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「話、というのは…?」

「ああ…ただの世間話、ですよ」


 首を傾げる桜庭に、快斗は悪戯っぽく笑った。





□ おそろい 7 □





 客室の一室を借り、目暮を追い出した快斗はキッチンを借りて紅茶を淹れると戻って来た。
 イスに座る桜庭に渡して自分の前にも置き、イスに腰を据える。カップに指を伸ばしてひと口含み、桜庭がほっと息をつく。


「すみません、服部が嘘言ってあなたに濡れ衣を着せて」

「いえ…。あの、本当に重松さんは」

「菊人さんに殺されました。動機はまだ分かりませんが、おそらく会社の不正と楓さんとあなたの関係じゃないですかね」

「……そう、ですか」


 沈痛な面持ちで桜庭が俯く。それはそうだ、重松を刺した凶刃に、自分も関係しているのだから。
 快斗は穏やかな口調で「楓さんとは、本当に恋人関係なんですか?」と返事を期待せずに訊いたが、じっとカップを見下ろしていた桜庭は少し沈黙を挟んで小さく頷いた。


「許されるはずがないと、分かっていたんですが……それでも僕は、彼女を」


 片や大会社の社長令嬢。片や他の家の使用人。それでも2人は惹かれ合い、逢瀬を重ね、ペンダントを贈り合った。


「でも、菊人さんが裏から手を回して強引に楓さんとの結婚を進めた」

「……彼女を幸せにしてくれるのなら、彼女がそれでいいのなら、僕もそれでいいと諦めるつもりでした」


 どうせ許されるはずがない仲だ。菊人を取り巻く黒い噂を耳にしながら、それでも楓の幸せを一番に願った。
 いち使用人と結ばれるくらいなら、財力もあり大切にしてくれそうな菊人に任せ身を引いた方が幸せになるだろう。そう思っていたのに、猫を捜していると楓が現れて、言葉は少なくただ寄り添いながら最後の時間を過ごした。


「あなた達のことを、彼女から聞きました。とても仲が良くて、好き合ってるのが見て分かる。……羨ましい、と。僕もあなた達を羨ましく思います」


 ぽつり、桜庭が本音を吐露する。だが快斗は苦く笑った。


「でも掴まえるの、結構苦労したんですよ。名前は教えてくれない、触れさせてくれない、何度も突き放されて、意地になって手を伸ばし続けて…やっと、掴んだんです」

「諦めようと思わなかったんですか?」

「どうして?遠くに行ってしまう、決して手を取ってはもらえないと分かっていても、それは諦める理由にならない。だって彼女は、決して本気で嫌がっていたわけじゃないって、分かっていたから。だったらオレは何度でも手を伸ばして、たとえどんなしがらみがあっても絶対に触れた手を離しはしないと、決めたんです」


 ガキでしょう、と快斗は笑う。覚悟さえ決めてしまえば、考えるべきことも些細なことだった。
 一緒にいたい。共に生きたい。そして、彼女の傍で死にたい。そのためならば何だってしよう。どんな困難な道であろうと、駆け抜けようと。
 桜庭は目を瞠って快斗を見つめ、ゆるゆると息を吐くとかぶりを振った。


「やっぱりあなたが羨ましい。僕には選べなかった生き方だ」

「けど、これから選べる生き方だ」

「え…」

「ガキでいいじゃないですか、桜庭さん。欲しいものは欲しいと、口にしなければ始まらない」


 しがらみはたくさんある。考えることもたくさんある。けれど手を取り合えれば、それは2人で考えることができる。
 手を伸ばし、欲しいと言うことにどれだけの勇気が必要なのかは身を以て知っている。容易く口にはできない。だが、自分の立場をわきまえているからこその懊悩の先で、想いを口にすることができれば、あとは覚悟を決めるだけだ。


「……僕、は」

「難しく考えないでください。誰の隣にいたいか。誰の笑顔を見たいか。それを、誰に向けてほしいのか。それだけです」


 桜庭は快斗を一度見て俯き、それからひと言も発さず黙りこんだ。快斗もそれきり何も言わずに紅茶をすすり、窓の外を向いて降りしきる雨を見つめる。

 余計なお世話だと分かっている。それでも自分達を羨ましいと言う桜庭と楓に、あなた達も選べる道なのだと知ってほしい。
 届かないと理解していても、お互いが向き合っているのなら、伸ばした手はいつか届くことだってあるのだ。





■   ■   ■






 桜庭が目暮に連れて行かれ、快斗が部屋を出て行ったのを見送ったひじりは、一件落着ということで解散となり、もう遅いのでコナン達と同様泊まらせてもらうことにした。


「それで?何をするつもりなのかな、コナン君?」

「決定的な証拠がねーんだよ。だから菊人さん自身に出してもらおうって思って、一芝居打っただけだよ。分かってんだろ?」


 コナンにまぁねと返し、手を振って別れ案内された客室に入る。
 快斗はまだ戻って来ていないが大体行動は読めているし、メールでどこにいるかを教えてもらったので問題はない。
 ひじりは少し休むと部屋を出て楓の部屋へと向かい、ノックをした。


