんさん」

「ニーハオ」


 紹介されたそれぞれが立ち上がって一礼する。
 ひじりは先程挨拶を交わしていたので一同を一瞥するだけだったが、最後にカメラを持った男を見るとすぐに視線を外した。


「そしてこちらがエッグの取材撮影を申し込んでこられた、フリーの映像作家、寒川さがわ りゅうさん」

「よろしく」


 カメラを小五郎に向けながら笑う寒川は、ひじりが着いてからずっと話しかけてきていた男だった。無表情無言でスルーしていたお陰で最後には何とか諦めてくれたが、今までで一番しつこかった。
 今も時折カメラを向けてにやにや笑うので、思わずペン型スタンガンでカメラを使いものにできなくしてやろうと思ったが我慢である。

 小五郎はエッグの値段を問い、乾に8億だよと言われるとぎょっと目を剥いて体を引く。確かにとんでもない額だが、ロマノフ王朝の秘宝と言われるものなのだからそれくらいはするだろう。
 乾は譲ってくれるならもっと出してもいいと笑い、その隣でセルゲイがエッグは元々ロシアのもの、得体の知れないブローカーに売るくらいならロシアの美術館に寄贈してくれと迫る。それに乾が「得体の知れないだと!?」と怒りを滲ませ、それを煽るように寒川が「いーよいーよ」と笑いながらカメラを向けた。


「こりゃ、エッグ撮るより人間撮った方が面白いかもしれないなぁ」


 嫌な笑みを浮かべ、ちらりと視線を向けられるがひじりは完全無視でスルーした。キッドと関わりがあると知って尚のこと撮りたいのだろうが、それに応えてあげれるほど甘くはない。
 蘭と園子が寒川の視線に気づいて壁になってくれ、頼もしい限りだと頭を撫でると嬉しそうにされたので少し心が和む。

 寒川は苦笑するとすぐに隣の青蘭へと視線を移し、にやりと嫌な笑みを広げる。
 「ロマノフ王朝の研究家なら、エッグは喉から手が出るほど欲しいものなんじゃないのかぃ?」という問いに、青蘭は是と答えるが「私には8億ものお金はとても…」と苦く顔を歪める。それに寒川も同意して掻き集めても2億がやっとだと額を掻いた。

 キッドだけではなく、あわよくばと誰もがエッグを狙っている。
 まったく、とんだものが出てきてしまったものだ。

 史郎がエッグの話はまた後日、と言って解散を促し、それぞれが素直に荷物を持って退室して行く。
 寒川もまた撮影機材の入った荷物を肩にかけて出て行こうとして、ちょうど入れ替わるように会長室へ桐の箱を持って入って来た男とすれ違う際、ひどく狼狽した様子で足早に出て行った。それを見逃さなかったひじりはついと目を細める。


「会長、エッグをお持ちしました」

「ああ、ご苦労さん。テーブルに置いてくれたまえ」

「あ、ひじりお姉様。彼は西野さん。パパの秘書よ」


 外国語もぺらぺらなんだから、と聞いて西野に目を向ければ、彼は史郎に言われた通りテーブルに桐の箱を置く。あの中に件のエッグが入っているらしい。
 史郎に促されてテーブルに集まりソファに腰を下ろす。園子曰く彼女が小さい頃に知らずにおもちゃにしていたらしいが、果たしてどんなものなのだろう。

 箱から出てきたのは、見事な花の装飾がなされた緑色の卵のようなものだった。
 頭頂部とその少し下にぐるりと等間隔に穴があいてガラス玉がはめられ、足元には鍵穴のようなもの。中央に線が入っているから、もしかしたら開くのかもしれない。
 だが8億の値がつくほどにはパッとしないそれに、園子がおもちゃにしていたことに納得してしまう。

 史郎に冷たいものを、と言われて西野が出て行く。
 コナンに「これ開くんでしょ?」と言われ、史郎はよく分かったねと微笑み開いた。


「中はニコライ皇帝一家の模型でね、全部金でできてるんだ」


 エッグの中には、2人掛けの椅子に座った皇帝らしき男が本を開き、隣に赤子を抱えた女性、男側のイスの周りに4人の少女達が集まって本を覗き込んでいた。
 細かいところまで綿密に作られた模型に、思わず感嘆の息をつく。


「このエッグには、面白い仕掛けがあってね」


 史郎が小さな鍵を取り出して鍵穴にはめこむ。ネジを回すように何周かさせれば、模型がせりあがり皇帝が本を開いた。本を読み聞かせているのだろうか。
 史郎はエッグの資料が載った小冊子を開き、このエッグのデザイン画が描かれているページを開いた。これにより、鈴木家の蔵から出てきたエッグが本物であると証明されたとのこと。


(確かこのエッグの名前は、メモリーズ・エッグ)


 ロシア語でボスポミナーニェ。思い出。思い出の詰まった卵。
 本を読み聞かせているのが、思い出。このシーンに特別な意味があるのかは分からないが、どうにもしっくりこない。
 しかし答えが出ることもなく、ひじりはじっと無言で本を見つめる皇帝を見下ろした。






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