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 凶器を持ち去ったのは他殺であると知らしめたかったから。
 死体を引きずり別室に移動したのは、周囲の目を逸らすため。
 部屋の明かりが死体のある部屋にしかついていなかったのは、別室に隠れる自分の存在に気づかれないようにするため。
 猫がいたのは、猫を捜しに行く桜庭のアリバイをあやふやにするため。

 密室トリックは必要ない。だが高所恐怖症である菊人が桜庭に罪を着せるつもりなら、必ずその痕跡はどこかに残っている。
 たとえば、そう─── 菊人が倒れ込んで割った、窓。


(…さぁ探偵諸君?答え合わせをしようぜ。木々が連なるこの屋敷で、可憐な葉を色付かせるものが、果たして菊か桜なのかをな)





□ おそろい 6 □





 再び事件現場に走って行ったコナンと平次を見送り、快斗は息をついて木に寄りかかった。
 先程桜庭が菊人に地面に叩きつけられたとき、ちらりと胸元に何かあるのを目敏く認め、それを確認するために駆け寄って助け起こしたのだが、どうやら誰にも不審には思われなかったようだ。


「今度は連れてかれなくてよかったね」

「あいつらがいればオレは必要ないと思うんですけどね」


 実際、役に立つとも思えない。


「あ、ひじりさん立ったままじゃつらいですよね。中に入ります?」

「……そうだね。彼らがこの事件を解くまで、私達はゆっくりしておこう」


 退院してからは体力作りに精を出して一般人と同じ程度の体力を取り戻しているひじりだが、快斗は長時間夜風に当たらせるのも体に障ると思って声をかけ、ひじりの手を取ると屋敷の中に入った。
 屋敷の使用人を掴まえて使用人用の食堂に立ち入らせてもらい、2人はイスに腰を下ろす。2人寄り添い手を重ね、心地好さすら感じる静かな沈黙の中、快斗はひじりの手を取る自分の左手を見下ろしてふと呟く。


「お揃い…」

「?」

「あ、いえ。その、指輪以外に何か、お揃いのもの欲しいなーって思って」


 顔を上げたひじりに素直に言えば、ああ、と納得したような声がこぼれる。
 世の中にはペアのものは溢れていて、用意するのは簡単だが、いつも身につけてほしいとなれば限られてくる。
 基本はアクセサリー。だが指には指輪が、ひじりの耳には既にピアスがはまっていて、自分の耳に四葉のクローバーは似合わない上に校則で禁止されている。
 博士からもらった時計は揃いのものだが、コナンや哀など子供達とも揃っている。


(時計…そうだ、時計)


 新しく2人だけの時計を用意しようか。博士の力を借りてもいいかもしれない。けれど博士はただの時計など作りたがらないだろうし、ならば何か機能を搭載した方がいいかもしれない。
 ぽんと思いつくのは発信機。ついでに通信機と、できれば盗聴器なんかも、と思うがそれではプライバシーが何も無い。
 監視したいわけではないのだ。ただ、あの銀世界に包まれたロッジで姿を見失ったときのように、すぐに見つけられるようにしたい。
 怒るだろうか。だが、髪飾りに仕込んでいたときには気づいていて敢えて放って置いたから断らないかもしれない。


(いやでもそれって人としてどうなんだ)


 時計を見ながらひとり悩んでいた快斗は、ひじりがじっと自分を見ていることに気づいていなかった。


「発信機」

「え?」

「通信機、それと盗聴器でも時計に仕掛けていれば安心できる?」

「えっ。何で分かって……あっ、いや」


 慌てて手で口を塞ぐがもう遅い。ひじりは冗談だったんだけど、と目を瞬いた。
 やばい嫌われる引かれるだろうかと恐る恐るひじりを見ると、快斗の想像に反して彼女はとても小さな笑みを浮かべた。


「いいよ」

「いい、って…」

「発信機も通信機も盗聴器でも何でも。たとえ爆弾が仕込まれていても、快斗からのものなら身に着ける」


 もののたとえだとは分かっているが、爆弾なんか仕込みません!と思わず反論した快斗は、次に言われた言葉を頭の中で繰り返して理解し、大きく目を見開いた。
 いいんですか、と訊けばもちろんと躊躇いなく頷かれ、その絶対の信頼と愛情に眩暈がして、次いで言い放たれた言葉に絶句することになる。


「快斗は私のためを想ってのことしかしないって、解ってるから」


 発信機は、居場所がすぐに判るように。
 通信機は、いつでも連絡が取れるように。
 盗聴器は、彼女の身に危険が迫っていないか、状況を瞬時に把握するため。

 ああでも盗聴器と言うより一方通行な通信機の方がいいかな、と無表情に続けたひじりに、快斗は呆然と頷くことしかできなかった。そして、顔を覆って深いため息をつく。だめだ、この人には勝てる気が全くしない。
 どうせ私から似たようなのを渡すつもりだったし、と言われた言葉が本気に聞こえるのだから本当に恐ろしい。
 もしかしたらとんでもない人を好きになってしまったのではないかと改めて思ったが、後悔はしない。
 だって嬉しいではないか。自分と同じように彼女もまた、自分を想ってくれていると分かったのだから。