「……はい」


 消沈した声と共に扉が開いて楓が顔を出す。泣き腫らした目が痛々しく、ひじりを見ると驚き、少し話をいいですかと問えば戸惑いながらも部屋に入れてくれた。


「単刀直入に言いますね。犯人は桜庭さんではありません」

「え?」

「犯人は菊人さんです。決定的な証拠が見つからず、本人に出してもらおうということになり一芝居打ちました。桜庭さんは警察署ではなく別室にいることを確認しています」


 淡々と事実を述べると、ぽかんと口を開いていた楓は恐る恐る震える声で「……本当に?」と問いかけてきた。それに即座にしっかりと頷く。
 大丈夫、あなたの恋人は犯人ではありませんから。念を押すように言えば、楓は顔を手で覆って床に膝をついた。


「すみません、騙してしまって」

「いえ…いえ、桜庭さんが犯人でないのでしたら、それで…!」


 はたはたと涙をこぼす楓にハンカチを渡して拭う。背中を優しく叩くと、落ち着いた楓はハンカチを握り締めてひじりを見上げた。


「でも、菊人さんが犯人って…」

「動機は分かりませんが、桜庭さんに罪を着せようとしたのだと思います。おそらく、あなた達の仲を妬んで」

「そんな…」


 婚約者が重松を殺したという事実にショックを受ける楓だったが、それよりも桜庭が犯人でないことの方が嬉しいようで、悲しそうな顔をしながらもほっと息をついた。
 ひじりは手を引いて一度楓を立たせ、ベッドに腰掛けさせて問うた。


「どうして桜庭さんと好き合っていながら、菊人さんと結婚することに?」

「……父の会社に、裏から圧力がかかって…お断りもできず、どうしようもなく」


 成程、噂は本当だったか。


「それで、あなたは良かったんですか」

「良くなんか…!……良くなんか、なかったです、けど」


 それでも、親の会社を思うと断ることができなかった。
 桜庭に会うためにここに通っていたのに、菊人に迫られ、重松に縁談を進められ、裏からの圧力もあってどうにもできなくなっていた。
 それに、社長令嬢と使用人。好きな人がいるのだと言っても、許されるはずがない。

 菊人は強引だが悪い人ではなかった。彼なりに優しく、大切にしてくれる。
 許されない恋に苦しみ、ずっと一緒になれないくらいなら。いずれ引き離されてしまうのなら、いっそ。


「菊人さんと結婚すれば…桜庭さんとも、ずっと一緒にいられるだなんて、そんなことを思ってしまって」


 ぽつぽつと俯きながら吐露し、ごめんなさいと謝罪を口にする。
 ずるくて、卑怯で、ごめんなさい。互いの胸元で揺れるペンダントを握り締めて嗚咽をこぼす楓の頭を、ひじりはそっと撫でた。


「菊人さんは捕まるでしょう。そうなれば結婚は白紙。……あなたは、どうしたいですか?」

「…私は…」

「あなた達の仲はもう周囲に知られてしまった。隠す必要はない。全ては楓さん、あなた次第です」


 ゆらりと揺れる瞳が涙の膜越しにひじりを見る。


「楓さん。あなた達が手を取り合うことは、決して選べなかった道だったわけではないでしょう?」


 はじめから、私は桜庭さんに会いに来ているんですと言えていれば。しがらみも関係なく、許されない、選べない道だなんてお互い初めから諦めていないで、素直に手を取り合っていれば、重松は死なず、こうして涙を流すこともなかっただろう。
 楓はひじりよりも多くのしがらみに縛られている。考えなければいけないことも多い。
 それでも、ひじりよりかはずっと選択肢や方法があるはずなのだ。


「あなたもまた、少しズルさを覚えた方がいい。使えるものは使いましょう。自分の立場を相手に課す覚悟さえあれば、それはとても簡単なことです」


 社長令嬢としてのしがらみの中で、令嬢だからこそ使える手が楓にはある。
 ずるくても、卑怯でも、それでも手放せない人がいるのなら、覚悟を決めて手を伸ばせ。振り払われて初めて諦めても、遅くはない。


「楓さん。……あなたは、どうしたいですか?」


 望むのなら、私はあなたを連れて行こう。あなたの望む人のもとへ。
 ひじりと快斗を羨ましいと言った彼女。それを自分もまた、選べるのだと知ってほしい。
 その代わり、多くの苦難が待ち受けることになる。考えるべきことも、やるべきこともたくさんある。
 それでも、ただ1人の男を望むのなら。他の誰でもない彼を、選ぶのなら。


「─── 私を」


 楓は涙を拭い、目許を赤くしたまま強い光を宿した目をひじりに向けた。
 選べなかった道を、逃してしまった道を、もう一度。


「桜庭さんのところへ、連れて行ってください」






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