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 ある意味とても会いたかった少年が目の前で頬を引き攣らせている。
 歳の頃は快斗と同じ。そして新一と同じ高校生探偵。新一は東の、彼は西の、と有名らしい。
 微かな怯えを宿した色黒で活発であるはずの顔が、助けを求めるように足元の幼い少年を向く。しかし彼は、にっこり笑って一刀両断した。


「自業自得だよ、平次にーちゃん?」





□ おそろい 1 □





 用事があってはるばる大阪から東京へとやって来たとの情報をコナンから仕入れたひじりは、早速阿笠邸を飛び出して駅に向かい、彼と彼の幼馴染と初めて顔を合わせた。

 初対面でまだ何も言っていないというのに、はは、と乾いた笑いを浮かべた彼はそろりと一歩後退る。
 瞬間、ひじりの体が動いた。ひゅっと右腕が風を切って固められた拳が少年の顔に向かい、ぎょっと目を剥いた彼は身を竦ませて衝撃に備え目を閉じた。しかし、額に届く直前、寸止めした拳を開いて少年の額にデコピンを食らわせる。覚悟していたものとは違う、けれどべしっ!と痛々しい音と共に走った痛みに彼は額を押さえて蹲った。


「あのあとにも色々お世話になったようなので、これで勘弁しておきます」

「ハ、ハハハ……おおきに」

「というわけで初めまして、服部平次君。私は工藤ひじりです」


 握手代わりにしゃがみこんだ平次に手を差し出す。思った以上の痛みだったか、涙目でどーも、と苦く笑った彼はそれを取って立ち上がった。
 すると、一連の流れを呆気に取られて見ていた少女がはっと我に返る。


「って、あんたいきなり平次に何してんの!?」

「ああ…すみません。彼が以前、風邪をひいていたコナンにあろうことかお酒を飲ませて悪化させまして。一度は殴らなければと思っていたんです」

「酒───!?平次、あんたバカとちゃう!?」

「うっせ!分ぁっとるわそんなこと!」


 ひじりに掴みかからんばかりの勢いだった少女は、しかしひじりの淡々とした事実を告げられると大きく眉を寄せて怒声を平次の方へと方向転換した。
 同じく大阪から来た、平次と同い年で幼馴染の少女。名前は遠山 和葉。
 彼女はひと通り説教したあとコナンに「ごめんなぁコナン君、うちのバカ平次が」と謝った。


「ボクはもう気にしてないから!ひじり姉ちゃんが代わりに怒ってくれたし」


 にっこり笑うコナンを平次がジト目で見下ろす。
 最初、平次がひじりを見て顔を引き攣らせていたのは、姉貴分が「一発殴るってよ」とコナンが事前に言っていたからだろう。
 何にせよ落とし前はつけた。ので、もうここに用はない。


「それじゃ私、用事済んだから行くね」

ひじりお姉ちゃん、本当に服部君を殴りに来ただけだったのね…」

「うん」


 蘭の苦笑に即座に頷く。
 前に「服部に正体がバレた」とはコナンから聞いていて、ひじりもまたコナンの正体を知っていると平次に話してはいるのだろうが、だからと言って膝を突き合わせて話すことはない。
 それじゃあと一同に背を向けようとすれば、ふいに声がかかった。和葉だ。


「あ!あの、さっきはすみません、失礼なことを言って」

「いいよ、大切な幼馴染がいきなり殴られたら、そりゃあ怒るでしょう」

「べっ、別に大切なわけじゃ…!ただの幼馴染ですから!あ、アタシ遠山 和葉いいます!えっと、工藤さん、でしたっけ」

「新一と混ざるから、名前でいいよ」

「じゃあひじりさん!ホンマに平次がすみませんでした!」

「何でお前が謝るんや…」


 頭を下げる和葉の後ろでぼそりと平次が呟く。
 和葉は聞こえなかったようだがひじりには聞こえて、けれど無視をすると大丈夫、と意識して優しく目許を緩めた。表情は変わらないが雰囲気がやわらかくなって、ほっと和葉は息をつくと小さな笑みをこぼす。
 それを見て、ひじりは小さく首を傾げると無言でするりと和葉の頬に指を滑らせた。突然の行動に和葉が目を瞬く。


「な、何…?」

「うん、やっぱりあなたは笑っていた方がずっと可愛い。あなたのその溌溂とした笑顔は、きっと周りを笑顔にさせるだろうからね」

「え、え…!?」


 キザァ…と顔を赤らめて狼狽える和葉の後ろで平次が半笑いで呟いた。コナンも誰かさんのせいでな、と同じく半笑いで返す。
 ひじりは和葉から手を離し、ずるいと小さく頬を膨らませる蘭の頭をぽんぽんと優しく叩いて「ああそれと」とふいに続けた。


「私にはもう彼氏がいるから、安心してね」

「えっ、そうなん!?」


 思わず敬語も忘れて和葉が叫び、ひじりが驚きもせず淡々とそうと返す。
 ひじりに非礼を詫びながら、和葉がちらちらとひじりを物言いたげに見ていたのには気づいていた。淡い恋心を抱く幼馴染が年上の女に掻っ攫われないか心配したのだろう。
 ただの幼馴染、と言った割にはひじりの言葉に安堵のため息をつくから、それが可愛いなと思う。


「そういえばひじりお姉ちゃん、今日デートじゃなかった?」

「うん、今少し待ってもらってる」


 平次を殴るために。今頃待ち合わせ場所で文句も言わず素直に待っていてくれるだろう快斗を思い描き、ひじりはそれじゃあと一同に声をかけて踵を返そうとして、今度は平次に呼び止められた。