ひじりさんは、オレに甘すぎると思います」

「快斗も私に甘いから、お相子だね」


 苦し紛れの言葉も、ひじりには通じずさらりと打ち返される。
 ため息をついて再び手を握り、どんなデザインにするかなと頭の中で考えていた快斗は、ふいにバタバタと屋敷が騒がしくなったのを感じて首を傾げた。
 窓の外を見て雨が降り出したことを知ると同時に、食堂の扉が開いてコナンが顔を出す。


「あ、いたいた!今から平次兄ちゃんが推理ショーやるみたいだから、ひじり姉ちゃんと快斗兄ちゃんも来なよ!」

「謎は解けた?」

「みたいだよ」


 にっこりとコナンが笑う。ひじりに行こうと促されてイスから立ち上がった。
 食堂を出て事件があった部屋へ行く。自分達以外は既に揃っていて、部屋の隅で待っていれば平次と目暮がやって来た。平次は一同をぐるりと見回し、みーんな分かってしもたんやと口火を切り、重松を刺し殺した犯人は、と桜庭をひたと見据える。


「桜庭さん…あんたしかおらんっちゅうことがなぁ!」


 快斗は鋭く目を細めた。何だ、期待外れか。
 平次が細い紐とガラスの破片にあいた穴を使って密室を再現するのをぼんやりと見る。
 密室は誰でも作れるが、足の悪い幹雄、身軽に動くには向いていない姿の楓と百合江、そして高い所が苦手な菊人にはベランダから下に逃げるのは不可能。となると残るは、木に登った猫を捕まえられるくらい身が軽い桜庭にしかできない。


(……菊人さんの筋書き通りだな)


 ちらりと菊人に目をやれば、小さく口の端を吊り上げている。対して桜庭は顔を真っ青にさせ、その隣でまた楓も顔を青くしていた。
 桜庭が僕は人殺しなんか、と否定し、楓がすかさず「そうよ!」と同意し、意を決したように口を開いた。


「だって…彼はあの悲鳴を聞いてここに駆けつける随分前から、ずっと私と一緒にいたんだから!」


 ふっとひじりがほんの僅かに唇の端を上げるのを視界の端に納める。
 目暮がなぜそのことを教えなかったのかと問い言葉を濁す楓に、平次が「2人の関係を知られたなかったからやろ?」と図星を突く。


「成程…2人は恋人同士。縁談話をご主人に持ちかけて、2人の恋路の邪魔をした重松さんが許せなくて殺したってわけか…」

「ち、違う…殺したのは僕じゃない!」


 小五郎の言葉を否定する桜庭に、血が付いた桜庭のシャツが見つかったと言い逃れを許さない平次を見て、ふいに快斗はうん?と首を傾げた。
 確かに筋は通っている。密室は作ることが可能だと実証され、ベランダから立ち去れるのは桜庭しかいない。しかし、先程4つ気になる点を挙げたというのに、そこには一切触れていない。
 なぜ凶器を持ち去ったのか。なぜ死体を引き摺り別室に置いたのか。部屋の明かりは?猫は?
 平次とコナンは、2人の探偵は、それを無視するほど目が曇っているはずがない。


(─── ってことは)


 桜庭が目暮に退室を促され、楓が縋るのを横目に平次に近づく。げしっと足を軽く蹴って注意を向けさせて声を潜めた。


「で?お前ら何するつもりだ?」

「やっぱり黒羽にはバレとったか…ってことは、姉さんも気づいとるやろな。いやな、実は凶器は見つかったんやけど、まだ証拠がないねん」

「ハーン…?それで、犯人に出させようって?」

「そゆこと」


 にっと笑う平次の足を今度は手加減抜きでもう一度蹴り、痛みに呻くのを無視して快斗は部屋を出た。外の廊下には項垂れた桜庭と目暮の姿があって、それに駆け寄り桜庭の肩を叩く。


「桜庭さん、ちょっといいですか?」

「え…」

「黒羽君、彼は…」

「フェイク、でしょう? 犯人は桜庭さんじゃない。菊人さんだ」


 快斗の断言に、桜庭が大きく目を見開いて目暮が何だ知っておったのかとこぼす。


「本当に署まで連れて行くわけじゃないんでしたら、オレに暫く貸してもらえませんか? 桜庭さんも、警察の人よりオレといた方が気が楽でしょう?」

「まぁ、どこかの一室に暫くいてもらうことになるが、それでもいいなら。いかがします、桜庭さん」

「え…ぼ、僕は…」


 犯人だと断定されたと思えば突然それを撤回され、急な展開についていけず困惑する桜庭の肩を落ち着かせるように叩いて微笑む。


「少し、話がしたいんです」

「……分かり、ました」


 戸惑いながらも頷いた桜庭に、快斗はありがとうございますと礼をした。






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