「そや!せっかくやし、工藤の姉さんの彼氏も呼ばんか?」

「ええ!いきなりは迷惑やろ?それに、2人はこれからデートやねんで」

「な、ええやろ姉さん!オレら今日一日買い物とかするんやけど、やっぱ歳の近いもんがおった方がええし」


 そうは言うが、それが本心ではないことは見抜けた。だが嘘でもなさそうだ。
 単純にひじりの彼氏が見てみたいと思っているのが7割くらいか。おそらくコナンからも快斗のことを少し聞いているのだろう。
 どうしようか。表情を変えないまま考えていると、平次はあとひと押しかと僅かに期待を覗かせる蘭と和葉を見て笑った。


「和葉と姉ちゃんも、2人より3人の方が楽しめるやろ?それに和葉、姉さんの彼氏、気にならへんか?工藤のそっくりさんみたいやで!」

「え?ま、まぁ……気にならへんって言ったら嘘やけど」


 平次の言葉にあっさり陥落した和葉が少し申し訳なさそうに頬を掻いてひじりを見る。
 やはり現役女子高生、恋愛話には興味があるようで、以前勘違いをした“工藤”がどんな顔をしているかも知れるチャンスとあれば傾くものだ。蘭もひじりと買い物、という魅力的な話に悩んでいるようで、味方がいない。

 だが、高校生にキッドに赤井との鍛練にとなかなか忙しい快斗とデートをするのも約1ヶ月ぶりだ。
 やっぱり2人でデートした方が自分にとっても快斗にとってもいいよねと結論を出そうとしたところで、ふいに足元でコナンが服の裾を引っ張った。屈むように手を振られて視線を合わせると、コナンがそっと囁く。


「オレん家にあるアルバムに、小さい頃の黒羽の写真を1枚見つけたんだけどよ」

「…………」

「ま、黒羽の説得はオレに任せて、ケータイ貸しな」


 ぐらりと大きく揺らいだひじりににやりと笑い、差し出された小さな手にひじりは迷うことなく携帯電話を置いた。





■   ■   ■






 待ち合わせ場所の公園で、子供達相手に練習を兼ねた軽いマジックショーをしているとふいにポケットに入れていた携帯電話が震え、ちょっとごめんな、とマジックを中断した快斗はディスプレイに表示された“工藤ひじり”の名前に笑みを浮かべて通話ボタンを押した。


『あ、快斗兄ちゃん?』

「…………何でコナンがひじりさんのケータイに」


 耳に当てれば期待したものとは全く違う声に思わず胡乱げに眉を寄せると、まぁまぁと電話の向こうでコナンが宥めてきた。
 もしかするとコナンは幼児化した工藤新一なのではと疑っている快斗は、その子供らしい声音に思わず背中が痒くなる。
 コナンが新一であろうがなかろうが、いずれにせよ猫を被っているのは間違いない。キッドとして相対したときのコナンは、間違いなくただの小学一年生ではありえなかった。


「……で?いったい何の用だよ」

『実はねー、今大阪から新一兄ちゃんの友達が来てるんだ』


 携帯電話を耳から離し、湧き上がる嫌な予感に通話を切りたくなる。
 ひじりの携帯電話で、コナンからかかってきた上に、新一の友人なる者が来ている。


(─── うわぁ。嫌な予感しかしない)


 思いながら、嫌々続きを聞く。


『快斗兄ちゃんも来ない?』

断る。久々のデートなんだぞ、邪魔すんな」


 思った通りの言葉に、快斗はコナンが言い終わらないうちにきっぱりと言い放つ。しかしそんなことは予想していたようで、コナンは焦ることなく笑っていた。


ひじり姉ちゃんの小さい頃の写真』

「なに?」

ひじり姉ちゃん家は燃えて何も残ってないから、中学生までの写真は貴重だよ~?もう新一兄ちゃんと蘭姉ちゃんくらいしか持ってないよ~?ボクから頼んであげてもいいよ~?』


 嫌な間延びした声でちらちらと手札をちらつかせるコナンに、しかし快斗は真剣に悩んだ。
 ひじりの写真。コナンの言う通り、ひじりの家は全て燃えてしまっているから残されたアルバムはなく、その写真も少ない。
 見たい。正直ものすごく見たい。絶対可愛いに決まっている。そういえば以前、蘭も熱弁していたことを思い出した。


『どうする?快斗兄ちゃん』


 無言になった快斗の反応を分かっていて敢えて問うているのだろう。にんまりと笑う顔が思い浮かんだ。まったく嫌なガキだ。
 内心悪態をつきながらも欲望はなかなか抑えこめない。見たいなぁひじりさんの小さい頃。絶対ぇ可愛いよなぁ。焼き増しして引き伸ばして自室の壁に貼ろうか。大真面目に考えてしまった時点で答えは出ていた。


「……全部で何枚ある?」

『バーロ、手札は残しておいてこそだろうが』


 おい、素が出てんぞ。
 口の中で呟いて代わりにため息をつく。


『渋谷駅で待ってるね、快斗兄ちゃん!』


 快斗が断ることはないと確信した口調で言い切って電話が切られる。
 ああ、くそ。小さく舌打ちし、快斗は纏わりつく子供達にこれでおしまいだと言った途端上がった、「えー!!」と不満ありありの声を上げる子供達を宥めながら公園を出た。

 せっかくの久しぶりのデートなのに、とため息をついて肩を落とす。これは新一の友人という奴を一発殴っても許されるだろう。
 いいや、殴る。絶対ぇ殴る。腹の中でそう決め、快斗は走り出した。






「……オメーら、ちょろすぎんだろ」


 電話を切ったコナンが呆れたように呟いたことを、ひじりも快斗も知らない。






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